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「ミリー」
「……っ」

ヒースの声に一瞬びくりと震えるミリー。
こちらを見るその瞳は強気で自分が浮気をしたのにも関わらず悪い事をしたとは思っていなさそうだ。

「何よ、婚約破棄するんでしょ?別に良いわよ!私はどんな手を使ってもオリオンと結婚するんだから!」

ミリーったらそんなにオリオンの事を好きなの?
あんなにきっぱりと拒絶されたのに……
誓いの言葉も終えてしまったし、宣誓書にサインさえしてしまえばオリオンが何と言おうとこのまま二人を夫婦にさせてしまう事は可能だ。

だが……

「ははっ、まだそんな事言ってんの?」
「な、何よ」

こんな場面にも関わらずくすくすと楽しそうに笑うヒースにミリーが後ずさる。

「ミリーはね、この後ブランシュフォール子爵の所に行くんだよ」
「は?」

ブランシュフォール子爵とはもう五十を超えでっぷりと太った男で貴族の中でも評判が悪く、特に若い女が好きでメイドにまで手を出し子を作ってしまったとかなんとかの噂が絶えない人だ。
既に3人程妻が代わっており、そのどれもが『年増には興味がない』というとんでもない理由だったと聞く。
年増と言っても彼女達はまだ全員30代にもなっていなかったと思う。
領地経営の手腕だけは優れていてお金だけはあり金払いも良いから気に入られている間は贅沢な暮らしが出来るらしいけれど、飽きたら無一文で放り出すらしい。

はっきり言ってクズである。

私も声を掛けられた事があったがオリオンと婚約していたから諦めたと言われた。
その時のねっとりとした視線が気持ち悪かったのでよく覚えている。

そんなブランシュフォール子爵の所へと行くと聞かされ固まるミリー。
段々と顔色が悪くなり叫び始めた。

「いや、嫌よ!どうして私があんな奴の所に行かなきゃならないの!?」
「ミリーに拒否権はないよ。もうあちらとは話ついてるから」
「私の意思は!?」
「関係あると思う?」
「……っ」

実はミリーの家は金銭的に困窮していてヒースとの婚約でかなりの金額を援助してもらっている。
婚約が破棄されるとなると当然彼女の両親は金策に走らざるを得ない。
加えて今回の婚約破棄による慰謝料も請求されるのだからその額はどれくらいになるのだろうか。
ミリーの家は正直、子供を道具としか見ていない。
だからこそヒースの家の後ろ盾がなくなるのなら即座に他の金持ち……即ちブランシュフォール子爵に嫁がせるというのも納得だ。
オリオンの家も中々のものだが、ミリーの家の借金その他諸々を肩代わりしてくれるかというとそうもいかない。

「大丈夫、ブランシュフォール子爵は初物でなくても若ければ良いらしいから、暫くは可愛がってもらえるよ」

笑みを崩さないままに言い放つヒース。
ぼそりと『雰囲気がキャスに似ている所も良いとかふざけた事言ってたのは反吐が出るけど』と何やら呟いていたのは聞こえなかった。

「嫌だってば!オリオン!助けてよ!」
「うるさい!俺はお前のせいでキャスに婚約破棄されたんだぞ!?次の嫁ぎ先が決まってるだけ良いだろうが!」
「酷い!私があんなエロジジイの所に行っても良いって言うの!?」
「俺には関係ない!」

つくづく最低な男ね。
一度でも関係を持ったのならそれなりの情もあるのかと思っていたけれど微塵もない様子に軽蔑しか感じない。

オリオンに再度冷たく拒否されたミリーは何故かこちらを睨んできた。

「あんたのせいよ!あんたがいるから……!」
「私の?」
「そうよ!みんなみんなあんたの事ばっかり!あんたがいるから私はいつまで経っても2番で幸せになれない!せっかくオリオンを奪ってやっとあんたに勝てたと思ってたのに!」

ああ、私はずっとそう思われていたのか。
ミリーのセリフに合点がいく。

親友だと思っていたのは私だけだったのだ。
1番も2番もない、対等な関係だと思っていたのも私だけだったのだ。

(オリオンを好きだと言っていたけど……)

本当に好きだったから奪ったのか私の婚約者だから奪ったのかはわからないけれど、私がオリオンの惚気話をする度にミリーは心の中で『私に寝取られているとも知らずに』と嘲笑っていたに違いない。

「どうして私があんな男の所に行かなきゃいけないのよ!若けりゃ良いのならあんたが行けば良いじゃない!」

そんな事を言い出すミリー。
すぐにヒースが私の前に立ちその視線から守ってくれた。

「子爵の所に行く事になったのは自業自得だろ?大人しくしときゃこうはならなかったんだからキャスに責任転嫁するなよ」

そうよ、浮気なんてしなければヒースと結婚出来たのに。
こんなに良い人いないわよ。
いつも優しくて頼りになって、くだらない事でも笑ってくれて、例え苦難があっても共に乗り越えていける強さを持つ人なのに。
ヒースと結婚したら穏やかで楽しい毎日が待っていたというのに、本当に馬鹿なんだから。

「それにさ、オリオンを愛してるだのなんだの言ってしかもオリオンだけとか言ってるけど俺達が何も知らないとでも思ったか?」
「っ、な、何のこと?私は、オリオンだけが……」

完全に目が泳いでいる。
これでは何かあると白状しているようなものだ。

「はいはい、これ証拠ね」
「んな……!?」

再びばら撒かれる証拠達。
先程のオリオンとのものではなく、そこには不特定多数とそういう行為をするミリーの姿があった。

事前に見せて貰った時から思っていたけれど、よくもまあこんなに大勢の相手が出来たものだ。
聞く所によると一夜限りの関係もあったらしいから相手はもっと多いのだろう。

オリオンが『何だと!?嘘吐き女め!何が俺だけだ!何が初めてだ!』とか何とか喚いている。
その意見には同意するけれど貴方が非難出来る立場じゃないでしょう。

「『婚約者は馬鹿で凡庸で金しか取り柄がない』んだって?」
「いや、それは……!」
「良かったな!次の婚約者も『金払いだけは最高に良い』らしいぞ」
「……っ、金払いが良くてもその他が最悪じゃない!嫌よ!」
「だからミリーに拒否権はないんだよなあ。それに浮気相手の中には家族がいる人もいたから、そっちからの慰謝料諸々もあるし」
「い、慰謝料?」
「ん?あれ?もしかして婚約破棄だけで済むと思ってた?そんなはずないだろう?」

はははっと爽やかに笑い引導を渡すヒース。
ミリーは嫌だやめてあんな人の所に行きたくないと騒いでいるが、未だにヒースに対しても私に対しても謝罪の一言もないのが何だかなあと溜め息を吐く。

「人の婚約者に手を出しておいて反省も謝罪の一言もないのだな」

同じように感じていた父が横から出てきてミリーにそう告げる。
冷静さを装っているが怒りに震えているのがわかり、さすがのミリーも怯え始めた。

昔からちゃらんぽらんなミリーの父に比べて父は私にもミリーにも厳しく接していたからね。
ミリーの父も兄である私の父には逆らえないから尚更なのだろう。

「おじさま……」
「キャスに一言でも謝罪があればこちらも多少は口利きしてやろうと思っていたが……温情など必要ないようだな」
「っ、待って!おじさま!謝るから!ごめんなさい!これで良いのよね!?お願いだから子爵の所にはやらないで!」
「謝る相手が違うだろう?」
「あ……」
「言われて初めて、それも自分の保身しか考えていない謝罪には何の価値もない。良いか、ブランシュフォール子爵に嫁ぐ事になったのは自分の身から出た錆だ。キャスのせいじゃない。自分のせいだ」
「……っ」

父にそう言われ唇を噛み締めるミリー。
それでもまだ私を睨む様子に父は再び溜め息を吐き訊ねた。

「キャス、どうしたい?」
「キャス……」

こちらに話をふられ、ミリーもこちらを見るが視線で『許すと言え』と訴えられている。

叔父夫妻が我関せずとばかりに黙っているのにも腹が立つし、可哀想だと思う。
ブランシュフォール子爵の所へ嫁ぐのにも同情する。
私だったらと考えると絶対に嫌だと拒否したい気持ちもわかる。

でも残念だけど、私は許せそうにない。

許したところでもうあちらと話はついているのだから意味はないだろうし。
父の口添えも、酷い扱いはしないでくれ程度でしかないだろうし。

「私はお父様の判断に従うわ」
「ちょっと!」
「そうか、なら弟の決定に意を唱える必要はなさそうだ」
「っ、うそ、嘘でしょう!?待ってよ!ねえ!ねえったら!」
「諦めろって」
「嫌よ!待って、そうだ!私今オリオンと誓いを交わしたわよね!?それならもう私はオリオンの妻よね!?重婚は出来ないもの、それなら私は……」

一筋の光を見つけたとばかりに叫ぶミリーに、私は静かに答える。

「出来るわよ」
「はあ!?」
「ちゃんと聞いていなかったの?」
「何をよ!」
「言ったわよね?『式の真似事だけでも出来たのだから』って」
「!!!」

意味がわかったのか目を見開くミリー。
宣誓しただけでは婚姻は結ばれない。
その後に宣誓書へのサインをしてそれが受理されて婚姻が結ばれるのだ。

常識のはずのその知恵をすっぽりと忘れていたらしいミリーに周りも呆れている。

「そんな、そんな……いや、いやああああ!!!」

それからはいくらミリーが泣こうが喚こうが誰も彼女を、もちろんオリオンすらも気にかけはしなかった。
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