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吐き気と、暴力と、
感情
しおりを挟むその原因が何か、誰に対してのものかはわかっていた。
(…真冬くん、)
きっと今もベッドですやすや寝ているだろうその姿を思って、瞳を伏せる。
俺は真冬くんに幾つか嘘をついて、今ここにいる。
今日だって、俺は蒼に会うだけじゃなく、蒼の”代わり”を務めるためにも、…この屋敷に赴いていた。
その後ろめたさに胸を痛めつつ、辺りを見回しながら歩いていると、そんな思考を邪魔するように声をかけられた。
「蒼様、」
「……」
「…蒼様、」
「うるさい。俺に話しかけるな」
「…っ、申し訳ありません…ッ、」
低い不機嫌な声音を出して睨み付ければ、ビクリと震えて青ざめた黒服は土下座をするような勢いで頭を下げた。
きっと今まで蒼の一言で腕を切り落とされたり、”処分”された人を見たことがあるからだろう。
その男を色のない瞳で見下ろして吐き捨てた。
「次、余計な口を挟んだら殺す」
「…っ、」
あからさまに殺気を隠しもしないドスの効いた声に、気の毒なほど血の気が引いた黒服の顔から視線を外して廊下を歩く。
久しぶりにこんな冷たい声出したな、なんて考えて可哀想なほど血の気が引いているのを見て、ちょっとだけ怯えさせてしまって申し訳ないと思う。
でも、そんなことに気を取られている余裕は今の自分にはない。
普通ならこれで黙るはずの黒服が、今日に限って俺に食い下がってくる。
「…ッ、で、ですが…、その…、椿様からの伝言が、ありまして…」
「…椿さんから?」
怪訝に眉が寄る。
”椿さんからの伝言”という言葉に緊張が身体に走る。
ピタリと足を止めて、振り返ればホッとしたようにその黒服の表情が和らいだ。
周りを気にするようにこそこそと声を潜める様子に、ああと納得する。
この男は椿さんが”俺”に用意した伝達人らしい。
…つまり、俺が蒼じゃないということを知っている側の人間だ。
そして、小さな声で告げられた言葉に、また混乱した。
「…それが、蒼の居場所教えるための条件…?」
「はい。…そう、承っております」
その肯定の言葉に嫌な予感がして、ゴクリと唾を飲みこむ。
(…なんとなく、そう来るような気はしてた…かな)
でも、本当にやるとは思ってなかっただけに少し焦る。
本気で椿さんは…、父は、蒼を屋敷の中に永遠に取り込みたがっているらしい。
悲しい笑みが浮かぶ。
…ああ、もう、蒼ってば、本当に変な人達に気に入られちゃうんだから。
そんなことを思いながら、案内された部屋の前で、伝えられた言葉の意味をよく噛み締める。
そして、ふぅと大きく深呼吸してから、部屋の扉を開けた。
中にいる”誰か”と目があって、平静を装って言葉を口から吐き出す。
「遅れて申し訳ありません」
「…あの、蒼様…、澪です。またお会いできて、とても嬉しいです。緊張しすぎちゃって、困りますね…。…ふつつか者ですが、どうぞ末永くよろしくお願いいたします」
そうして、照れた顔で笑う高そうな質の良い着物を着た彼女は。
”貴方の妻になる者です”、と。
とても嬉しそうな表情で俺に告げた。
――――――――
俺は、笑顔を浮かべて。
彼女を受け入れるように、言葉を受け入れるように、その手を優しく取った。
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