手足を鎖で縛られる

和泉奏

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吐き気と、暴力と、

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「…なのに」


小さく呟いた言葉に、恨みと怒りの感情が滲む。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
心が叫ぶ。
でも俺には、自分が何を、どうして嫌だと思っているのかがわからなくて。


「なんでここにいるんだよ…っ、なんでいなくなってくれないんだよ…!!おれにはもう蒼は必要ないのに…っ!!」


必要ない。必要ない。必要ない。
叫んだ言葉を何度も何度も頭の中で繰り返す。
ちゃんと自分の思いを伝えているはずなのに、身体の奥の深い部分は際限を知らないように言葉を吐くたびに、一秒もたたずに傷を増やしていく。

違ったのに。本当に蒼に言いたかった言葉は、こんな言葉じゃなかったはずなのに。


「あの時だって今だって、俺は蒼のことなんか好きじゃない。本当に好きになんかならない。なってない」


心の痛みを失くしたくて消したくて、こんな言葉を吐いているのに痛みはやわらぐどころかますます酷くなって、目の前が真っ赤になりそうな激痛に意識を失いそうになった。

蒼が何かを言い返す余白さえないくらい、早口で捲し立てる。
まるで言い返されるのを怖がっているようにそんな隙を与えない。

彼はこんな俺の言葉なんて聞いたって何とも思わないだろう。
馬鹿みたいに叫んで喚く俺の姿を見て、内心笑っているのかもしれない。見下しているのかもしれない。
馬鹿だろうって嘲笑われてるのかもしれない。


…でも、そんなのどうでもよかった。

知らない感情のせいで生じる痛みをどうにかしたくて、言葉を吐き出さずにはいられなかった。


「いま、おれには御主人様がいてくれて、だからもう蒼は必要なくて、それどころかもう嫌いで…っ、嫌いで嫌いで大っ嫌い…っ、だから…ッ」


閉じた唇の隙間からぐぐもった声が漏れる。

そう思わないと、思い込まないと、胸が潰れそうで苦しかった。
待っても待っても、どれだけ苦しいことに耐えても来てくれない蒼のことを嫌いだと口にすれば安心できた。
蒼が来なくたって、嫌いだから、嫌いな人だから、会わなくても辛くない、平気なんだって思えた。
そう思ってるはずなのに、心のどこかでいつか来てくれるって、期待するのをやめられなくて。


…やめられない自分が許せなくて。


「…っ、」


思考の中で不意に冷静になった自分が気づく。

(…ああ、そうだ。俺が大嫌いなのは、許せないのは、蒼じゃなくて…俺自身…なんだ)

寂しがりで、いつも自分のことしか考えてない俺は、やっと自分の気持ちをぶつけられる相手がそこにいるとわかって感情を全部恨みに代えて投げつけてしまう。

もう話すな。言葉に出すな。迷惑をかけるな。
そう思っているのに、結局自分の気持ちばかり考えてる自己中な口はとまらない。
ずっと求めていた相手だからこそ、意地を張ってしまう。

ばかみたいな、言葉で彼を傷つけてしまう。


「だから…っ、ひっ、く…おれ、おれは…っ、蒼に見捨てられた、ひ…っく、って、つらくないし、悲しくないし寂しくないし泣かないし、むしろ――」


寂しくなんかなかった。
捨てられたんだって言われても辛くなかった。
蒼がいなくたって平気だった。


そう訴えるように口にした瞬間、ぶわっと涙が今まで以上に零れ落ちてくる。
嗚咽で言葉が言葉にならない。


「…うれ…、っ!」

「まーくん」


静かな声だった。
子どもみたいに泣き叫ぶばかりの俺を蔑むわけでもなく、批判するわけでもなく、ただ夜の海のように酷く静かな声音だった。


…でも、少しだけ上擦った、震える彼の声。

その声に反応して俯いていた顔を上げると。

いつの間にか”彼”はすぐ目の前に来ていて


「…ぁ…、」

「っ、」


反射的に小さく声を上げて身を引こうとした瞬間、至近距離で見えた彼の表情に動きが止まる。

……――目を見開いた直後、後頭部に触れた手で引き寄せられた。

身体に回された腕で息も止まりそうになるくらい強くギュッと抱きしめられる。


(――…ッ、!)


息が詰まる。
視界が全て紺色に覆われる。
頬に触れている彼の肩の感触に、体温に、瞬きさえできずに硬直した。


「…っ、まーくん…まーくん…」

「……」


鼻に香る蒼独特の優しくて甘い香り。
身体を包みこむ、温かい感触。

何度も何度も…俺を呼ぶ彼の声。


(……いま、おれ……だきしめられて、る………?)


一瞬固まって、すぐに自分の状況を理解してハッとする。
唇を噛み締めて、急いで離れようと身を捩った。
心臓がバクバクと煩いくらい早鐘を打っている。
目に溜っていた涙が零れ落ちた。


「…っ、な、ん…ッ、はなれ…っ、」

「嫌だ。離さない」

「…ッ、」


呼吸をする間もないくらい、すぐ返される強い拒否の言葉。
あまりにも躊躇いがないその返答に驚く。
ビクっと肩が跳ね上がって、突き放そうとして少しだけ持ち上げた震える手をゆっくりと下ろす。

困惑する。戸惑うように視線が揺れる。
彼の言葉にも、自分自身の感情にも、戸惑いを隠せない。

離してほしいのに、離れてほしいのに、なんでそんなこと言うんだ。
…蒼に抱きしめられただけで…傍にいるだけで、なんでこんな気持ちになるんだ…。

久しぶりに触れた彼の体温に、香りに、声に、心が、全身が、声をあげる。
苦痛でなく、喜びの、歓喜の涙が目に溜っていく。

それでも、身体は彼から離れようとして、足を後ろに引こうとした瞬間
耳元で囁かれる短い言葉。


「…会いたかった…っ」

「ッ、」


弱く震える、涙まじりの声音。

ドクン。

大きな鼓動を立てて、呼吸が止まった。
聞こえてきた言葉の意味が一瞬わからなかった。
信じられない。


(”会いたかった”…?)


嘘?
本当…?
いや、それが真実なわけがない。


だって、

蒼は俺に会いたくないはずで、
俺はずっと蒼の邪魔をしてきて、
縛って、
恨まれて、
嫌われて、
俺は、捨てられて、

だから、俺は蒼にそんな風に、会いたいなんて思われるわけなくて、思ってもらえるわけなくて、
むしろ、もう一生顔も見たくないと思われる対象で、

蒼に嫌われてるのは、大嫌いだと言われるはずだったのは、
…蒼じゃなくて、俺の方で、

(だから、だから…っ)

じわじわと目頭が熱くなってくる。


「…ぁ、あお、」

「…やっと、会えた…」

「…っ」


彼の名を呼ぼうとして、それを遮るようにぽつりと零される言葉。
思わず眉を寄せてしまうくらい、肩の骨も砕けそうな程激しく抱きしめられた。
後頭部をおさえる手で、強く首元に顔を押しつけられる。
腰に回された腕に抱き寄せられて、俺と彼の身体の間には少しの隙間もなかった。
抱き潰すように腕で強く俺を抱いて、まるで泣いているような声で縋るように彼は叫ぶ。


「…ずっと、会いたかった。会いたかった…っ」

「…あお、い…」

「死ぬんだと思った。…俺はもう、まーくんに会えずに死んでいくんだと思ってた」


気持ちを吐き出すように零される、低く掠れて震える声に目を見張った。
熱の籠った彼の声。
ほっと安堵するような響きに滲む心の痛み。


彼の声だ。
蒼の声だ。
…ずっと変わらない、変わってなんかない、俺が求めていた人だ。

凍っていた心を溶かすように、胸が熱くなる。
空洞だった心の穴が埋められていくような錯覚。


「……っ、ふ、…く…」


閉じた唇の隙間から、嗚咽が零れる。
たとえその言葉が嘘だったとしても、本当じゃなかったとしても。
俺にはどうしても彼の言葉が、嘘だなんて思えなくて。

……その言葉を聞いた瞬間に、堪えられなくなった感情が爆発して胸が強く震えた。


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