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彼が、いない
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しおりを挟む「…わかった。これからはそうする」
こくんと頷くのを見て、よかったと息を吐いた。
あ、と思う間もなく身体から力が抜けて、床にへたり込んだ。
「……何をしても赦してもらえるとは思ってない」
暗く、重く吐き出された言葉に顔を上げる。
「腕を切るって言ったことも本気だったけど、多分またまーくんを困らせてたのかな。…でも本当に、あれ以外に他にどうしていいかわからなかったんだ」
容姿と合わせているように常備されていた冷たい表情は欠片もない。
……今は疲れきった様子で戸惑い、深い後悔を滲ませて苦しそうに息を零している。
「…まーくんが近づきたくないと思うくらい、酷いことをしたって自分でもわかってる。…謝っても許してもらえないぐらい酷いことを、した」
「………」
「あんなことしておいてって思われるかもしれないけど、俺はまーくんに辛い思いをさせたくない。……だから、俺のせいで苦しめるくらいなら、まーくんには近づかないようにするよ」
「…っ、ぇ、」
もう一度謝罪の言葉を口にしてから目を伏せた蒼は、教室から出ていこうとする。
その手を反射的に掴む。
「…俺、は…っその、…もう怒ってないから」
怒ってない、というより、あの時はされたことに怒りを覚えるよりも。
ただただ、悲しかったんだ。
自分には誰かにあんなことされても怒るほどの感情を持ってなくて、怒れるほどの価値が自分にあるとも思ってないから。
…俺は、誰かに一度好きって言ってもらえたら。
どんなことをされるよりも、その誰かが離れて行ってしまうことが、その好きが他のものに変わってしまうことが、一番嫌だと思ってしまう。
勿論、嫌だった。
行為自体はすごく嫌だった。
すごく怖くて苦しくて何度も泣いたけど。
…された行為よりも。
「…(…今、蒼に離れていかれることのほうがずっと怖くて、辛い)」
何度も何度も、こうやって蒼を引き留めて。
どんなことをされても、繰り返すたびにされることは酷くなっていて、何か違うモノになっているってわかっているのに。
心の中でそう思っても、口から出る言葉は蒼を引き留める言葉ばっかりで。
多分、また蒼に同じことをされてもきっと許してしまう。
それでもいいから、傍にいてほしいって思ってしまう。
なんでここまで執着してしまうのか自分でもわからない。
多分、普通の人はああいうことをされた時点で離れていくべきだと思うんだろう。
俺の方が異常だと、それでも一緒にいたいなんておかしいと思うだろう。
わかってる。
そんなこと、頭の中ではわかってるんだ。
それでも、俺は誰かに自分の存在意義を認めてもらえなければ死んでいるも同然で。
好きだと言ってくれるなら、それを謝ってくれたなら、離れていくことを容認することしたくない。
「…………」
胸がズキリと痛む。
誰かが離れていくたびに、胸に激痛が走る。呼吸が出来なくなる。
なんで、なんて知らない。
でも、それは気づいた時にはいつの間にかその癖がついていた。
あの時、蒼に犯されていた時より今の方がずっと心臓がばくばくしてる。
嫌だと、思っている。
「お願いだから、…もう近づかないなんていわないで………」
祈るように声を絞り出す。
ああ、俺は多分どっかでおかしくなったんだろう。
俺に酷いことをした蒼に、それでもいいからと傍にいてほしいと縋ってしまう。
「俺は、泣いて嫌がるまーくんを無理矢理犯した」
「…っ、」
その言葉に、身体が大げさにびくりと震えて反応する。
「それでも、傍にいていいって思えるの?」
「………。……………うん」
「……そっか」
小さく頷くと、ふ、と溜息まじりの吐息を吐く気配がした。
気遣うように髪を撫でられる。
それから優しく抱きしめられて、その腕の中で受け入れられたことに安心して身体から力が抜けた。
「…本当に、まーくんは…ばかだな」
「…俺も、そう思ってる…」
自分でも頭がおかしいと思う。
…でも、傍にいてくれるんだと。
蒼は、また以前のように近くにいて笑ってくれるのだと。
そう感じた瞬間に、最近の寝不足が原因か、緊張が一気に解けたのが原因かはわからないけど。
酷い睡魔が襲ってきて、蒼に身体を預けて目を閉じた。
視界が真っ暗になる。
「ごめん…。なんか、ねむくて、げんかい…」
「いいよ。何もしないって約束するから、眠って」
子守歌みたいに優しい声音に安堵して、眠りに身をゆだねた。
――――――
誰よりも、彼の傍が一番安心する。
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