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50: お出かけする二人の少年の話 22
しおりを挟むノイギーアが目覚めてまず目に入ったのは、見知らぬ天井だった。
天井には、細やかな細工が一面に施されてあり、いやに高い。
白い薄手のカーテンがひかれた窓から優しい陽の光が差し込んでいて、室内は明るかった。
目覚めたばかりでぼうっとしたままの頭でも、ここが自分の家の、自分の部屋ではないことが瞬時に理解できた。
「こ、ここは……」
飛び上がるように起き上がり、ベッドの上から周りを見渡すが、確実に覚えがない部屋だった。
壁紙から始まって、天井の模様や絨毯、そして調度品にいたるまで、何もかもがノイギーアの部屋とは違いすぎた。
ついさっきまで横になっていたベッドは、ノイギーアの家にあるものよりも広く、かつ、あり得ないほど柔らかい。
シーツも上掛けも、思わず手を引っ込めてしまうほど手触りがよく、ノイギーアはどうしてここにいるのか分からず途方に暮れた。
自分は何をしでかして、こんなところにいるのだろうか。
そもそもどうしてここにいるのか。
ここは一体どこなのか。
その原因を探ろうと考え込んだノイギーアの耳に、この部屋にいくつかあるうちの、一番大きな扉が開く音が聞こえた。
「お目覚めになられましたか」
「え……!?」
声のする方を振り向けば、やけに若い、だがノイギーアよりも少し年が上に見える大人の女性の姿があった。
艶のある黒髪を後ろでまとめて結いあげた、仕草に品のある女官。
その女性は、見覚えがあるようで、ない。
誰だろうと思いつつも、下っ端見習い料理人の自分よりは身分が上だろうと、慌ててベッドから降りて立ち上がろうとする。
しかし近づいてきた女官に止められ、仕方なくベッドに腰を下ろした。
「ご気分はいかがでしょうか?」
問いかけながら、女官はノイギーアに水の入ったグラスを手渡してきた。
思わずそのグラスを受けとってしまう。
飲んでいいのだろうか、これは。
女官自ら渡してきたのは飲めという意味に違いない。
グラスにも精巧な模様が入っていて、万が一落として割ったら弁償できる気がしない。
「あ、あの……」
一口だけ口をつけて、女官を見る。
たんなる水なのに、ものすごくおいしく感じた。
「おれ、どうしてここに……それに、ここは……」
どこなんですかと問いかけたいが、女官の格好をした彼女の姿をみて、この場所がいやでも特定できてしまった。
嫌な汗が背中を伝う。
ノイギーアにも見覚えのあるその服は、魔王城で働く女官のものだ。
では、ここは……。
出来ればその考えが間違っていて欲しいと思うが、あっさりと女官に裏切られる。
「ノイギーア様のいらっしゃるこのお部屋は、魔王城にある客室のうちの一つでございます」
ベッドの傍にいる彼女の口から出て来た言葉によって、ノイギーアの考えはやすやすと肯定されてしまった。
それだけでなく、魔王城の客室で寝かされているという。
長いこと魔王城で働いてはいるノイギーアだが、下っ端料理人のノイギーアは客室に入ったことなどない。
これが初めてだ。
しかもその客室のベッドで今まで寝かされていたと知り、驚きすぎて声もでない。
「魔王陛下が、ツァイト様とノイギーア様と共にこちらに戻ってこられました。ノイギーア様が気を失っていらっしゃったので、その間に勝手ではございますが、こちらの判断で城に待機していた医師により、腕の怪我を治療させていただきました」
「え!?」
言われてノイギーアは自分の右腕を見る。
そこはきれいに包帯で巻かれており、確かに治療した形跡があった。
「医師の見立てによりますと、右腕の傷と、軽度の打撲以外は特に重い外傷はなく大丈夫だろうとのことでしたが、頭痛や吐き気、その他どこか不調を訴える箇所がございましたら、遠慮なくお申し付けください。すぐに医師を呼んでまいります」
年の割に落ちついた声は、さすが城勤めをする女官と言ったところか。
下っ端料理人のノイギーアにも、もったいないぐらいに礼を失することのない態度だった。
魔王城の客室にいるのも、怪我の治療も、この女官の態度も充分に驚かされたが、それ以上にもっと驚いた事があった。
「あ、あの……どうしておれの名前を……」
ノイギーアは一度もこの女官に告げた事はない。
なのに名前を知られている。
驚き戸惑うノイギーアに、女官は静かに穏やかな笑みを浮かべた。
「ツァイト様のご友人であらせられると伺っております」
魔王城で働く女官は、魔王の溺愛する少年の交友関係まで把握しているらしい。
一度も面識はないのに、名前まで知られていると言う事はそういうことだ。
戸惑うノイギーアを見て何かに気付いた女官が、ゆっくりと腰を折った。
「申し遅れましたがわたくし、魔王陛下よりツァイト様の身の回りのお世話を言いつかっております、女官を取りまとめる女官長のラモーネと申します。以後、お見知りおきください」
「にょ、女官長様!?」
女官と料理人という職業の間では、どちらが上だという明確な身分の上下関係はないが、女官は行儀見習いとして城にあがる貴族女性も多い。
その中でも女官長ともなれば、下っ端料理人よりは確実に上だ。
どうしてそんな人物がここにいて、しかも自分に対して頭を下げるのか分からない。
しかし驚きすぎて素っ頓狂な声を出したノイギーアを気にすることなく、女官長は続けた。
「ラモーネで結構でございます」
「い、いや、しかし!」
呼び捨てなんてそれこそあり得ない。
魔王やその側近ほどではないが、女官長は料理人の中でも下っ端に位置するノイギーアには目が眩むほど雲の上の存在だった。
自分でも何を言っているのか分からない言葉の羅列で呼び捨ては無理な理由を述べれば、ノイギーアの言いたい事を汲み取った女官長は、「では、ノイギーア様のお好きなようにお呼びください」と女官長の方から折れてくれた。
思わずほっと胸を撫で下ろしたのはノイギーアだった。
今日一日だけで寿命が何十年と縮んだ気がする。
ツァイトと城下町に出かけただけだったはずなのに、何故か城下町に入ってすぐにゴロツキに絡まれ、そこから逃げたら自分の不手際で空中から森へと落下し、やっと食事に向かったと思えば貴族に絡まれ攻撃を受けた。
それだけでも十分あり得ない話なのに、極めつけは、貴族の攻撃から助かったと思えば、その助けに来た人物が、この領土を統べる魔王陛下だったのだ。
これはノイギーアと出かけた人間のツァイトを魔王が助けに来ただけであって、ノイギーアはいわゆるオマケではあるが、助かったのには変わりない。
その後、魔王の側近である宰相や賢者まで登場した時には、ノイギーアの許容範囲を大きく超えていて、怪我なんかよりも自分が置かれた状況に失神寸前だったのだが、その時はまだ耐えられた。
けれど、耐えられたのはそこまでだった。
ノイギーアの怪我を心配したツァイトの言葉を聞いて、動いた魔王に直接腕を掴まれたのは無理だった。
そこから先の記憶は、先ほどここで目覚めた時まで、綺麗さっぱり無い。
額に手をあて、項垂れる。
疲れた。
特に精神的に。
自然と口からため息が漏れた。
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