87 / 113
懐かしい味
しおりを挟む「クオーツ様は少々急用で席を外されていますが、何かあれば呼ぶようにと言われております。お呼びしましょうか」
「……いえ、大丈夫です」
なんとなく今は気分も落ち着いている。
ここ数日の間、僕に付きっきりで出来なかった公務の邪魔を少しでもしたくなかった。
体を起こそうともぞもぞしているとすかさずラルド様の手が支えてくれる。
しっかりした逞しい力がどこか懐かしいと思うのは、幼少期のラズの記憶か、それとも、翡翠の記憶なのか───
「……相変わらず、自分の気持ちは押し殺して我慢をしてしまうんですね」
「え?」
「いえ。気分は如何ですか?」
「よく眠れたみたいで、スッキリしてます」
「それは良かった」と微笑まれる優しい表情にひょぁっと気分が上がれるくらいには体調はいいらしい。
推し活は生きる糧と言う言葉はその通りだと強く思う。ぐふふ、と笑いを堪えていると「ラズ様」と呼ばれ、慌てて顔を上げればそこには、何かを言い淀むような歯切れの悪い様子のラルド様。
珍しい……
「ラルド様?」
「あの、もし大丈夫そうであれば、こちらを召し上がってみてください」
「へ?」
ラルド様の背中に隠れるようにして置いてあったワゴンから何かを準備する動作に興味が惹かれる。
どうやら目を覚ます時に聞こえた小さな物音はこれだったらしい。
「そもそも私が作った物なのでお口に合うかどうかも…ダメだと思ったらすぐにやめてくださ───」
「ラルド様の手作りですか!?」
ここ数日どん底まで落ちていたテンションが一気にぎゅいんっと爆上がりする。
推しから頂けるものは空気でも嬉しいのに、手作りとなるともはや金山を掘り当てたレベルの喜びだ。
何がなんでも食べるっ、とわくわく待っていると照れくさそうに出されたお皿の上に乗った四角いつるんとした形状の食べ物にポカンと言葉を失った。
「……これ」
「さっぱりしたものでしたらラズ様もお口にできるかと思いまして」
「たまご…どうふ…?」
パッと見、その外見から想像するのは味もシンプルでさっぱりした玉子豆腐。
玉子と出汁で作るシンプルで冷たいこの料理が僕は大好きだった。……しかし、この世界では出汁という和食の文化は存在しない。基本、コンソメやブイヤベースなどの洋食ベースの味付け。
ラズとして生まれてこの方、この料理を目にしたのは初めてだった。
お家柄、こういう料理が出てこなかっただけで、この世界にも玉子豆腐は存在したのだろうか───
僕が知らなかっただけ……?
お皿と共にスプーンも手渡され受け取るが、なかなかその先に進めず、じっとそれを見つめ続けていた。
ひとりでにバクバク暴れ始める心臓。
そんな僕に何かを確信したのか、ひとつ小さく頷くラルド様は目線を合わせるようにベッドサイドの床に膝をつく。
一度渡されたお皿を再びワゴンの上に戻され、あ…と視線で追っていると、空いた手をそっと握られる。
「あなたは昔から、体調を崩され食が細くなってもこれなら食べてくださりましたから」
「なん…で…それ…」
もう一度言う。この世界で僕はこの料理に出会ったことも食べたことも無い。
最後に口にしたのははるか昔、今と違って病気がちな体質だった翡翠はよく熱を出しその度に何も食べたくないと臥せっていると前世のラルド様──蒼唯が作ってくれた、それが最後。
それを偶然にも、蒼唯と同じ魂を持つラルド様が作ってくださった。
これが意味する事は───
「知ってます。ずっと見守ってきましたから」
「何を…言って……」
目を見開き、震える口は上手く言葉を紡げず、言いたい事がすんなり出てこない。
混乱する頭の中にはもしかして…と抱く淡い期待と、いやそんなはずは無いと打ち消す否定が激しく入り乱れる。
そんなパニック寸前ながらも、そうであって欲しいという隠しきれない期待を浮かべてしまう僕の表情を真っ直ぐ見据えたラルド様は、はっきり肯定するように頷くと確信的な言葉を口にした。
「ずっとあなたを見守っておりました───」
「……」
「翡翠様」
「───っ!あお…い…」
ふっ、と微笑むその表情に懐かしい付き人の面影がピッタリ重なり、考えるより先に動く体は勢いよく目の前の首元へ覆い被さるように抱き着いていた。
725
お気に入りに追加
2,257
あなたにおすすめの小説
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
上手に啼いて
紺色橙
BL
■聡は10歳の初めての発情期の際、大輝に噛まれ番となった。それ以来関係を継続しているが、愛ではなく都合と情で続いている現状はそろそろ終わりが見えていた。
■注意*独自オメガバース設定。■『それは愛か本能か』と同じ世界設定です。関係は一切なし。
【完結】薄幸文官志望は嘘をつく
七咲陸
BL
サシャ=ジルヴァールは伯爵家の長男として産まれるが、紫の瞳のせいで両親に疎まれ、弟からも蔑まれる日々を送っていた。
忌々しい紫眼と言う両親に幼い頃からサシャに魔道具の眼鏡を強要する。認識阻害がかかったメガネをかけている間は、サシャの顔や瞳、髪色までまるで別人だった。
学園に入学しても、サシャはあらぬ噂をされてどこにも居場所がない毎日。そんな中でもサシャのことを好きだと言ってくれたクラークと言う茶色の瞳を持つ騎士学生に惹かれ、お付き合いをする事に。
しかし、クラークにキスをせがまれ恥ずかしくて逃げ出したサシャは、アーヴィン=イブリックという翠眼を持つ騎士学生にぶつかってしまい、メガネが外れてしまったーーー…
認識阻害魔道具メガネのせいで2人の騎士の間で別人を演じることになった文官学生の恋の話。
全17話
2/28 番外編を更新しました
俺は北国の王子の失脚を狙う悪の側近に転生したらしいが、寒いのは苦手なのでトンズラします
椿谷あずる
BL
ここはとある北の国。綺麗な金髪碧眼のイケメン王子様の側近に転生した俺は、どうやら彼を失脚させようと陰謀を張り巡らせていたらしい……。いやいや一切興味がないし!寒いところ嫌いだし!よし、やめよう!
こうして俺は逃亡することに決めた。
国王の嫁って意外と面倒ですね。
榎本 ぬこ
BL
一国の王であり、最愛のリヴィウスと結婚したΩのレイ。
愛しい人のためなら例え側妃の方から疎まれようと頑張ると決めていたのですが、そろそろ我慢の限界です。
他に自分だけを愛してくれる人を見つけようと思います。
結婚して5年、冷たい夫に離縁を申し立てたらみんなに止められています。
真田どんぐり
恋愛
ー5年前、ストレイ伯爵家の美しい令嬢、アルヴィラ・ストレイはアレンベル侯爵家の侯爵、ダリウス・アレンベルと結婚してアルヴィラ・アレンベルへとなった。
親同士に決められた政略結婚だったが、アルヴィラは旦那様とちゃんと愛し合ってやっていこうと決意していたのに……。
そんな決意を打ち砕くかのように旦那様の態度はずっと冷たかった。
(しかも私にだけ!!)
社交界に行っても、使用人の前でもどんな時でも冷たい態度を取られた私は周りの噂の恰好の的。
最初こそ我慢していたが、ある日、偶然旦那様とその幼馴染の不倫疑惑を耳にする。
(((こんな仕打ち、あんまりよーー!!)))
旦那様の態度にとうとう耐えられなくなった私は、ついに離縁を決意したーーーー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる