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第七話『水の底の誓い』

その9 異世界崩壊へのカウントダウン

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★第七話『水の底の誓い』
その9 異世界崩壊へのカウントダウン

teller:伊鞠いまり=ハーツカイム

「死にたいわけじゃないよ」

 ミヤはいつだったか、私にそう言った。

「死にたいわけじゃ、ない」

 いつも通りの、眠そうな瞳で。
 ぽやぽやとした声で。
 感情が掴めないぼんやりとした表情で。

「でも、おれね。ずっとずっと、伊鞠ちゃんの近くに居たいの」

 そう言って、私に手を伸ばして。
 きゅっと、弱い力で私の両手を握って。
 掴むとも言えない弱い力で、それでも手を握って。

「だからね。おれ、きみの近くに居られる方法を探してるだけなの」

 『それだけなの』、そう言ってへにゃりと笑った彼の声はやっぱりいつも通りで、ふわふわしてて。
 ふわふわしているくせに、どっしりとした重量感を伴った声と言葉を聞いて、私は。
 どうして私なの、とか何でここまで執着されなきゃいけないんだ、よりもまず。

 ――こいつ、こういう人間なんだ。
 そういう感想を、最初に抱いたのを覚えている。
 紙風船みたいにふわふわした、ミヤにとってのミヤ自身の命の価値を、言葉だけでひしひしと思い知りながら。





teller:柘榴ざくろ=アシュベリー

 十字じゅうじの相棒であることが誇らしい。とは常々思っているが、やはり十字の傍に居ると気苦労は絶えなくて。
 わたしは現在、十字が操縦するビアーのコックピット内で十字に抱きかかえられながら必死にコンピュータのキーボードを叩き、即興のプログラミングでシールドを駆使せてビアーの機体を水中戦仕様に切り替えていく。
 わたしの操作が追いつくのを待つわけでもなく、十字は楽しそうに機体を直進させ、アンノウンが造り上げた奇妙な水の中に迷いなく飛び込んだ。
 その頃にはちょうどわたしの支援が終わった段階だからビアーの機体に特別被害は無かったのだけど、少しはサポーターの作業進捗も確認してほしい。
 自由すぎて他人を思いやる心をどっかに忘れてきた十字は、ギザギザの歯を剥き出しにして、高らかに笑い声を上げた。

「ははっ、随分とおキレイな海を作ったもんだ! イイね、全力でぶっ壊したくなる! 俺にはこういうお上品な世界、一番似合わねえんだからよ!!」

 十字がレバーを握り締め、力任せにビアーの固有装備である鉄球を振り回していく。
 重さに反し、ぐるぐるぐるぐると自由自在に素早く周囲を廻る鉄球は、がむしゃらな動きのようでいて的確に魚型の怪物に命中し、的確に屠っていく。
 水中戦仕様に切り替えたこともあって、機体どころか装備の動きにすら水中の負荷は一切かからない。
 外界で自由に戦闘するのと同じ動きを、ビアーは完璧にこなしていた。ただただ、愉しそうに暴れていた。
 先ほど十字はアンノウンに宣言していた。アンノウンと意思疎通する術があるのか否かはまだ解明されていないが、それでも自分の為に、自分ルールに従って十字は言ったのだ。
 『最後に生き残ったやつが一番の自由を得る』、と。
 だけど十字、今はちょっとそれ、違う気がする。

「あの、十字……言いにくいんだけどさ」

「あ? コックピット狭いことなら気にすんなよ。操縦には問題ねえし、柘榴如きの体重に潰されるほど俺、ヤワじゃねえし」

「シンプルに軽いって言ってくれない? ……いや、そうじゃなくて。ビアーの脚の部分に、さ」

「脚ィ?」

「……ミヤが、しがみついてるんだよね」

「――はァ!?」

 十字の素で驚いた声、珍しいんだよな。
 ミヤが絡む度に今日はいっぱいこの声を聞くから新鮮だ。
 そう思いつつ、モニターに指示を出し脚部の様子を十字に見せる。
 わたしが先ほどシールドで覆ったから、溺れているわけではないけども暴れているビアーにがしりとしがみつきうとうと眠そうにしているミヤ。

「……な、にしてんだよ、あいつ……」

「……本人に聞いて?」

 わたしは浅く溜息を吐き、通信機能で十字とミヤが連絡を取れる状態にする。
 すかさず十字は怒鳴るように声を上げた。

「おいコラてめえっ! そこで何してやがる! 俺の機体にべたべた触んじゃねえ、ひっこんでろ!」

「んー……? ……あー……十字を追いかけたいなあ、って思ってたら、こうなってた」

「こうなってた、じゃねえ! 離せどっか行け、そんでおとなしく溺れとけ!!」

 いや、わたしが溺れさせないけどさ。
 サポーターの技術さえあれば、ミヤの周りにシールドは張ったままにできる。ミヤが水中に揺蕩うこと自体は可能のままにできる。
 何よりミヤに何かあったら、伊鞠に合わせる顔がない。
 十字の傍に居過ぎたわたしにとって、落ち着きがあって常識人の同性の友人というポジションに居る伊鞠は、わたしの人生では貴重なのだ。
 しかし十字がいくら言っても、ミヤはビアーから腕を離そうとしなかった。
 ミヤは眠そうな、とろりとした目のまま、のんびりと言った。

「おれね、十字に興味があるんだ」

「そうかよ。俺はテメェに興味ねえから消えろ」

「『自由』って、なんだろうなあー……って、思いまして」

「話聞いてたか?」

 マイペースなミヤの言葉に、十字が顔を引き攣らせていく。
 ああ、やっぱりこういう状況は珍しい。レアだ。
 十字の辟易も気にせず、ミヤは語る。彼が尊ぶ、彼自身の自由を。

「おれはね、今日は自分の身体を水に任せたい気分なんだあ。波に流されていたいんだよねえ。ゆらゆら、ごうごう、ふわふわーって」

 なんとも擬音だらけの台詞だ。だけどその台詞すら確かに、彼の『自由』だった。
 それだけでも十字を揺るがすだろうに、ミヤはまだ彼だけの自由を述べる。

「でも、溺死はおれの死因じゃないよなあって今はぼんやり思い始めたの。おれ、死因は自分で自由に選びたいからねえ」

 ミヤがホイッスルを手に取る。
 周囲の音声を拾うと、ミヤが勝手な行動をしたせいで何度もミヤに呼びかける伊鞠の声が聴こえてしまった。
 彼女も自分のファイターには常に苦労をかけられている側らしい。道理で気が合うわけだ。

「……膝の上がいい、なあ」

「……は?」

「おれの死に場所。伊鞠ちゃんの膝の上がいい。おれの死因は、伊鞠ちゃんだったらいいなって思うんだ。伊鞠ちゃんの呼吸が原因で、伊鞠ちゃんの吐く二酸化炭素で満たされて死ねたら、最高の最期だなあ、とか。だっておれ、伊鞠ちゃんの一番近くに居たいの。溶け合いたいの。どんな時だって」

 『なんかこいつやばいこと言ってるよ』、と小声で伊鞠に通信を入れると『ミヤはあれが通常運転』と諦めに満ちた伊鞠の声が返ってきた。かわいそうに。

「十字の自由に、おれ、興味ある。だから先におれの自由を言うね。好きなように生きて、好きな死に方で、大好きなあの子の傍で眠る。おれと十字の自由は違うけど、おれも自由は好きだよ」

 十字が凄い顔をしていた。眉を顰めて、色々表情筋を引き攣らせて。
 でもまあ、わたしだけは仕方ないかと思ってしまう。
 ねえ、十字。
 君の生き方はいつも、わたしを含めた多くの人を惹きつける。君の振る舞いは君が疎まれるのと同じくらい、誰かの心を奪うんだ。
 でもこの世界は案外広くて、そんな君の自由に惹かれた人間の中にはこんな風に、君よりずっと自由なやつも、時々は出てきてしまうんだろう。
 ミヤがビアーの脚部から両腕をようやく離す。
 ふわりと水流に流されつつもシールドに包まれたまま、彼はのんびりとホイッスルを吹いた。

「降り臨めー……ビッグバンダー・『ジュロウジン』ー……」

 水中に、弾けるように光が生まれる。
 次に瞬きをしたらもう、ビアーのすぐ隣に一体のビッグバンダーが立っていた。
 やや小柄なビッグバンダー。軽量化に重点を置いたデザインだろう。
 頭部に巻かれたマスクや首元を覆うマフラー状の布、胴体を包みかねないマントが、両手に握られたクナイが、古来の地球文化『忍者』を思わせる。そんな姿の機体。
 あれが、ミヤと伊鞠のビッグバンダー『ジュロウジン』。
 ふとモニターに目を凝らすと、先ほどまでミヤの奇行に振り回されっぱなしだった伊鞠がサポーター用のコンピュータを真剣な表情で構えていた。
 切り替えが早い。その姿だけで彼女が優秀なサポーターだとわかる。
 伊鞠がコンピュータのキーボードを叩き始めたと同時に、ジュロウジンは水中を縦横無尽に駆け回り魚という魚を瞬殺していく。
 水の中に生まれた風、のようにその機体はあまりにも自由だった。

 対抗意識が芽生えたのかどうかは知らない。単に楽しくなってきただけかもしれない。
 ただ、十字が口角を上げた。
 ビアーが行く手を阻む魚の始末をジュロウジンに任せ、鉄球で空間全体を壊しかねない勢いで暴れ出した。全てはこの空間を成り立たせるコアを破壊する為。
 きっと十字もミヤも、この程度の狭さに閉じ込められるような器ではないのだろう。
 自由を、広い世界を求め、彼らは戦い続けるのだろうし、わたしも伊鞠も、そんな彼らを支え続けるのだろう。
 ……後で改めて伊鞠をちゃんと労わろう。わたしは内心そう固く決意し、相棒の、わたしの王の戦いを完璧にサポートするべく自分用のコンピュータに指を滑らせていった。
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