手足を鎖で縛られる

和泉奏

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彼が、いない

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***

そこからしばらくは何にもない、平穏な日々だった。

蒼と話すこともなく、ずっと隠れるようにして俊介と学校生活を過ごす。

それでも時々、彼の冷たい視線が俺に向けられているのを感じてはいたけど、別に話しかけられることもなかった。


そんなある日。

それは、俺がトイレから教室に戻ろうと一人で歩いていた時のことだった。

不意に目の前から蒼が歩いてくるのが見えて、反射的に身体が強張る。



「…っ、」



目を合わせないように、顔を見ないようにしようと俯きながら歩く。
普段は俊介が近くにいてくれたけど、今は一人しかいないから一人でこの場を乗り切るしかない。

…いつもみたいに、誰かの後ろに隠れることなんてできないんだ。


(…すぐに震えるな、ばか)


ぎゅっと片方の腕を手で掴んで、震えをおさえてみる。
蒼との距離が近づくたびに、どくどくと心臓が早鐘に鳴って。

灰色の地面と、自分の上履きだけを視界に入れて歩く。



「……」



――ドクン。


――ドクン。



…もうすぐで、すれ違う。



前話したときは授業資料を持って行ってくれて優しくしてくれた。
だから、こんなに震えるなんてどうかしてる。

だめだ、こんなの。

そうは思っても、この前の蒼の冷たい目が脳裏に蘇るとどうしても気軽に声なんかかけられない。



「………」


何事もなく通り過ぎた瞬間に、ふ、と身体から力が抜けて膝から崩れ落ちそうになった。


(…よかった。また、蒼に何かされるなんて、…自信過剰だった)


――安堵して、息を吐いた瞬間。


「…っ、わ」


腕を掴まれて、引っ張られる。
驚いて小さく声を上げて振り返ると、蒼がじっとこっちを見つめていた。


(…――っ、)


心の中で悲鳴を上げて、でもそれは声にならなかった。

久しぶりに近くで見上げる彼の整った顔に、どきまぎとして思わず視線を逸らす。

それは、いつか見た優しい瞳じゃなくて、あの日と同じ…、氷のように冷たい瞳で。

震える唇を開いて、喉から声を絞り出した。


「あ、の…、何か用?」

「……」


そう問いかけてみても、彼は見てるこっちがぞっとするほど冷たい視線を俺に向けたまま何も言葉にしない。

蒼がそんな瞳をすると、綺麗な顔をしているせいで余計に怖く見える。


「…っ、」掴んでいる手を外そうと引っ張ってみても、びくともしない。


その雰囲気が段々怖くなってきて、早く教室に戻りたくて、
「は、離し…っ」と最早悲鳴のような声を上げながら身体を引くと

その形の良い唇が弧を描く。

嘲るような笑みが怖くて、全身から血の気が引く思いに駆られた。


「…柊」

「…っ、」


また、…苗字、
呼ばれるだけで、何を言われるのかと怖くて肩が跳ねた。

そんな俺に動じた様子も見せずに、彼は言葉を紡ぐ。

その冷たい微笑みから目が離せない。


「俊介ってやつと付き合うことにしたんだって?」

「…へ、」


予想もしないその言葉に驚いて、呆気に取られた。


「…(え、えっと、)」


すぐには蒼の言っている言葉の意味が理解できない。

今、なんて言った?

俊介と付き合うことに『したんだって』っていった…?


「………」


…なんかその言い方だと。


(…俺が俊介ともう既に付き合ってる、みたいに聞こえる、んだけど)


確かに俊介に付き合わないか、みたいなことは言われた。

でも、あの後蒼にされた行為によって頭の中がぐちゃぐちゃになっていて、それを俊介が支えてくれて……そのことはうやむやになってしまっていた。

忘れていたわけではない。

覚えていたけど、あの後から何も言ってこない俊介に自分からそのことを切り出すのもなんか変な気がして結局流してしまっていた。

だから、付き合うなんて言ってない…はず…だ。


「……あ、の……」


どう答えようか迷っている間に、蒼が俺の腕を引いてどこかへ向かう。


「え…っ、蒼…っ、ちょ…ッ」なんて慌てて、引っ張る手に抵抗するように力を入れても蒼は意にも解せずどんどん教室と逆方向に歩いて行ってしまう。

チャイムが鳴って、他の生徒が授業で教室に戻っていく中、

全く別の方向に進んでいく俺と蒼。


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