時の魔術師

ユズリハ

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 互いの唇が離れ、口元を男の指で拭われる。
 快感を引き出すような甘い口づけに目もとを淡く赤く染めながら、少年は男を見上げた。


「ほんとにオレのこと、おいていかない?」
「ああ、いかねえよ」
「オレのこと、飽きたりしない?」
「ああ、しない」


 少年の問いに答えるたびに、慰めるようにちゅっ、ちゅっと少年と軽く唇を合わせる。
 まだ不安が拭えないのだろうか。
 少年の声は自信なさげに少し小さい。
 何度も気持ちを確かめるような面倒くさい質問にも、男は嫌がることなく正直に答えた。
 誰もが恐れる魔王は、少年に対してだけ酷く寛大で寛容だった。


「捨てたりもしない?」
「しねぇよ。そもそもいつかアンタを捨てるつもりなら、真名なんか教えてねぇよ」


 少年の問いかけに、男は小さく笑う。
 今までの相手と同じように飽きて消すつもりなら、真名を教えるどころか、こんな風に甘やかし可愛がってなどいない。
 少年の気持ちを慮って、抱くことも、口づけすることもなく、何年も傍に置いたりなんかしない。
 もっと自分本位に、相手の気持ちなどお構いなしに、したいようにしている。
 欲しいと思った時点で手を出して、泣いても嫌がっても無理やり押さえつけ、それこそ飽きるまで抱きつぶしている。
 きっと怖がらせるだろうから言わないけれど。
 人間界で言われている残忍で非道で冷酷な魔王が、こんな風に手塩にかけている状況こそが特別なんだと気づいてほしい。
 うっすらと赤みが差す目もとに口づけると、少年はくすぐったそうに笑った。
 

「っていうか、どうした? 今日はやけに弱気じゃねぇか。やっぱり誰かになんか言われたんだろ。一体なに言われた?」


 頬を撫でて、こつんと軽く額を合わせる。
 普段は元気な少年が、今日は珍しく覇気がなく、落ち込んでいる。
 いつになく寂しがりな子どものように甘えてくる姿は可愛いが、やはり執務室に来ようとして引き返したあの時になにかあったのだろう。
 詳しく聞き出そうと問いかけるも、こんな時でも強情な少年は、ふるふると首を横にふった。


「いい、大丈夫」
「俺がアンタの代わりに懲らしめてやるけど?」
「それは、ダメ! レスター絶対やりすぎるもん」


 男が実際にその強大な力をふるったところを少年は見てはいないが、なんとなく男に任せるとまずいと思った。
 普段の周りの反応から、男が甘くて寛大なのは自分にだけだと少年は薄々気づいている。
 あんな風に見下されたいわけではないが、不快な思いをしたからといって別にあの魔族を懲らしめたいとも思っていない。
 少年がそういうと、納得のいかない顔をしながらも男は渋々引き下がってくれた。
 ほっと少年は安堵の息をはいた。


「ツァイト」
「なに?」
「不安なら、俺の真名を呼んで、捨てないでって言ってみな。そしたら何があっても俺はアンタを絶対に手放さねえぜ」


 少年の髪をさらりと撫でて男がほほ笑むと、少年の瞳が大きく見開いた。
 真名で縛られる魔族に向かって、真名を使って何かをいうだなんて、何を考えているのだろうか。
 魔族の中でも最上位に君臨する魔王な彼を、有無を言わさず従えさせられるという甘い誘惑。
 彼自ら与えられたそれを、けれど少年は首を横にふって拒んだ。


「やだ、言わない。レスターの心を捻じ曲げるようなことは言いたくない」
「言ってもいいのに」
「やだ、絶対言わない」


 今はよくても、想いは移ろうものなのに。
 そんな言葉で彼を縛って後悔してほしくない。
 けれど、男の誠実で真剣な想いは伝わってくる。
 少年は男の首にぎゅっと抱き着くと、男も抱きしめ返してくれた。
 ようやく少年は覚悟を決めた。


「レスターがそこまで言ってくれるなら……今までも信じてなかったわけじゃないけど……オレ、レスターのことは信じるよ。魔王様なレスターがいいって言ってるもん。オレ、ここにいることにする」
「そうかい」
「いてもいいんでしょ?」
「ああ。もちろん、アンタの好きなだけいていいよ。っていうか、魔界ではここがアンタの家だから」
「家にしてはずいぶんと大きいね」
「もうすこし小さいのがいいなら用意するけど?」
「いい。いらない。オレ、ここ好きだもん」


 くすくすとお互いに顔を近づけて笑い合う。


「人間界に行きたくなったら連れてってくれる?」
「ああ、いつでも連れてってやるよ」


 抱き着いた首元から身体を離して男に問えば、迷いなく肯定の返事がくるのが嬉しい。


「あと、レスターの言うことだけちゃんと聞くね……あ、いや、ラモーネさんとかエルヴェクスさんとかヴァイゼさんとかもだけど」
「多いな。そこは俺だけでいいけど」
「だってレスター、ラモーネさんたちのこと信用してるでしょ?」
「まあ、他のやつよりは?」


 そうでなければ、ここまで少年の口から彼らの名前がでるほど会わせていない。


「レスター」
「なに?」
「レスターにオレの全部あげる。オレの全部、もらって?」


 男の紅い瞳を見ながら少年がほほ笑めば、わずかに驚きで見開かれた。
 いつも余裕綽々な男の虚をつき、さっきの仕返しが成功したかのようで、なんだか嬉しくなる。


「レスターにだけ教えてあげる。オレの本当の名前」


 彼がなにか言う前に、男の耳元に口を近づけ、素早く名前を囁く。
 ずっと使わなかった本当の名前。
 まだ覚えててよかったと思うと同時に、男に名付けられた名前の方がいつのまにか馴染んでしまっていて、本名なのに違和感を覚えてしまった。


「内緒だよ。誰にも言わないでね」


 人差し指を口にあてて、約束、というと、男が穏やかな表情で笑った。


「ああ、そうだな。アンタも俺の真名、誰にもいうなよ」
「言わないよ。オレとレスターだけの秘密だもん」


 魔族に真名を知られると、その魔族に逆らえなくなると聞いていたが、特に変わりはなくいつも通りだ。
 先に少年が男の真名を知っていた所為かもしれないが、少しだけほっとした。


「今までずっと待たせてごめんね」
「そこは待っていてくれてありがとう、じゃねえの? 謝罪より、感謝の方が好きだな、俺は」
「……いつも傍にいてくれてありがとう。レスターだいすき」
「ああ、俺も。アンタが好きだ。愛してる」


 頬を赤くしながら勇気を出して好きだと言ったのに、それを上回る愛してるを少年の目を見ながらまっすぐに返されて、少年の顔がより一層赤く染まった。


「なあ、あとで元に戻すから、今からアンタを大きくして抱いていい?」


 すぐに口づけできるくらい顔を近づけて、男は少年にお伺いを立てる。
 まるで内緒話をするかのように小声だ。
 肝心なところで決断力がないのを分かっていて、答えにくい問いかけをしてくるなんて本当にずるくて意地悪だ。
 羞恥でうっすらと目が潤むのを感じながら、少年はわずかに顔をそむけた。


「……だめ」
「なんで? ここは、うんっていう流れだろ」
「だってオレ……安心したらお腹すいたんだもん。さっきなんだか食欲なくておやつ食べれてないし、それに、もうすぐラモーネさんたちが夕食運んでくる時間でしょ?」
「はぁ……アンタは色気より食い気かよ」


 呆れたように、だが、しょうがないなぁと男は笑った。
 こういう状況で決して無理強いしてこない男はやっぱり優しい。


「じゃあ、待ってやるけど……飯食った後は覚悟しとけよ」
「……手加減してよ?」
「それはアンタ次第だな」


 不敵に笑う男に、せめてもの反撃とばかりに髪の毛を引っ張ってやると、いてぇよと、まったく痛くなさそうな顔をして男が言った。




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