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第五話『ハロウィン・シンドローム』

その11 氾濫する黒

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★第五話『ハロウィン・シンドローム』
その11 氾濫する黒

teller:エレノア=ウンディーネ

 そう、だ。
 光の裏側には、祭りの裏側には、星の裏側には、確かな地獄がある。

 寒い、寒い、冷たくて、凍えそう。
 凍えそうな肌が痛くて熱い、熱い、灼けるように熱い。
 寒い? 熱い?
 駄目だ、もうわからない。
 ただわかるのは、苦しいこと。
 苦しくて、苦しくて、息が出来ないくらいで。
 酸素を求めて喘ぐ喉が、上手く機能してくれない。
 助けを求めて伸ばす手が、ただ宙を泳ぐ。
 そうだ、私は泳いでいる。いいや違う、溺れている。
 闇の中を、上手く呼吸が出来ない世界を、ただただ溺れ彷徨っている。
 こんな世界なのに、不思議と目を閉じることが出来ない。目を閉じることは許されない。
 だから、私の網膜には、地獄が焼き付くように貼り付けられる。
 闇の中なのに、赤が見える。赤い、どこまでも赤い世界が見える。
 人々が、倒れている。命の気配が、感じられない。命の灯火が次々と消え失せて、闇をさらに濃く深くする。
 様々な死の形が、そこには転がっている。
 抉れた肉が、溶けた肌が、曲がった骨が、舞う血しぶきが、痛々しい啼き声が、誰かが誰かの愛する人を、最期に呼ぶ声が。
 この星の痛みと苦しみと悲しみと憎しみの全てが、私の全身に浴びせられる。
 恐怖が、未練が、執着が、狂気が、私なんかを覆い尽くす。
 ああ、痛い、痛い、痛い、痛い。
 私なんかじゃ、こんな苦しみ背負えない。抱えられない。これは、私には重すぎる。
 だけど、目を閉じられない。耳を塞げない。世界の闇が、私に流れ込んでいる。

 これは必要なことなのだと、マジョラムさんは私に言った。
 マジョラム=ラミアさん。私のサポーター。私を、こうした人。
 私がこの星の痛みを知ることは、私の為に、そして彼女の為に、必要なことなのだと。

 だけどわからない、何もわからない。この闇に溺れることで、自分が何を得ているのか、まるでわからない。
 それはきっと、私が出来損ないだからだ。
 きっと、私はまた間違えたんだ。
 これはマジョラムさんが私に与えた折檻で、罰で、私が何か、また上手く出来なかったから、罰として苦しまなければいけないんだ。
 マジョラムさん。
 どうすれば、私は貴方の望むような存在になれますか。
 そうなれれば、私はこの闇から解放されるだろうか。
 だけど彼女の望む人間になることは、私の望みだろうか。
 私の、望みは。
 
 脳裏を、温かい記憶が過ぎる。私の数少ない、温かい記憶。
 バッカスさんと、チャドくんと過ごして。
 シュークリームが美味しくて。
 バッカスさんが、頭を撫でてくれて。
 ――大人に、頭を撫でてもらえて。

「……何を、考えているんだい? わたしの愛し子や」

 低く甘ったるい、妖艶な女性の声が耳元で響いた。
 優しく、囁かれるように。
 息を呑む間もなく、私の喉元に彼女の手がかかる。

「っ……マジョ……ラム、さ……っ」

 気を抜いたことが、ばれてしまった。ああ、私、また上手くできなかった。
 マジョラムさんが私の首を愛おしそうに絞めながら、血色の瞳に情けなく弱々しい私の姿を映す。

「何も考えてはいけないよ。目を開けて、耳を澄ませて、ただ世界を受け入れる。それだけでいいんだよ、わたしの可愛い愛し子」

 愛し子。
 マジョラムさんは、私のことをそう呼ぶ。
 彼女は私を、『愛してる』と言う。
 だけどマジョラムさん、私、わからないことがあるんです。

 愛って、一体何ですか。
 貴女は何故、私を愛しているんですか。

「さあ、もっと溺れておくれ。わたしの愛し子。――おまえに、思考など必要ないんだから」

 苦しみが増す。意識が遠のきそうになる。
 そう、だ。
 疑問も思考も自我、本当は持っちゃいけないのに。
 私を覆う闇よりも澱んだ彼女の瞳は、今日も私の心の奥底にまだ懲りもせず残る疑問に、応えてくれそうにない。

 ――いつも、そう。平和の裏側にあるのは、私が知る世界は、こういう、地獄だ。
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