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19: 魔王と少年とケーキの話 3
しおりを挟む「っていうか、あいつ、魔王様にケーキ作らせてんの!? すげー」
物怖じしない性格なのか、それともただバカなだけなのか。
少年の正体を知ったにもかかわらず、少年をあいつ呼ばわりするノイギーアに料理長は頭が痛くなる思いだった。
少年の台詞から、魔王が作っているのが甘いケーキだと窺い知れた。
いや、材料と手順などからそうだろうとは思っていたが、誰もが頭の中でその考えを否定していた。
違っててほしかった。
魔界の中央に君臨する魔王の手作りケーキ。
なかなかに言葉の衝撃が強い。
絶対にあってほしくない組み合わせだ。
魔族の誰一人として魔王にケーキを作ってほしいなどと頼める者はいないのに、人間の少年はそれをやってのけた。
それだけで、あれほど『人間』と蔑んでみていたノイギーアの眼差しが、憧憬の眼差しへと変化する。
単純だとしか言いようがない。
「あ、そうだ! レスター」
「ん?」
「あのね、オレ、こういうの食べてみたい」
調理台の空いている場所に、少年は一冊の雑誌を広げた。
その雑誌の、色鮮やかに装飾を施されたケーキやその他の菓子類が載っている中の一つを指差して、魔王を見上げた。
「はあ?」
いきなり何を言うんだと魔王が呆れた声を上げた。
自分たちに向けられたわけでもないのに、一瞬声音が下がったように聞こえた料理人たちは、声なき悲鳴をあげて身体を震わせた。
「アンタこれ、どこから持ってきた」
「これ? さっき、ここに来る前にヴァイゼさんに会って、貰ったー」
「ヴァイゼに?」
「うん、なんかね、王都で販売してる人気お菓子特集の最新号なんだって。飾り付けの参考にしたらどうですかーってくれたよ?」
ピクリと、少年に気づかれない程度に魔王の眉根が寄った。
含むところがあるのはもちろん少年にではない。
賢者として名を馳せるだけあって、ヴァイゼはいやに目敏い。
「それでさ、オレ、この中までチョコたっぷりなのも食べてみたいなー」
少年が指すのは、王都で少年の一番のお気に入りの店のケーキだった。
「チョコって……苺はどうしたんだよ。苺は。イチゴ三段じゃなかったのか?」
「そうなんだけどさー、見てたらこれも食べたくなったんだよね。だからさ、真ん中チョコ味にできない?」
「注文多いな、アンタ。もっと早くに言えよ。チョコレートなんて用意してねえぞ」
「えー、ないの?」
「ねえよ。三段重ねの苺ケーキって話だったろ」
昨日約束させられたのは、苺をたくさん乗せたケーキだ。
たっぷりのクリームとイチゴで飾り付けた甘い甘いケーキで、チョコレート味ではない。
とは言いつつも、用意しようと思えばすぐに用意出来るのだが、もう一つチョコレート味のケーキを作るのが面倒なので、そこはあえて少年には伝えなかった。
「あっ!」
入口で耳を欹てていたノイギーアが、ふと思い出したように立ち上がり、調理場の中ほどにいる二人に向かって声をかけた。
「チョコレートならありま――むぐっ」
言い終わらないうちに、またもやノイギーアの言葉を途中で遮る者がいた。
料理長だ。
ノイギーアの言葉に、深緑の瞳と紅い瞳が料理長とノイギーアのいる入口の方を向いた。
あわてた様子でノイギーアの口を大きな手で覆い隠すように塞ぎ、ひきつった笑いを浮かべていた。
「あの! チョコレート、あるんですか?」
キラキラと瞳を輝かせて、期待した眼差しで少年が料理長とノイギーアを見る。
その背後で紅い瞳がすっと細められた。
「い、いや、あの、その……」
背中に冷汗がどっと流れ、なんと答えればいいのは判断に迷う。
いつだって物事は即決を心情としている料理長にしては珍しい戸惑いようだ。
少年の望むチョコレートは、偶然にもこの調理場にある。
だがそれを言うべきか、それとも言わざるべきか。
答えを間違えれば、良くて降格、悪くて解雇、もしくは追放。
一番最悪の場合は、明日の陽の目を見られないことだろう。
ごくりと音を立てて唾を飲み込んだ後、一拍置いて料理長が答えた。
「すみません、こいつの勘違いで……チョコレートはあるにはあるんですが、今日は使う予定がないんで仕入れてなくて、ケーキを作れるほどの量が残っていないんですよ」
「そうなんですか……」
あからさまに少年が肩を落とす。
少年を落胆させてしまったことで、これはこれで身の危険を感じた料理長だったが、冷やかな紅い目が何事もなく少年へと逸れたので、料理長の答えは魔王的には正解だったようだ。
声を出さずに料理長が盛大なため息を吐いてその場にしゃがみこんだ。
そして傍にある小憎たらしい頭をまた叩いた。
「バカ野郎! 余計なことを言うんじゃねえよ!」
「いってー! さっきから、何するんすか!」
「うるせえ!」
料理長とノイギーアがぎゃあぎゃあ言いあっていても、他に聞こえないように小声なのは、もはや称賛に価する。
未だに料理長の手が小刻みに震えている。
あの紅い瞳は、今日の夢に出てきそうだった。
「とにかく、チョコ味はなしだ。材料がない」
「まあ、ないなら仕方がないか……」
「今度それ作ってやるから、今日はイチゴで我慢しろよ」
「うー、わかった……」
渋々だが少年は納得した。
材料がないのなら仕方がない。
それに、今度また作ってくれると魔王が言ってくれたので、まあいいかと魔王を見上げた。
「ほら」
少年のすぐ目の前に、魔王の長い指に摘ままれた赤い苺が差し出される。
何の恥じらいも躊躇いもなく少年は、それを魔王の指ごとそのまま口に含んだ。
「甘酸っぱくておいしー」
一噛みするごとに口いっぱいに広がる苺の香りと甘さと、ほんの少しの酸味。
先ほどまでの沈み具合が嘘のように、少年の顔に満面の笑みが浮かんだ。
いつの間にか焼きあがり、程よく冷めた大きさの違うケーキ三枚を、魔王が半分に切り分け、そこにクリームを塗っていく。
「アンタも飾り付けやってみる?」
「いいの!? やる、やる! やりたい!」
魔王が塗ったクリームの上に、少年が半分に切られた苺を好きなように並べていった。
その上にまたクリームを乗せて、生地で挟み、またクリームを塗っていく。
その作業を何回か繰り返し、側面にまで少年が苺を並べた後、魔王が仕上げに器用にクリームを絞って飾り付けた。
「出来た?」
「まあ、こんなもんだろ」
「なら、早く食べようよ、レスター」
「だめだ。食後だろ」
「えー。いいじゃん。これから一緒に食べようよ」
「空きっ腹にこんなもん食ったら胸やけするぞ」
軽々と三段に重ねた苺のケーキが乗った皿を片手で持った魔王は、その反対の手で少年の腕をつかんだ。
「とりあえず、部屋に戻るぞ」
「あ、うん」
少年が頷くなり、二人は調理場から忽然と姿を消した。
後には嵐が去ったような静けさだけが残った。
しばらく調理場にいる料理人達は茫然となった。
だがいち早く料理長が我に返った。
「おい、てめえら! 呆けてる暇はねえぞ。さっさと仕事に戻れ!」
「はいっ!」
声をそろえて返事をした後、料理人たちはみな慌ただしく作業を開始する。
予定外に魔王が現れたため、作業がほぼ中断していたと言っていい。
その分の遅れを取り戻さないといけない。
出来立てを提供しようとすれば、ただでさえ時間がないのに、この遅れは地味に痛い。
すぐにいつもの調理場の忙しなさが戻った。
「しっかし、こうまで完璧だと、文句のつけどころがねえな。うちの魔王様はよ」
料理長が独り言ちた。
魔力の強さも、それに付随する美貌もさることながら、出来ないだろうと勝手に思っていた料理の腕も本職顔負けで。
その上、彼が使用した台の上は綺麗に片づけられ、塵一つ落ちていなかった。
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少年の「チョコレート味食べたい!」発言は、自サイトにアップした当時、バレンタインデーが近かったためです。
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