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第1章
ヒナセの人生(4)
しおりを挟む「……王妃様が亡くなりました」
「え…」
朝、起こしに来てくれるメイドから一番にその知らせを聞いて、全然理解が出来なかった。
確かに昨日は訪問を断られたが、一昨日ヒナセと会った時、ギュッとヒナセを抱き締めてくれた王妃様は温かく、いつも通り笑っていた。
なのに、王妃様が……もう居ない…?
「うそ…うそだ……」
もつれそうになる足で何とか立ち上がり、「あっ」と制止するメイドを振り払い、もはや目を瞑ってでも行けるくらい一番通い慣れた道を一直線に走る。
あとから思えば、ヒナセが走ったのはその時が初めてだった。
息を切らしながら辿り着いた見慣れた部屋は、既に扉が開いていて、おそるおそる中を覗き込めばいつもと変わらない穏やかな時間が流れている。
窓から差し込む光とそよ風で揺れるカーテン。大きな天蓋付きのベッドは今日も綺麗にベッドメイキングされ、ヒナセの位置からは王妃様の足でできたこんもりお山だけが見える。枕元には先客の王様が居て、王妃様と穏やかに話しているらしい。
ほら、嘘だった。
メイドさんが朝から驚かせようと意地悪したんだ。
「おう…ひ…さま、ヒナセ、です」
王様との話に夢中で、いつもみたいに外で見てるだけじゃ気付いて貰えそうにないから、そっと小声で来たことを告げる。そうすれば、笑顔で手招きしてくれるから。
「おう…ひ、さまぁ…」
怖い。
動かないベッドのその先を、見るのが、怖い。
声が震え、溢れそうになる涙を必死に堪える。
溢れてしまう前に早く呼んで。
「ヒナセちゃん」って、いつもみたいに呼んで――
「ヒナセ、入りなさい」
やっとかけられた声は望んでいた王妃様のものではなかった。王様の低く落ち着いた声がヒナセに入室を許可する。
一歩、また一歩と歩む足取りはまるで足に重い足枷がついているかのようにとてつもなくゆっくりにもかかわらず、それでもいつかは目的地へたどり着いてしまう。
王様の隣に立ち、俯いていた視線をそっと枕元へ向ける。そこには、眠るように綺麗に目を閉じる王妃様が静かに横たわっていた。
「王妃、さま…」
たくさんの初めてをヒナセに与えてくれた王妃様。
黙って隣に立つ王様になんと思われようが構わない。いつも通りベッドによじ登り、より近くの枕元にぺたりと座り込む。
そっと伸ばした手が触れた頬は温かさを微塵も感じず、血の気のなさで青白くなってしまっている頬にポタリポタリと落ちるヒナセの涙。
「ぅ、うぅぅっ~~あぁぁっ」
声を上げて泣くことも、初めてだった。
「……ヒナセ」
「お、ひさま、おうひ、さまぁぁやだ、やだ、おいてかないで、さみし、おうひさまあぁぁぁ」
「ヒナセ」
ベッドにぺたんと座り込んだままのヒナセを後ろから強く抱きしめる衝撃に「っ!」と一瞬泣き声が止んだ。
「ヒナセ、食事をしよう……王妃からの言いつけだ」
「っ、」
ヒナセの体を強く抱き、普段より上擦った王の声。
ヒナセの悲痛な泣き声と、すすり泣くメイドたちの静かな声が響く室内で、ただ一人、王様だけは泣いていない。
だけど、王妃様を優しく見つめるあの日の王様の笑顔がいつまでも頭から離れなかった……。
悲しいのはこの人も一緒だ、一緒に、取り残されてしまった。
ひぐっとさらにしゃくりあげたヒナセはガバッと後ろを向き真正面から王にしがみつくと、その高価な衣服に涙鼻水がつこうがお構い無しにヒナセは泣いた。
王もまた、静かに受け止めた。
散々泣いて両目を真っ赤に腫らし、酸欠なのかぼーっとする頭で王様に手を引かれながらいつも食事をとる部屋まで二人で歩いた。
王妃様はヒナセを守られる存在だと言ったけれど、人は簡単に毒で命を落としてしまう……そんな現実を目の当たりにし、自分は守られるのではなく守りたい、と思った。
繋がった大きな手を小さな手でギュッと握り、涙を一切流さず悲しむこの人を、これからこの先、絶対にひとりにしない。
「おうさ……陛下」
「……なんだ」
「これからもご飯はずっと一緒、です」
「……そうだな」
ヒナセを見つけ連れてきてくれたこの人を―――
王妃様が愛したこの人を―――
王妃様の分まで守りたいと、ヒナセは強く思った。
こうして、ヒナセがあの白い世界を出てから早くも十年以上の時が流れた。
連れ出された先で生きるか死ぬかわからないと思っていた、ヒナセは、二十歳を過ぎた今もなお、陛下の傍で生きている。
一番近くで、陛下を守って、生きている。
『ヒナセ』
“ヒナセ”という名はヒナセが唯一生まれた時から持っていたもの。かつては『ヒナセちゃん』と呼んでくれる優しい女性がいたが、今では陛下だけがそう呼んでくれる。
陛下の口から発せられる低く心地よい声で聞くヒナセという響きが好き。呼ばれる度に頬がだらしなく緩んでしまうのを我慢するのがヒナセの密かな格闘だった。
「ヒナセ」
「へ……か」
喉が焼けるように痛い。
呼吸が苦しい。
視界が霞む。
だけど、
今日もまた、
陛下を守る事ができました、王妃様―――
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