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第7話 傷と涙
しおりを挟むどうする?どうすればこの場を三人、無事に逃れることができるか。
武人ではないサヤを逃がすことが最優先だが、まずこの犬の化け物をなんとかせなばなるまい。
二人の心は、自らの刀のように折れてはいない。しかし、厳しい状況である。
「腹が切られて、何か青い汁垂らしてるけど、あの汁いっぱい出たら動かなくなったりするのであろうか?」ユウジが沖に訊いた。
「分からん。しかし可能性はある。血のようなものであるならな。限りもあろうし。」
「動き回らせるか。」
「試してみよう。」
二人は静かに左右に分かれた。犬モドキの頭はユウジを追っている。
ユウジが構えるとザッと襲い掛かった。
その一息の間に沖が左足を犬モドキの後脚に引っかける。
腹が伸びて、ゴブッと犬モドキの腹から青い液体がこぼれ出た。
「よしっ!」
ユウジが構えなおす。
「ぐうう。」
沖は苦悶の表情を浮かべて左足をさすっている。
「体は当てん方が良いっ。やはり異常に硬いぞ、そやつは。」
刀を折るほどの強度なのだ。生身ではきつい。
しかし、この攻撃で大量の体液が漏れたのか、それは動きを止めた。
ユウジと沖は目配せした。
仕掛けるかどうか逡巡する。
存在自体の理屈が解らないので次の行動が読みづらい。
これは弱っているのか?まだ動けるのか?目的は何なのか?
ただ、襲われて命の危機だという事実だけがある。
その犬モドキはゆっくり後ずさりを始めた。
逃げる用意だろうか?ただ頭は二人に向いていない。
頭を下げ、尻を上げ始めた。
ふたりはこの行動に違和感を覚え犬モドキの視線の先を確認した。
サヤだ。
二人は同時に走り始めていた。しかし犬モドキの方が一瞬、早かった。
「しまった!」
そう思った一瞬、月夜に幾条もの光が煌めく。
「あっ」
二人の目の前には犬モドキのバラバラの体が散らばっている。
そして、血振るいをして、刀を鞘にしまう影。長く後ろに束ねられた髪が揺れる。
「間に合って良かった。」
「・・・大江殿!」
その時
「お侍様!」
サヤが沖に駆けよっていた。
「腕を見せてくだせ。それから足も。」
「ああ、大丈夫だ。たいしたことはない。」
「ダメやが!まず止血せんと。足は早う冷やさな腫れっしまう。」
これが先ほどまで犬モドキに怯えていた娘であろうか?侍を相手に叱り飛ばす。勢いよく自分の着物を割いて、沖の右腕に巻き止血すると、クルリとユウジに向き直る
「あなた様はどこか痛くないとっ?」
「あっああ。大丈夫。しいて言えば刀を折られて、心が痛い。」
サヤの美しい目がキッっと吊り上がったかと思うと
「あんた何言いよっと?命があっただけ良かったっちゃが!」
右手を振り上げてユウジの左胸を突いた。左の袂で顔を隠している。泣いているようだ。
「すまない。怖い思いをさせたな。」
ユウジはなんだか胸が痛くなった。
「・・・それにしても、見事な腕前ですね。」
沖がポソリと言った。うずくまり、額に汗している。
「少し、これ等の相手には心得がありまして。」
大江は優しく笑う。
「大江殿はこの犬モドキと戦うことがおありなのか?」
ユウジはびっくりした。
「ふふふ。犬モドキですか。確かにそうですよね。」
大江はユウジ達の方に向き直り、片膝をつき頭を垂れた。
「これはの。アダケモノじゃ。」
後ろの暗がりから声がした。
「若様!」
重家の若様が馬に乗ってニコニコとしていた。
「沖とやら、大事ないか?」
若様は、馬から降りて沖に尋ねた。
三人は姿勢を正し、膝をつき頭を下げる。
「沖 チエノスケと申します。お言葉、痛み入ります。醜態をさらし申し訳ありませぬ。」
「良い。楽にせよ。傷に障る。地べたに座れ」
そう言って自分もが地べたに胡坐をかいた。
「我が座っておる。怪我人のそちは座って足を伸ばせ。サヤ頼むぞ。」
サヤはオキが座る手伝いをして、またかしこまる。
「サヤ、コレを使え。」
若様はゴソゴソと袂から、何かを取り出した。
「あっ、今日ウチがもらったお椀!」
まだ貰えた訳ではないが・・とユウジは思ったが、
「めんこい娘じゃの。そう、そちのじゃ!ほれ。」
若様は構わずあげてしまう。
「それでなサヤ。その椀を大事に持って椀の名を唱えてみよ。」
「唱えるのでごぜますか?」
サヤが戸惑っていると、大江ロクロウが徳利を持ってきてサヤの椀に酒を注ぎはじめた。
「あなたには、聞こえているでしょう?」
ニッコリと笑う。美しい人だ。
「呼び水?いや呼び酒かぁ。ええなぁロクロウ!」
若様が杯を空ける真似をして舌を出す。
「若、帰ってからにしてくださりませ。」
若はゆーっくりユウジを見る。手を挙げて舌を出したまま。
一方、サヤは酒の注がれた椀の中を食い入るように覗き込んでいた。
椀の中はうっすら光ってクルクルと酒が回りその縁を撫でている。
「・・・ありがとう、賽の白露。」
振り返るとサヤは椀をオキに差し出した。
「飲んでくだせ。気が紛れるっちゃ。」
「これは・・ありがたい。」沖は一息に呑んでしまった。
すると、白い湯気が立ち上り、今まで痛みで汗ばみ緊張していた沖の体の力が抜けた。
「痛くない・・・痛くないぞ。こりゃぁなんということだ。」
袂を手繰ると乾いた血の跡があるだけで傷がなく、手を握りしめても問題ない。
急いで左足を触る。腫れるどころか内出血もない。
「良かったのう。沖よ。そちは運が良い。」
若様が頬杖をついてにんまり笑っている。
「こっこれが宝の力なのですか?」
「そのようです。」
ロクロウが椀を受け取り、サヤに返す。
「サヤ殿!」
オキはサヤに向かい両手を地につけて頭を下げた。
「サヤ殿。オレはこの右手に傷を負った時、筋まで行ったのは分かっていた。あの場を生き長らえたとしても、剣をまともに握れなくなることは間違いなかった。家族を養うこの利き手は帰らぬとその恐怖を押し込めて戦っていた。だが・・・だが・・あなたは治してくれた。ありがとう・・本当に感謝いたしますっ。」
伏して泣いているようだ。
「あなた様の・・・手ぇが良くなって良かったぁぁ。」
サヤも泣いている。
沖はガバッと身を起こすとサヤに向かい、
「この沖 チエノスケ、サヤ殿に何かあった場合は一命を持ってお守り致します!」
「それはいらねえ。迷惑じゃぁぁ。」
「良かったのぅ!チエノスケ。」
若様がケラケラと笑った。
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