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黙ってちゃわかんねーって。
第5話 捕縛?屠殺?ほぼ夢うつつ?
しおりを挟むなぜだ?なぜ僕の目の前にこの衛兵が、いや、この男がいる?
この男は、たしか、確かに僕の逃走に不意をつかれたはずだ。宿屋の前に佇んでいたはずだし、僕が窓を破ったときにも、慌てて駆け寄ってきたはずだ。
いくら足が早くとも、いくら早く判断を下そうとも、僕に追いつくことなど、いや、僕を追い越して待ち構えるなんてこと、できるはずがない。
………窓を破ったときにやってきたのは本当にこいつだったのか?
僕は考える。
そうだ。僕は二階に上がってから、窓を破った時に、こいつの姿をみたわけでも、こいつの声を聞いたわけでもない。
あくまで、そうだろうと予測して言っただけだ。
予感を働かせただけだ。
当てずっぽうで適当に。
緊張感が、空気中を走る。
「お前はよぉ、少々楽観屋なんだよなぁ。そもそも、俺が一人でついてくるってことにもっと疑惑を持ってかかるべきだったんだ。普通に考えれば簡単にわかっちまうだろうに。」
衛兵は続ける。
「そもそもなぁ、お前はここのルールを知らなさすぎだぜ。いいか?お前みたいなのはどう考えてもよそ者だろう。よそ者は原則、滞在許可証と入国許可証を常に携帯してねぇといけねぇんだぜ。これはなぁ、許可証を貰う時に、めっちゃしつこく言われることなんだとよ。」
僕は察した。みなまで言わずとも僕はわかってしまった。
僕の愚かさ、適当さ、楽観さ、馬鹿さ、全てが裏目に出てるということを。
「それによぉ、第三区域って他の区域と比べてちょっと特殊でなぁ。本屋が無かったり、飯屋が無かったり、娯楽屋がなかったりしててなぁ」
僕は、どうする?
一体、どうする?
「しかも、宿屋も一つもねえんだ」
……なるほど。つまり僕は、あの時許可証を持っていないと答えた時点ですでに、負けていたのか。
逃走作戦もなにも無かったのだ。
「ま、つーことでよ。お縄屋についてくれや」
僕は、何も言わない。口も開かない。感情を表さない。僕はただ、立っている。
緊張感はただひしひしと伝わってくるが、心なしか、威圧感は何も感じない。
衛兵が、右手にもつ槍をしっかりと握る。そんな音さえしっかりと聞こえる、奥の人通りの喧騒は、まるで異世界のように見える。
さて、どうすっかな……
「おい、なに突っ立ってんだ?まさか、まだ逃げようっておもっ――」
「あっ!」
と、僕は衛兵の気を逸らす。ほんの一瞬、緊張の糸を緩ませる。さらに、僕が声を出すのと同時に、道中のガラクタからこっそり盗っていた木の棒を思いっきり、衛兵の顎めがけて投げつける。実際には顎ではなく、右ほほの辺りに飛んで行ったのだが、しかし目的は攻撃でなく陽動だ。衛兵が気を逸らしている間に、僕はすかさず後ろへ走る。
「だぁぁっ!てめぇ!」
後ろから声が聞こえる。今度は間違いなくあの衛兵の声だ。だが僕はそんな叫びには確固たる意志をもって聞く耳を持たない。そのままただ走るのみ。
僕は複雑で足元の混雑した路地裏を、上手いこと集中して走り抜ける。途中何度か、足元に気を取られてちょうど頭の位置にあった看板やら電灯やらに頭をかすめ、そのたびにひやひやさせられた。
「おいっ!止まれ!お前!逃げてもロクなことねえぞ!」
先ほどの衛兵だ。あの鎧で、この悪道をよく走ってこれるもんだ。
「お前の顔っ!覚えたからな!指名手配だ!わかるか!どうせ今ここで逃げても!すぐに!仲間が捕まえんだぞ!」
なんだなんだ?僕に警告?そんなことをしてもいいのか?―――だって僕がそれを聞いて、衛兵の軍団を意識して警戒してしまう可能性があるだろう。無論、そうなれば捕まえるのは困難になるだろうし、ましてやいいことなど一つもない。
…………そういえば、僕、これからどう逃げよう?
この衛兵をまいたとしてその後どうする?この衛兵がいうように僕はきっと違法入国者として指名手配される。そうなったらどうする?
この異世界で、孤独の世界で、どう生きる?
そんな向こう見ずな思考は、路地裏の終了をもって中止される。目の前は人混みでごった返している。この人混みに紛れさえすれば、この衛兵を撒けるはずだ。
僕はペースを一切緩めず、走り抜ける。
「待てぇ!“罪人”!」
衛兵が今までになく大きな声で叫ぶ。
僕を、罪人と呼ぶ。
………
それはなんだか、いかんせん、なんというか———悪い気は、しなかった。
だがもちろん僕はそんな叫びには目もくれてやらない。そういえば、この衛兵、最初に『お前、油断屋なんだな』と余裕めいて言っていたのだが、速攻でそのクール風も崩れてしまっているのでいかんせん目も当てられない。
————しかしどうだろう。結果論ではあるのだけれど、この衛兵の渾身の叫びは決して負け犬の遠吠えなんかではなく、この場合、この状況におけるもっともな最善策というのだから、つくづく僕は不幸者である。
僕が、路地裏を、抜けようとした、その瞬間。
「違法入国者、か」
などと言いながら、突然角から人が出てきた。
僕がそのまま走っていくとぶつかってしまうので僕は仕方がなくスピードを緩める。
目の前にいるのはやけに高級そうで、豪華そうで、高貴そうで、真っ白の極まった服に身を包んだ、青色と水色と白色の三色が混ざった髪、僕なんかよりもずっと背が高く、そしてその全身から確かに感じる威圧感、荘厳感、偉大感、絶対感、親近感。
……親近感?この人のどこに親近感を感じなければならないのだろう。自分で言ってひどく不思議だ。
「……っ!軍団長!そいつ違法入国者です!捕まえてください!」
「君、人を泣かす人間をどう思う」
どうやら僕に質問しているようだ。
人を泣かせる人間、人を悲しませる人間、人の感情引き出す人間、そんな人間を僕は——
「……質問の意味がよくわかりませんが、人を泣かせるのはクズのやることですよ」
——心底、どうでもいいと思った。
目の前の男は言う。
「そうか。私も人を泣かせる奴はクズだと思う。しかし、それで泣く奴はもっとクズだ」
と、とてつもなく冷たく乾いた声で言った。本当にただ、言った。そこに何の感情もなかった。
「では、君は自分をどう見ている」
これまた意図のわからない質問。
後ろであの衛兵が肩で息をしているのがわかる。
僕は少しだけ考えた。自分を見る。いや、視る、か。客観視とかそういう話なのだろうか?なんというか、この人は説明不足なところがあるな。
ふと、僕は緊張感を全く感じていないことに気づく。先ほどまで逃げていて、それがもう絶望的な状況になってしまったので、完全にあきらめ、もうどうしようもない結果になっている、その現れなんだと僕は勝手に解釈する。
…………客観視ね。確か前に六問さんに言われたことがあるな。
『お前は自分の事を他人視点でしか見れねーんだな。なんていうんだっけそういうの?』
とかなんとか。
僕は目の前の男に冷静さをもって答える。
「誰かの影みたいなもんですよ。カードの裏面です。表面は僕じゃない他の誰かでね。僕の代わりなんてだれでもいいんですよ。なんせ日陰者は僕以外にもいますから」
と、あえて少しずれたことを言っておいた。いきなり本質に触れるべきでは無いと判断したからだ。……いや、僕が単に自分のことを嫌いすぎているだけだ。故に自分のことなど考えたくもない。そういうことだ。
「軍団長、連行しま――」
「そうか、なら君は」
―――― なのか?
僕は、この問いには答えなかった。
答えたくなかった。
こいつは一体なぜ、わかったんだ?なんでそんな問いを僕に投げかけた?
あれはもう、僕のことを過去現在含めて完全に理解していないと、そもそも考えすらしない。
たった二つの質問で?
「あ?なんだ?こいつがなんですって?」
「ふむ。その顔はつまり、肯定だな」
そう言った後、男は、僕のほうに歩いてきて、肩が触れたかと思うと、
ドスッ。
腹に鈍痛が走る。吐き気と共に意識が遠のいていくのを感じる。どうやら男に鳩尾を殴られたらしい。このまま意識を失いそうだ。
意識を失ったらどうなる?
まぁどうせ牢屋にでも入れられるのだろう。
異世界から来たのだとわかれば、牢屋ではなくどこかの高貴なベットの上だろう。
そんな呑気な妄想に耽って、僕はとうとう目を閉じてしまった。
最後に映った、あの男の顔は、最初と一切変わっていなかったが、朦朧とした意識の中で見ればそれは————
いくつもの感情が、無限とも取れる感慨が、永遠とも評される余韻が、混ざり混ざって結果無表情を彩っている。そんな顔に視えた。
だからといってなんだというのか。
一体この男は何者なんだ?
僕は、混沌の思考の中で、何にも決着と区切りもつけられないまま、意識を完全に失った。
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