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過去【少年と彼】
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しおりを挟む…一度辛い思いをしたせいで失くした記憶を、もう二度と戻らないようにする。
恐らくまーくんにとってはそれが一番良いんだろう。
「……」
布団の中で横になって、何時間も眠り続けていたまーくんの瞼が軽く持ち上げられた。
窓の外はもう真っ暗だった。
「…まーくん、おはよう」
「…あお…い…、くん…?」
眠そうにとろんとした瞳が声に反応して、ゆっくりと視線を動かして俺を捉える。
逸る心を隠しながら、そっと労わるようにその髪に触れた。
「大丈夫?どこか痛いところある?」
「…いたい、とこ…?…どう、だろ…なんか、ぼーとしてて、…」
掠れた声で小さく返される言葉。
…まだ、顔色が悪い。
本調子には戻っていないようだった。
「…そっか」と頷いて、少し緊張しながら問いかけてみる。
「…眠る前にあったこと、覚えてる…?」
「…おれが、ねむる…まえ……、」
「……」
ぼんやりと空を見上げるまーくんに、静かに瞳を伏せた。
…覚えて、ない…か。
意外に自分でも驚くほど期待していたらしい心は、その言葉で一気に地獄に突き落とされたような気分になる。…前に記憶を失っててもいいって思ってたのに、どうしてこんなにも望んでしまうんだろう…俺は。
…だけど、今は自分のことよりまーくんのことが優先だ。
そう思って、何か声をかけようとした。
瞬間、
「…、ま…え……っ、ぁ…」
「…まー、くん…?」
「あ゛、あ…っ、」
「…っ、」
突然苦しそうな声が聞こえる。
顔を上げれば、まーくんは腕の皮膚から血がでるほど強く爪で押し付けていた。
危ない足取りで起きあがって壁の方に歩いていく。
何をするのかと思えば頭をそこにぶつけようとしていた。
まずい、と焦って急いで手を伸ばした。
「…危な…っ、」
腰を抱いた腕で、そうさせないように引き寄せる。
いとも簡単にその身体は俺の方に倒れてきて、腕の中に収まった。
「や…っ、」
「まーくん、大丈夫だよ」
「…こわい…っ、こわい…っ、やだ…っ、」
ばたばたと暴れようとするまーくんを後ろからぎゅっと抱きしめて声をかける。
その背に触れた身体越しに、鼓動を感じる。
もう一度大丈夫、と呟いた。
「ぁ゛…っ、ぁああ…っ」と言葉を話せない赤子のような泣き声。
腰に回した腕の上に、ぽたぽたと冷たいものが落ちてくる。
…まーくんの瞳から零れる涙。
それは何度も落ちてきて、止まることを知らない。
…見てるこっちが痛みを感じるほどの、泣き方で
「いいこと、教えてあげようか」
「……いい、こと……なに…?」
「今から…まーくんが安心して生きていけるように、俺が魔法をかけてあげるから」
「……まほう…?」
「うん。魔法」
まーくんが俺なしでは生きていけなくなるような、そんな魔法。
正しく表現すれば、少し言葉が違うかもしれない。
…魔法じゃなくて、…とっておきの暗示をかけてあげる。
振り向いて、そろそろと不安そうにこっちを向いたまーくんにふわりと笑う。
唇を噛み締めてくしゃりと顔を歪ませている顔を見て、何だかこっちまで泣きそうになってきた。
「…(…魔法、)」
その単語だけ聞くと、まるで何でも叶えてくれるんじゃないかと錯覚するほど希望に満ちた言葉。
これはほとんど賭けだった。
俺がまーくんにとっての『特別』になれるかどうかの…賭け。
無意識に声に懇願の響きが混じる。
「…俺が忘れてって言ったらまーくんは全部忘れられる。」
「…わすれられ、る…?」
「嫌なことは全部、記憶から失くすことができる。怖いことを遠ざけることができる」
「……とお、ざけ…」
まだ意識が完全にははっきりしないのか、俺の言ったことを虚ろな瞳であまり呂律のうまく回らない声で暗唱する。
…そう。そうすればいい。
「でも、それをできるのは俺しかいない。…まーくんにそうやって魔法をかけられるのは俺だけだよ」
「……あおいくん、…だけ…?」
「…うん。他の人間にはできない」
…勿論、今回が初の試みだから、もしかしたらまーくん次第では記憶を消した時にもしかしたら、今こんなことを言っている俺のことすら忘れてしまう可能性はあるけど。
人の記憶についてはどういう原理になっているのか、いまだによくわからないから。
こうすることで本当に何かを得られるという保証もない。
それに今まで読んだ記憶喪失に関係するどの本にも現実味を帯びたものはなく、碌なことが書かれていなかった。
だから、この方法だって成功したって証明があるわけじゃないし、…失敗する可能性だって大きい。
怖くないかといえば嘘になるかもしれない。
…でも、今が唯一のチャンスだと思った。
成功すれば、まーくんの『特別』になれる。
失敗すれば、俺はまーくんにとって知らない人間に戻ってまた一からやり直し。
例え失敗したとしても。
もしまーくんが俺のことをまた忘れるなら、それでもいい。全部忘れてもいい。そうしたら、また一からやり直せばいい。
そうやって何度も繰り返せば…。
その度に俺のことを覚えてもらえば…他の人間よりは多少その心に俺の存在を少しでも残せると思うから。
「あの日約束した通りに…俺が守ってあげる。怖いこと全部から守るから。…だから、まーくんも今言ったこと守れる?」
「…うん、わかった…やくそく…」
今のまーくんは約束なんて全く覚えてないだろうけど。
それにほとんど思考が働いてない状態で言われたことを全て理解したとも思えないのに。
…でも、意外なほど案外あっさりと頷いてくれた。
こくんと緩慢に頷く動作。
「……ちゃんと理解できるまーくんは偉いな。良い子」
「…えへへ…おれ…いいこ、…」
頭を撫でて褒めると、あどけなく頬を緩める。
…素直で可愛い。
そんな姿に見惚れながら、まーくんの耳元に優しく囁きを落とす。
「…だから…まーくん、全部忘れて。眠って」
「……うん。ねむい…」
忘れて。嫌なことは全部失くしてしまえばいい。
それが、まーくんの為にもなる。
一度記憶を失くしたまーくんには、それほど難しい作業じゃないはずだから。
布団の上に一緒に身体を横にして、まーくんを軽く腕の中に閉じ込めながらその髪に唇を軽く触れさせた。
「…おやすみ」
「…おや、すみ…なさ…」
最後まで言葉は呟かれずに、穏やかな寝息へと変わる。
さっきよりも幾分規則正しく深くなった呼吸。
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