願いのシルシ

篠宮璃紅

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首輪

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女は歩いていた。女性らしい曲線を持つ体に似合わないほど大量の荷物を、肘や肩に重心を置きバランスを保ちながら。

男はその隣を歩いていた。女とは違い、何も持たない手を退屈そうに遊ばせながら、道に並ぶ露店に目を泳がせている。

二人はその町で一番の賑わいを見せる商店筋に訪れていた。太陽が空の真ん中に輝く時間、一日で一番の活気がある道。人が互いを押しのけつつ売買をしている中、丁度中心を上手く歩いていた。

建ち並ぶ商店からは香ばしい肉の焼けた匂い。その場で切り開かれた新鮮な果実の匂い。空腹を誘う魅惑的な香りが漂っていた。


「ねぇ、ニコ。あのさ」


深くフードを被り、顔を隠す小柄な男が女に話しかける。ニコと呼ばれた女は即座に「いけません」と男の言葉を遮る。


「食事なら街に入る前に済ませました。量は十分だったはずですが」


冷たくあしらうような声に、男は肩を落とす。

決して買い食いをするためにこの人込みを歩いている訳ではない。ニコはそう制しながら男の前を遮るように歩き始めた。後ろに歩く形になった男は、見失うまいと歩幅を広げた彼女を追いかける。

フードで狭まっている視界ではニコを追うことに集中せざるを得ない。今まで何度かあった彼女の戦法に翻弄されることになった。

ただでさえ周りへの意識が奪われている男は、ニコの後ろをぴったりとついて行かなければ、忽ち人という波に阻まれ距離を離されることになる。彼女が避けて歩く道をその通りに歩く。

だが、彼女に道を作るのを任せているその方法には欠点がある。


「うぷっ」


それは彼女が突然、何かの拍子に立ち止まる事。前方の視界を奪われている男には、彼女が止まることを予想することもできない。情けない声と共に、男はニコの背中に顔を埋めることになった。


「こんにちは。あなた達、今街に来たところ?」
 

ニコは目が合い近寄って来た少女に言葉を返す。


「こんにちは。そうです、つい一時間ほど前に」
 

会話を始めると、人の波は自然と三人を避けるような流れに変わっていた。ニコはその空間で背の低い少女に目線を合わせる。薄い布を巻いただけのような恰好をした少女は、近づいてきたニコの顔をまじまじと見る。
 
二人の様子を男は少し距離を取り、観察していた。


「お姉さん綺麗な目。そんなに綺麗だと、商人に連れて行かれちゃうよ」

「商人?」

「うん、この町では私たち商品になるから」


そう言う少女の首には重量感のある鉄製の鎖が繋がる首輪があった。


「私は外に出たことがないんだけど、外じゃこんなのしないんでしょ?だからお姉さん、首輪がないんでしょう?」

「そう、ですね。外でも我々が首輪を付けて歩かなければいけないという習慣がある町は少ないです」

「やっぱりそうなんだ。でもここじゃ気を付けた方がいいの。昨日も野良が一人捕まってたもの」
 

男は少女の言葉を疑う。だが見回した光景が、それは嘘ではないと物語っていた

目を凝らせば、少女と同じように重みのある拘束具を付けた者が散り散りにいる。その殆どが隣に歩く人間と何かで繋がれ、リードされている。これは私の所有物だ。そう言わんばかりに。
 
単なる忠告のために立ち止まった心優しい少女。彼女の布からはみ出た肌にはきつく縛られたような跡や、強く打ちつけられたような傷が残っている。
 
奴隷。男はいつだったか訪れた町で、そんな役回りの者がいることを聞いた。少女のような幼い者から、労働には不向きなほどやせ細った老人が強制的に使い古されていたのを目の当たりにしている。
 
男の中で賑やかな町が恐ろしいものに変わっていった。
 
ニコも目を伏せ、空いた片手で少女の肩に触れる。


「忠告、ありがとうございます。私たちはただの旅人。町のルールに従います」

「ううん。外の人はみんな首輪してないから、ご主人様がいないときはいつも声をかけてるの。ちょっとお話するだけで怒る人なんだけど、今は私一人でお使いの途中だから」
 

傷跡の多い彼女は、子供らしいあどけない表情で笑う。
 
ニコは立ち上がり少女の頭を撫でた。照れくさそうに受け入れた少女は、目的の店へと走りだす。手を振る彼女に応えたのは、ニコだけ。男はその後ろで身を隠していた。

「……ニコ」
 

喉に引っ掛かるものを、男は無理やり押し出す。


「前に、買っておいたものがあるはずです。それを付けますので、腰の鞄から取り出してください」

「嫌だ」

「見ての通り、私は片手が塞がっています。貴方が取り出してくれると助かるのですが」
 

ニコは自分の腰に視線を送る。男は彼女の提案を頑なに拒み、首を振る。


「確かに念のためって買ったけど、やっぱり嫌だ。ニコは僕の家族で、持ち物じゃない」

「気持ちはありがたいです。でもいいんですか、あの子が言っていたように私が悪漢に取り囲まれ、売りに出されても」

「その時はニコがそいつらを蹴散らせばいいじゃないか。僕より力もあって、強いんだから」
 

男は俯き、地面を睨み付ける。もしもの時のために。そう言って入手した首輪がニコの鞄にあるのは知っていた。だが、今までそれを実際に使用した事はなく、硬い新品のままで残っている。
 
本来それは、家族と呼ぶ者に付けるべきではない。ニコと言い争った時の事を思い出す。


「私は前にも言いました。貴方が自分の力だけで解決できるなら、私も首輪を付けることには反対すると。でも、貴方は非力で、自分自身の力で強引に解決できるような人ではありません」

「そ、それは……」

「私は、貴方が自分の力で、自分の望むことを形にできる人になって欲しいのです。人間は、障害を乗り越えた時に初めて成長するのです。私は貴方にも、そうあって欲しい」
 

フードを深く被ったまま、男はニコの優しい声を聞く。
 
まるで姉のように、母のように。囁くニコの言葉は鋭くも、男を信頼していた。

「この荷物を貴方に押し付けて、自分で付けることもできるのですよ。ですが、貴方に克服してもらうことに意味があるのです。いい加減、私たちの扱いにも慣れてもらわないと」


私たち。ニコの表現に、男の顔が歪む。
 
男はニコが時折、自分たちは違うのだ、と発言することを嫌っていた。その嫌悪感を克服して欲しいという彼女の想いも理解はしているつもりだった。だが、彼にとってニコは家族であり、分け隔てる壁など存在しない。それでも、現実は二人を分とうとする。
 
フードの中に手を忍ばせ、左頬に触れる。大きく刻まれた赤い文様。男はそれを印と呼ぶ。男は忌々しいと爪を立てる。
 
分厚いコートの下。手袋、ブーツ。体中にある印は男の願いを叶える力を持っていた。水を欲すればどこからともなく湧き上がり、空腹を感じればそこに食料が現れる。些細なことでも望めば形にしてしまう力に、男は振り回されていた。
 
願いを叶えれば一つ印が消滅し、気が付けば別の個所に増える。消費が効かないそれは使う者が使えば万能の力になる。

今までに何度も、彼女との壁が無くなればいいと願った。しかし男は、その力は自分の想像力の及ぶ範囲内でしか効果が表れないと知っていた。それ故に、男が人々を救いたいと願ったことは、願ったその一場面しか解決させることができず、その結果が及ぼす影響には全く反映することは無かった。

ニコはこの力を制御するために、自制心を鍛えるべきだと常に言い聞かせていた。だからこそ、道行く先で試練を与える。彼女に首輪を掛ける。男にとって、壁を受け入れるという試練だった。

首輪の制度なんてなくなってしまえばいい。だが理解が及ばない事象に対しては、男の望みが形になることはない。

ニコにはそれが分かっていた。

男は受け入れるしかなかった。彼女との壁を、種族の差を。似合わない舌打ちをし、鞄に手を伸ばす。


「……納得はしてないから」

「してください。それが外の世界なのですから」
 

一直線に伸びた革製の輪は、首に巻くには固く、輪として繋がるのを拒否しているようだった。それでもニコは、男が自分の首に枷を回すのを待つ。
 
姿勢を低くするニコと、彼女の首に手を回す男。彼らの周りを、人々は避けて歩いていた。
しっかりと金属部分に革を通し、外れないことを確認する。手が離れるとニコは首を大振りに揺らした。


「よくできました。さ、行きましょう。まだ少し買い足しておきたいものがあります」
 

そう言ったニコは、再び歩き出す。男は彼女の姿に納得がいかないまま、顔を伏せ小走りでついて行った。



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