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しおりを挟む「気を失ったか……。まぁ、良い。出来ぬと云うのであれば、お前を研究材料にするまでだ。必ず、不老不死を手に入れてみせる」
誰もなしえなかった不老不死が目の前にある。
まだ不死かどうかは正確にはわからない。だが、不老であるのは間違いない。
少年に出来ないのであれば、少年を使って時の魔術を完成させるだけだ。
青白い顔で力なく横たわる少年は、五十年前となにも変わらない。
その姿は、正直にいってうらやましい。
自分も同じでさえあれば。
みずみずしさの欠片もない、皺だらけの自身の手を見て、老魔術師は自嘲気味に笑む。
長い年月は、確かに人を成長させ、知識、気力、体力を充実させたが、その半面、ピークを過ぎればあとは衰えていくだけ。
人間の寿命を考えれば、自分に残された時間はあまり猶予はない。
だが、少年のおかげで希望が見えてきた。
老魔術師は、床に倒れている少年に近づき、彼に触れようと膝を折り手を伸ばす。
「それ以上、ソイツに近づくなよ、じーさん」
「な、誰だ!?」
少年と、この部屋の主である老魔術師以外居なかったはずの部屋に、別の声が響いた。
驚いた老魔術師が部屋を見渡すが、そこには誰の姿も見えない。
部屋には内側から鍵がかかっているはずだ。
「誰だ! 出てこい!」
「俺のもんに気安く汚い手で触んじゃねーよ」
近くで声が聞こえた途端、老魔術師の身体が吹き飛んだ。
「ぐはっ!」
部屋にある調度品を巻き込み、派手な音を立てて老魔術師の身体は壁に激突した。
その衝撃で老魔術師が苦しそうに顔をゆがめた。
唇を切ったのか、口端から一筋、血が流れ落ちていく。
「だ、だれだ……」
激しい痛みに襲われながらも、倒れている少年の方へと視線を向ける。
すると少年の影が大きく揺らめき、そこから男が姿を現した。
「莫、迦な、貴様……何者……」
「俺? コイツの保護者ってところかな。ホントはもっと早く助けようかと思ったんだけど、コイツの苦しむ顔ってのも案外そそるもんなんだよな。見ててゾクゾクしたぜ」
男が少年の傍らに膝をつけて屈むと、そっと少年の身体を抱き起こす。
腕の中の少年はいまだ目を覚まさない。
乱れた髪をそっと指で掻き上げてやる。
微かに感じる吐息に、彼が気を失っているだけだと知れた。
「な……そ、の姿は、まさか……魔、族か」
闇を思わせる漆黒の髪に、血の様に紅い瞳。
そして褐色の肌に、人間よりは少しだけ長い尖った耳。
妖艶な笑みを老齢の魔術師向けるその口元には鋭い牙が見えていた。
「何故……魔族が、ここ、に」
「お前に答える義理はねぇよ。 だが、コイツをこんな目に合わせた落とし前はつけねぇとな」
片腕で少年を抱いたまま、魔族の男は反対側の指をパチンと鳴らした。
「ぐ、うっ!!」
その途端、先ほど老魔術師が少年にしたように、彼の周りの大気が身体を締め上げ始めた。
首がしまり息ができない。
「心配すんな。一応、コイツの知り合いみたいだし? コイツが泣くと厄介だから、殺しはしねぇよ。でも、少しぐらい苦しめ。じわじわ締め付けてやるからよ」
老魔術師が微かに動く指先に魔力を込めて、魔法陣のようなものを描き始める。
しかし、それも首を締め付ける圧力に中断される。
「お前如きじゃ破れねぇよ。抵抗するだけ無駄だ」
「……ぅっ」
「っと、目ぇ覚ましたら、また弱いもの苛めしてとか五月蝿い事いうんだろうな。んとに分かってんのかね、コイツは。まぁいいや。そろそろ終わりにしてやるから、オネンネしな」
腕の中の少年が微かに声を洩らしたのに気づいた男は、指先に魔力を込めると手を握りしめた。
それに呼応するかのように、老魔術師を締め付けていた大気が、一層強力になる。
声も出ないくらいに一気に締め上げられ、老魔術師の目の前が真っ暗になる。
手が力なく垂れ下がったのを見て拘束を解くと、気を失った身体がどさりと崩れ落ちた。
それをつまらなそうに一瞥した後、少年を両腕で抱え上げ、魔族の男はゆっくりとその場から姿を消した。
微かに感じる揺れに、少年の意識が徐々に覚醒していく。
すぐ傍に感じる暖かさと、一定のリズムが心地よい。
無意識に、それに縋り付くように腕に力を込めた。
すると、微かに誰かが笑う声が少年の耳に届いた。
「寝てる時は素直で可愛いっつーのに……」
やけに近くに聞こえる良く知る声に驚いて、ぱちりと目を覚ました少年が身体を起こす。
「え、え?」
「おっと! 危ねぇなぁ」
急に起き上がったために、バランスを崩し、後ろへと倒れる少年の細い身体を魔族の男の腕が支える。
魔術学院を出た後、彼は少年を抱きかかえたまま、人気の少ない道を宿に向って歩いていた。
「な、な、レ、スター? ……なんで!?」
「ああ? なんでって、そりゃぁ、アンタのピンチを助けに行ったに決まってんだろ? ホント、一人で無茶しやがる」
呆れたようにいう男に、状況を思い出した少年はさっと顔を青ざめる。
そうだった。さっきヴィントに襲われ、意識を失ったんだった。
「昔の知り合いだかなんだか知らねぇが、もう少し警戒しろよな」
「ご、ごめん……」
「違うだろ。こういう時はなんて云うんだっけ?」
「……あ、ありがと」
「どういたしまして」
魔術学院の中の、老魔術師に見せたものとは違う、優しげな眼差しで満足そうな笑みを少年に向ける。
素直な少年はかわいい。
腕の中にいる少年を、気づかれないようにさりげなく抱き寄せこめかみに口づける。
「なぁ、悪い事は云わないからさぁ……いい加減、俺に落ちろって」
少年の耳元で甘く囁いてやると、少年はいきなり男の胸を押しのけた。
「イヤだ」
「んな意地張らずに、一緒に俺の世界へ行こうぜ」
「ぜったいイヤだ! っていうか、さっさと降ろせ! オレは歩ける!」
顔を真っ赤にしながら暴れる少年を、しぶしぶその場に下ろす。
本当ならばまだ抱き上げていたかったのだが、少年の云う事には逆らわなかった。
「ったく、普通の人間なら不老不死に憧れるっつーのに、なんでアンタはその逆なんだかなぁ」
「うるさい。 オレは……大人になりたいんだ。 いつまでもこんな姿はイヤだ」
ため息混じりにそう呟くと、少年はキッと睨みながらそう答えた。
「……別にその姿でも十分可愛いのに、勿体無い」
「っ!!」
無意識の仕草で頭を撫でると、少年はさっきよりも顔を真っ赤にしながら、より一層キツイ眼差しで男を睨みかえした。
「おっと、ワリィ……アンタの前で『可愛い』は禁句だったな」
「お前なんかもう知らない! あっちへ行け!」
「あ~、もう怒るなって。俺が悪かったからさぁ。あやまるよ、このとーり」
腰上までしかない少年に視線を合わせるかのように、男は腰を屈める。
困ったように微笑みながら、少年の表情を窺うように上目で見る。
「……キゲンなおった?」
自分を見つめてくるその紅い瞳に、少年は勢いよく背を向けて歩き出す。
「うるさい! うるさい! お前なんかキライだ!!」
「悪かったって! なぁ、キゲンなおせよ。 あ、ホラ、あそこの表通りに洋菓子の店があるぜ? アンタの好きな苺のケーキ、いくらでも買ってやるからさ。 キゲンなおしてよ」
「……」
「桃のタルトもつけよっか?」
その言葉に前を歩いていた少年の足が止まる。
予想通りの少年の行動に、魔族の男は笑いを噛み殺していた。
「……チョコのヤツも」
「了解。 アンタの好きなだけたのみなよ。にしても、ホント、甘いものが好きだね、アンタ」
甘いもので一気に機嫌が直った様子の少年に苦笑する。
さっきまで不機嫌だったのが嘘の様に、少年は嬉しそうな笑みを浮かべて男を見上げた。
――っていうか、アンタ。 魔導書の事、すっかり忘れてるな。
目の前であれこれと選んでいる少年の後姿を見つめながら、男は「しょうがねぇなぁ」と少年には聞こえないくらい小さな声で呟いた。
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