上 下
5 / 18

夏といえばお菓子作り

しおりを挟む
 夏、といえば海なんてことはこの家ではない。

 当然、シャルナーク家は夏に海水浴やリゾートに行くことはなく、オルガを筆頭にみんな屋敷に籠っている。あまりにすることがなさすぎて、ウェンディはお菓子を作ることに決めた。
 いつも、カロラインがお菓子を用意してくれていたのだが、何事もチャンレンジ精神が豊富なウェンディはカロラインに簡単に作れるお菓子のレシピを聞いて、厨房に駆け込んだ。

 昼食が終わった後で、コックたちは昼休憩に行っているようで、厨房の中は誰もいなかった。カロラインも、お使いにでかけると言っていたので、今この屋敷の中でお菓子作りにおいて頼れる人はいない。

 厨房の戸棚はよく整理されていて、調理器具も綺麗な状態だ。あらかじめカロラインに使っていい食材を聞いていたから、メモを見ながら必要なものを探した。

「何してるんですか?」

 別にいたずらをしているわけではないのだが、突然背後から声をかけられてウェンディはびくんと肩を揺らした。 
 振り返ると、庭園の様子を見た帰りのユリウスである。服の袖に土がついている。これは…帰ってきたカロラインに怒られるかもしんない。

「お菓子を作るのよ。一緒にする?」
「うん!」
「じゃ、手を洗ってきて。袖に土がついてるから、まくっておいてね」

 ユリウスはわくわくといった表情で小麦色の瞳を輝かせた。急いで、支度をしている。ウェンディは、その間にもう一度メモを確認して、調理器具を取り出した。

「ウェンディは料理ができるんですか?」
「できないわよ」
「えっ」

 ユリウスが目を丸くした。
 貴族の女性は普通料理をしないから厨房に立っているウェンディを見て料理ができるのだと勘違いしたのだろう。ウェンディも厨房に立つのは初めてである。なんなら、食材を見たのも初めてである。小麦粉ってなんぞや。砂糖と全く区別がつかない。まあ、カロラインのメモのおかげで材料間違いは防げそうではあるけど。

 ユリウスに卵を割る作業をお願いして、小麦粉をふるいにかけた。料理の知識がないため、なんのためにふるいにかける必要があるかわからないが、とりあえずレシピ通りにやれば問題ないはず…。
 卵とミルク、小麦粉に砂糖を加えて、混ぜたらカップの中に生地を入れる。

「ほんとにこの量でいいんですか?」
「うーん。でもレシピにはカップの半分くらいって書いてあるのよね」
「でも、いつも食べてるのはカップいっぱいに入ってるよ」
「そうよね」

 いつも食べてるカップケーキは、この量より確かに多いはずだ。カップ半分だと、少なすぎる気がするし、いつも食べているのと同じようにカップいっぱいに生地を流し込んだ。

 あとは、焼くだけ。もくもくと煙がでてきて、厨房にいい匂いが立ち込める。甘くて優しい匂いに、ユリウスもウェンディもうっとりする。


 その匂いにつられてか、厨房に来客者が来た。「おい、何か食事を用意しろ」といきなり厨房に押し掛けてきたその人物はユリウスたちを見て固まった。オルガである。

 オルガはここ最近領知の問題が山積みらしく、執務室から出てこられない日々が続いていた。今日の昼食にも顔を出さなかったから、よほど忙しいのだろう。眼の下には隈をかっていて、あまり眠れていなそうだ。オーブンの前でカップケーキが焼けるのを今か今か止まっているウェンディたちを見つけ、「邪魔したな」といってすぐに去ろうとする背中を、ウェンディが引き留めた。

「もうすぐカップケーキが焼けるんです。余分に作ったからもしよければいかがですか?」

 疲れていそうだし。ウェンディだってこの家に来たからには何か役に立つことができればと思っていた。
 領知経営の知識もないし、社交界にもでれないから、ウェンディにできることは今までなかったが、今、この時は彼の役に立てると思ったのだ。

 ユリウスに視線を向けると、目があった。ユリウスもオルガのことを心配しているようだ。ウェンディがユリウスの背をそっと押すと、ユリウスは意を決して声をだした。

「ち、父上に、僕の作ったカップケーキを食べてほしいです!」

 普段、オルガに全く自己主張しないユリウスが声を張り上げた。オルガは、じっと固まって、そして厨房の中に入ってきた。オルガは無愛想に見えて、実は身内には甘いことをウェンディは知っている。

 夕食の時に、ユリウスとウェンディが話している内容をしっかり聞いていることも、フィリス経由でユリウスに新しいカードゲームをプレゼントしていたのも、実は知っているのだ。

 全く言葉は足りていないが、オルガはユリウスのことをオルガなりに心配して、かわいがっていた。

「で、それは大丈夫なのか」
「え?」

 オルガとユリウスの関係に微笑ましく思っていると、オルガが指をさした。その先に目を向けると、もくもくと黒い黒煙が…。
 急いで、中のカップケーキを取り出すと、見事にいくつかは炭と化していた。そして、カップケーキをはみ出して馬鹿でかいケーキができていた。な、なんでだろう。

 無事だったケーキを取り出して、テーブルの上で冷ましている間、ユリウスとウェンディは落ち込んでいた。

 やっぱり、レシピ通りしなきゃいけなかったんだ。

 レシピにはレシピ通りしなくちゃいけない意味がある、とウェンディはまた新たに学んだ。そんな二人を横目に、オルガはひょいっとカップケーキを摘まんで、かじった。もぐもぐと何の感情も読み取れない表情でただ咀嚼している。ユリウスと、ウェンディはどきどきしながらオルガの様子を見ていた。

「悪くはない」

 そう言って、カップケーキを食べたオルガは、新たに二つのカップケーキを持って厨房から出ていった。どうやら、オルガは甘いものが好きなようである。ウェンディとユリウスは顔を見合わせて喜んだ。



 カップケーキは、焦げていて少し苦かった。
しおりを挟む

処理中です...