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「狭い部屋ですみません」

 鍵を開けて中へ招き入れると、男は興味深そうに室内を見回した。特に面白いものなど無いはずなのにしげしげと眺められると、妙に緊張してしまう。

「適当に座っててください、今用意するんで」
「いえ、必要ありません」

 食事の準備をしようとした手は彼の言葉によって行き場を失った。どういう意味だろう、と目を瞬かせていると、男はゆるりと口角を上げた。

「君をいただきますから」

 言葉の意味を問う前に腕を引かれ、気が付いた時には男の腕の中に収まっていた。抱き締められている、と気が付いたのは数秒経ってからだった。

「え、あ……?」
「じっとしていて」

 慌てて身体を離そうとしても、腰に回された腕はびくともしない。赤い瞳に射竦められると、頭に靄がかかったように思考が鈍っていく。

「知らない人を簡単に部屋に上げるな、と教わりませんでしたか?」

 まるで子供に言い聞かせるような口調でそう言いながら、男の手が首筋に触れる。頬を包み込むように添えられた掌はいやに冷たい。

「それとも、君とは相性が良いのでしょうか」
「な、なに……」

 言葉の意味を理解するよりも先に男の端正な顔が近づいてくる。蛇に睨まれた蛙の如く硬直していると、ぬるりとした感触が唇を這った。これは何だ、と考える間もなく割り開かれた口の中に温かいものが侵入してくる。

「っ、ふ……ぁ、んぅ……」

 歯列を割って入り込んできた長い舌は、生き物のように口内を動きまわる。上顎を擦られたかと思えば頬の内側を撫でられ、その度にぞくぞくとした感覚が背筋を走り抜ける。どちらのものともつかない唾液を流し込むように深く口づけられ、こくりと喉が鳴る。

「ん、む……っ、や……」

 とろとろと喉の奥に流れ込んでくるそれを飲み込むたび、頭の芯がぼんやりと霞んでいく。呼吸すらままならず息苦しさを感じているはずなのに、それすらも今は心地良い。

「ふぁ……あ、は……」
「ふふ、良い具合だ」

 すっかり力が抜けて崩れ落ちそうになった身体を支えるように、再び腕が腰へ回る。逃げなければ、と理性が警鐘を鳴らすのに、身体はまるで言うことを聞いてくれない。それどころか目の前の存在に縋りつこうと無意識に腕を絡めてしまう始末だ。

「なんで……こん、な……」
「君がとても美味しそうだったので」

 耳元で囁かれた言葉に背筋が震える。喰われる、という本能的な恐怖からずるずると後ずさりすると、男も手を離さぬままゆっくりと歩を進めた。やがて背中に冷たい玄関扉の感触が伝わる。この扉さえ開ければ逃げ出せるのに、縫い留められたように目の前の人物から視線を逸らすことができない。

「今日は様子見だけのつもりでしたが、気が変わった」

 震える手でドアノブを掴もうとするが、それよりも先に男の腕が伸びて来る。カチ、とドアのチェーンを掛ける音が嫌に重く響いた。

「逃がしたくなくなってしまいました」
「な、に言って……」
「さあ、部屋へ戻りましょう。痛くはしませんから」

 そう言いながらも、男の目は獲物を見つけた捕食者のように鋭く細められていた。同時に、するすると影のような何かが男の背後から現れた。触手のように揺らめくそれは、意思を宿しているかのように蠢いている。

「……!」

 恐怖に支配されながらもどうにか逃れようと身を捩るが、その動きを封じるように影の一部が腕を絡め取る。その間にも足先からじわじわと影が這い上がり、服の中に潜り込んでくる。

「大丈夫です、怖いことは何もありません」

 宥めるような声音とは裏腹に、男の目は爛々と輝いていた。手は相変わらず腰を抱いたまま放してくれない。引き摺られるようにして居間へと戻され、ベッドの上に押し倒される。

「鍵でも何でも、君が望む物は全て差し上げます」
「は……?意味わかん、な……っ」

 じゃらじゃらと男の袖口から小さな金属が滑り落ちる。よく見ると、それはこの家と全く同じ形の鍵だった。先程男から受け取ったのと寸分違わぬ銀色の塊が、いくつも零れ落ちてベッドの上に散らばる。手足に絡みついていた影がそれらを飲み込むように蠢いたかと思うと、再び身体中を弄るように蠢き始めた。
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