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20: 二人の少年の話 1
しおりを挟む「各自片付けが終わったヤツから休憩に入っていいぞ」
「はい!」
料理長の終わりの一声に、調理場にいる料理人達が一斉に返事をした。
一日の始まりの嵐のような時間がやっと終わり、これから昼食の準備に取り掛かるまでの間、少しではあるが自由時間がとれる。
料理人としてはまだまだ半人前のノイギーアも、自分が使用した調理道具を綺麗に洗い、周りを掃除してから調理場を出た。
向かう先は、調理場のすぐ近くにある中庭。
今日は天気も良く、一仕事終えた後に一息つくには清々しい気候だった。
腰につけてあった黒色の前掛けを外し、それを左手に持ったまま、両腕を上げてうーんと大きく伸びをした。
「あー疲れた……」
空いている右手で左肩をもみほぐすようにしながら、首を左右に傾けると、小気味のいい音が聞こえてきた。
ひどく身体が疲れているように感じた。
一日はまだ始まったばかりなのに。
けれど、それも仕方がないかと、空を振り仰いだ。
魔王城で働く料理人達の朝は早い。
この城の主である魔王を始め、側近以下、時折やってくる来賓も含め、城にいる者すべての食事をこの調理場で一手に握っているので、用意する食事の量は半端ではない。
誰もかれもがこの城に住んでいるわけではなく、大半の魔族は城下に居を構えているが、住み込みで働いている下働きの魔族ももちろんいるし、仕事のはかどり具合で城にある私室に泊まる者も多い。
お陰で、毎日毎日忙しい。
今朝も調理場は普段と変わらない慌ただしさから始まった。
「あー、眠い……」
不摂生をすると体力が持たない。
だから、いやでも毎日規則正しい生活を余儀なくされている。
しかし休みの日を除き、毎日同じ時間に眠り同じ時間に起きる習慣になっているとはいえ、起きる時間が早すぎるために、一仕事終えた後はどうしても眠くなってしまう。
この仕事を選んだのはノイギーア自身だし、料理も好きなので文句はない。
だが、眠いものは眠い。
それに、つい最近、調理場では死ぬまでお目にかかることがないと思っていた存在が訪れた所為で、ここのところ調理場全体が妙に気を張り詰めていた。
もしかしたらまた魔王が来るのではないか。
そうやっていつ来るともしれない魔王にいらぬ気を回しているせいで、ノイギーアはいつもより余計に眠気が強い気がした。
思わず目頭を右手の指で押さえた。
ぐりぐりと揉みほぐすように押すとちょっと気持ちいい。
疲れているなぁ、とノイギーアは頭を振った。
朝、昼、夜の食事と食事の間の休憩時間。
ノイギーアは、ほぼ日課になりつつある『中庭での仮眠』をとろうと、いつも訪れている中庭の、周りから死角になる茂みの陰へと足を向けた。
一番仲のいい先輩にはその場所を告げてあるので、万が一寝過ごしてしまっても、彼が呼びに来てくれるはずだから心配はない。
限られた時間を有効に使おうと、いそいそとそこへ向かっていると、その途中、いつもはいない人物が、今日に限って木陰で服が汚れるのも気にせず樹の根の間に座っている後ろ姿を見つけてしまい、ノイギーアは驚いて思わず足を止めてしまった。
「なんでこんなとこに……」
「え?」
思わず出てしまったノイギーアの声に気付き、その人物が手元の本から視線を外し、振り返った。
何も考えずについ口にしてしまい、ノイギーアが慌てて自分の口に手をあてる。
しまったと思っても、すでに遅い。
そこにいたのは、亜麻色の髪に深緑の瞳の人間の少年――魔王が溺愛する唯一の者だった。
相手が自分よりも年下で、人間とは言え、単なる下っ端料理人でしかないノイギーアが軽々しく話しかけられるような相手ではない。
彼は正真正銘、魔王の唯一のお気に入り。
たった一度、調理場で見ただけの存在。
その時は普通の子供にしか見えなかったが、あれだけ魔王に甘やかされていたのだ。
きっとえらく気位が高いに違いない。
無礼な魔族がいたと魔王に告げ口でもされれば、ノイギーアなんて赤子の手をひねるように簡単に消されてしまうだろう。
いやな汗が額に浮かぶ。
謝るべきか、逃げ出すべきか。
それとも見なかったふりをしてその場を立ち去るべきか。
どうしたらいいのか分からず途方に暮れていると、相手の方が不思議そうな顔をしてノイギーアを見上げていた。
「あれ、キミは……」
考えるように少年の深緑の瞳がじーっとノイギーアを見る。
緊張でじんわりと額に汗がにじむ。
何を言われるのだろう。
人間相手にこうも緊張したのは、今回が初めてだ。
乾いた喉を潤すように唾を飲み込んだりしてドキドキしながら待っていると、しばらくして思い出したように少年が一つ手を叩いた。
「あ! もしかして、調理場にいた子?」
確実に自分よりも年下の相手に「子」呼ばわりされるのは正直どうかと思ったが、あえてそこには触れなかった。
こんなところで機嫌をそこねて死ぬのはイヤだ。
「そう、だけど……」
戸惑いつつも、少年を刺激しないようにおそるおそる答える。
推測があっていたことに嬉しかったのか、ノイギーアの返答に少年が破顔した。
あの時、魔王に苺をもらって口に入れたときのような、嬉しそうな笑顔だ。
そして何を思ったのか、少年が本をその場に置いて立ち上がり、とことことノイギーアに近づいてきた。
「やっぱり、そうだ! この前はゴメンね。騒がしくして迷惑かけたよね?」
確かにあの時は騒がしかった。
だが、それを素直に言うわけにはいかないだろう。
あの日は朝早くから魔王と少年が現れた所為で、その後の予定が大幅に狂ってしまったし、朝食の時間に間に合わせるために死に物狂いで料理を作らされたのも記憶に新しい。
とはいえ、その原因がこの城に君臨する魔王なのだから、正直に迷惑だなどと言った日には、確実に自分の首が飛ぶ。
それが分かってて言えるほど、ノイギーアには度胸もなければ、自殺願望もない。
「いや、別に……」
どう対応していいのか正直困惑する。
魔王のお気に入りに関わって面倒なことになるのは嫌だ。
できればすぐにでも立ち去りたいのだが、果たしてそれをしてもいいのだろうか。
ノイギーアが迷って狼狽えていると、少年がなおも話しかけてきた。
「あ! そう言えば……キミって料理人?」
「え、ああ……いや、ハイ。一応。まだ見習いだけど……じゃなくて、ですけど」
「そっかー。すごいなぁ。その年でもう働いてるんだ」
「その年でって……そう言うおまえ、あ、いや……あなたは、お幾つなんですか?」
どうみても相手が年下なので、ノイギーアはつい普通に話してしまいそうになる。
大人が相手だと無意識にある程度敬語を使って話せるが、年下に敬語を使うなんて普段はしないから、どうもやりにくい。
焦ったようにノイギーアが何度も言いなおしていると、とうとう少年がぷっと吹き出した。
そして見た目に違わず、少し高い声で笑い出した。
「あはは! 無理して敬語使ってくれなくていいよ」
「けど……」
「いいって、ホント。なんかみんなオレに変に丁寧に接して、話しかけてくれるけどさ、別に普通に喋ってくれていいから」
「い、いいのか……?」
恐る恐る問いかけてみると、少年が元気よく頷いた。
「だってオレ、普通の、どこにでもいる平凡な人間だよ。畏まられるほど身分が高いわけでも、尊敬されるほど徳の高い人ってわけでもないし、普通にしてよ。普通に」
「いや、でも……お前、魔王様の……」
「レスター? あー、たしかにレスターは魔王様だけど、オレは別に普通の人間だからさー。あんまり畏まられるとなんだか居心地が悪いっていうか……」
そういって少年は少し困ったように微笑んだ。
少年は少年で、少年にしか分からない苦労があるのだろう。
最初にノイギーアが思い描いていたような高飛車な感じではなさそうで、ノイギーアは少し警戒をといた。
「あ、ああ。わかった。そっちがそう言うなら……」
「うん、そうして」
子供らしい無邪気な笑みでノイギーアにほほ笑む。
その笑顔を見ながら、あの誰もが畏れる魔王に溺愛されていて普通も何もないと思ったが、やはり思うだけで口には出来なかった。
「あ、そうだ。まだ名前、名乗ってなかったよね。オレ、ツァイトって言うんだけど、良かったらキミも名前教えてくれる?」
小首を傾げながら聞いてくる少年に、ノイギーアは一瞬言葉に詰まった。
確実に引き際を間違えた。
のんびりと喋ってないでさっさとこの場から立ち去ればよかったのだ。
今なら単なる通りすがりの、調理場にいた一魔族で済むが、名乗ってしまえば、名無しからノイギーアへと個人が特定されてしまう。
けれど、魔王の溺愛する相手に聞かれて厭だと言えるほど、ノイギーアは図太い神経の持ち主ではない。
さんざん考えた末に、諦めからため息を吐きだした。
「……ノイギーア。大体のヤツはノイって呼ぶから、ノイでいい」
ぶっきら棒に言ってから、しまったと慌てて少年を見たが、ノイギーアの口の悪さには気にならなかったのか、少年はにこにこしたままだった。
魔王の寵愛を笠に着て、もっと気位の高いわがままな少年かと思ったのに。
どうやらそうではないらしい。
同年代の友と話すように普通にしゃべる少年に、ノイギーアは拍子抜けした。
「そっか、ノイくんかー。よろしくねー」
「へ? あ、いや……こっちこそ、よろしく……」
まさか魔王のお気に入りの少年にそんな風に言われると思っていなかったノイギーアは、差し出された少年の右手を見て急いで服の裾で手を拭くと、少年の手を軽く握り返した。
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