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2【1泊2日の慰安旅行】
2-4 旅の始まり(4)
しおりを挟むふと肌寒さを覚え、温もりを求めてもぞもぞ動くとすぐにじんわり温かい感覚が全身に広がる。
僕を優しく包み込んでくれる温かな何かに安心し、浮上しかけた意識は目覚めることなく再び沈んでいった。
*****
バス特有の揺れと共に次に意識が戻った時、頭上では聞き慣れた声のやり取りが交わされていた。
「花ちゃんお金、後で渡すね」
「大丈夫だよ~たっきーのおごり」
「お前……はぁ、ほんと大丈夫なんで」
そんな会話の出処を温かい何かにもたれながらぼぉっと眺め、再び顔を埋めていく。
「つかささん?」
起きました?耳元で囁かれる優しい声が心地いい。
頬に触れてくる新たな温もりも気持ちよくてすりと擦り寄っていく。
再び耳元でまだ眠い?と囁かれ、素直にうん、と頷いた。
ここまでは夢と現実の区別がつかない曖昧な意識の中でのできごと。
「うわぁ甘々…」
「先輩もそんな風に甘えるんすね…」
「かわいいでしょ俺のつかささん」
次の瞬間、パチッと目が覚めた。
一瞬ここが何処なのか戸惑い、視界の端に映る窓の外の風景が素早く流れていく光景にここが走行中のバスの中だと思い出した。
その間、じっと固まっていた僕の視界にびっくりするほど至近距離で楓真さんが入り込み、ふわりと微笑まれる。そして伸びてきた彼の手が僕の膝にある黒いコートを引き上げる動きを視線で追うと、その動線上で彼の右腕を両腕でしっかり抱き込みさらにその手を握っている自分の手が目に入った。
「っ!?」
慌てて離そうにも、ガッチリ握られビクともしない。あの、これ、とアピールするが、なんのその。にこにこ嬉しそうに抱き枕になるのこれで2回目です。と報告された。
1回目も全く記憶にない僕は頭にいっぱいはてなを浮かべていると、座席の間のほんの隙間から目だけが覗く花野井くんが、あっと声をあげた。
「もしかして楓真くんのロック画面がその時の?」
「正解。俺の宝物ベストショットです」
楓真さんのロック画面など見たことの無い僕はさらにはてなの数を増やし、なんの事ですか、と2人に問いかける。そうして初めて見せていただいたそれは、眠る僕とモデルみたいに決まった表情をみせる楓真さんの全く身に覚えのないツーショットだった。信じられない事に、この写真の中の僕もガッチリ楓真さんの腕を抱き込んでいた。
わなわな震える両手でスマホを持ち、ガン見してしまう。
「全然…知りません…」
こんな写真は本当に全く記憶になかった。おそらく初めて楓真さんと会った日の楓珠さんのご自宅での時だとは思うが……
「つかささん、お酒入るとやばいです」
「う……だいたい飲んだ次の日は記憶が曖昧なので極力飲酒は控えていたのですが…」
「本当に、そうしてください。俺のいない所では絶対に飲まないで」
お願いだから、と切実に言われてしまいその節は相当迷惑をかけてしまったんだ、と反省する。
だけどそれとこれとは話は別だ。
「わかりました気をつけます……けど、ロック画面は変えてください」
「えっ、イヤです…」
「こんな醜態を晒してしまっているものを堂々と設定しないでください。あと、正常じゃない時に撮影するのも禁止です」
全部消してください、とお願いしても、絶対イヤです、の両者譲らず押し問答。
いつまでも埒のあかない攻防戦に、終始その様子を見守っていた花野井くんが明るくあの~と声をあげ注目を集める。
「せっかく買ってきたミルクティ冷めちゃいますよ~たっきーのおごりのミルクティ」
その言葉をきっかけに思い出したのか、そうだミルクティと座席のカップホルダーに置かれた蓋付きのカップを僕へ差し出してくる楓真さん。
「さっきのサービスエリアで買ってきてもらいました、まだ熱いので気をつけて飲んでくださいね」
「あ、ありがとうございますいただきます」
素直にカップを受け取りゆっくり口をつける。
いつの間にかバスの冷房で冷えた体に温かな甘さがじんわり広がり美味しい。
ほっと息を吐き両手で暖をとっていると満足そうに微笑まれた。
結局それでロック画面の件をうやむやにされていた事など、その時の僕は全く気付いていなかった。
その後もバスは走り続け、例年の慰安旅行でのあれこれを話題にずっと話し続ける楓真さんと花野井くん。たまに相槌を打つ程度で聞くに徹する僕と、イヤホンで音楽を聴きはなから話にも入らないマイペースな瀧川くんといった風に過ごしていた。
「そういえば先輩って、宴会中はずっと社長の隣から離れないですよね、あれって社長の配慮ですか?」
この慰安旅行は基本各自自由に過ごすのだが、夜だけは宴会場で揃って夕食を共にする。そこではもちろん上の人も新入社員も上下関係なく一緒なのだが、宴会にお酒は付き物だ。
「そうだね…さすがに上の人からのお酌を断るのは厳しくて、でもお酒厳禁と社長に言われていたからお言葉に甘えて社長に全部躱してもらってたかな」
「さっすが社長~紳士ですねぇ」
「つかささん、今夜は絶対、俺の隣にいてください」
約束、と指切りまでされるが絶対楓真さんは至る所から引っ張りだこだ。楓珠さんも今年はきっと楓真さんを各所に紹介するのに忙しいことだろう。
2人と違って何もやることはない僕はせめて迷惑をかけないよう今夜の宴会は早々にフェードアウトしよう、と心に誓った。
長時間高速を走り続けたバスもそろそろ出口へと近づいていた。
乗り込んだ時にはドキドキしていた心臓も今では穏やかに旅行を楽しんでいる。
この会社に務めてから何度も来ていた慰安旅行。今までは楓珠さんと行動を共にし木村さんの運転する車で道中過ごしていたが、今回は初めてのバス移動。
向かうところは同じなのにバスというだけで全く違うわくわく感。それは共にする相手も関係しているのかもしれない。隣を見れば必ずいる楓真さん。これからの1泊2日、きっと多くの場面でそう感じるのだろうな、とこっそり期待で胸をふくらませていた。
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