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18: 魔王と少年とケーキの話 2
しおりを挟む「あのー……」
入口付近で魔王の様子をこそこそと眺めていると、不意に声がかかった。
恐る恐る様子を伺うかのような小さな声だ。
「誰だ、おまえ?」
先に反応して振り返ったノイギーアの声には、明らかに不機嫌さが含まれている。
どうやら調理場関係の顔見知りの魔族ではなく、女官でもなさそうだ。
この時間帯、関係者以外は調理場には近づかないのが暗黙のルールになっているが、それを知らない輩ももちろんいる。
その類いのヤツが来たのかと料理長は気にも留めなかった。
そちらよりも、魔王の様子の方が気になる。
自分が対応しなくても、ノイギーアがうまく追い返すだろう。
そう思っていた料理長だったが、ノイギーアの次の言葉に、心臓が飛び出るぐらい驚かされた。
「人間がここに何の用だ。邪魔だ。さっさとどっか行……!」
「バ、バカ野郎!」
あわてて振り返り、まだ何かを言いそうだったノイギーアの口を、料理長がその大きな手で無理やりふさぎ、背後から拘束した。
息苦しさにバタバタ暴れるノイギーアを無視して、料理長はノイギーアが暴言をはいた人間の少年に向き直る。
魔族とは違う白い肌に、亜麻色の髪の毛。
大きな深緑の瞳が印象的な、ノイギーアよりも幼いであろう人間の少年がそこにいた。
料理長に緊張が走る。
この少年は、この城の主である魔王が唯一溺愛している者に他ならないはずだ。
「す、すみません。躾のなってねえガキで……」
「いえ……俺は別に……」
きょとんとしてノイギーアと料理長を見ていた少年が、目を二、三回瞬いた後、ぎこちなく笑顔を向けた。
酷い言われようだったにもかかわらず怒っていない様子の少年に、料理長からほっと安堵のため息が漏れた。
「えっと、あなたは……?」
「この調理場の総責任者、料理長をやってます」
「え、料理長さん!? あ、いつもありがとうございます! 料理、すごく美味しいです!」
一見恐ろしく見える巨体の男が、意外に普通に話しかけてくれたことに少年は驚きつつも、彼が料理長と知って、少年は感謝の言葉とともに笑顔をむけた。
女官長が美味しいと料理長に伝えてくれているらしいが、いつか直接お礼を言いたいと思っていたのだ。
そんな少年に、料理長はなんだかこそばゆい気持ちになる。
残さず料理を食べてもらえれば、口に合ったのだとわかる。
顔には出さないが、こうやって直接言われるのは、なんだか照れてしまう。
「そういえば、こんなところに何の御用で」
「え? あ、そうだった。あの……レスターいますか?」
話題を変えるように料理長が問いかければ、少年は、こんな早朝に調理場まで足を運んだ理由を思い出した。
東の第二王女が中央の魔王城を去ってからしばらくたった昨日。
午後から時間の空いた魔王にあれよあれよという間に寝室へ連れ込まれ、おやつの時間を通り越し、危うく夕食まで取り損ねる時間帯まで貪られてしまった。
女官長たちがいる前で寝室に連れ込まれてしまったため、事が終わったあと、女官長たちに何をしていたかバレたと、羞恥のあまり顔を真っ赤にしながら半泣きになって少年は怒った。
もちろん女官長たちは、それを揶揄うつもりも、言及するつもりもない。
お二方の仲が良くてなによりだと、逆に安心し、微笑ましく思いながら空気を読んで他の仕事をしつつ部屋の外で控えていた。
完全に拗ねて口を利かなくなってしまった少年は、なにかと甘やかして機嫌をとってくる魔王に、ケーキ作ってくれないと機嫌を直さないと言った。
すると魔王は、こともなげに了承したのだ。
そんなことで機嫌が直るなら容易い、と。
昨日約束した、朝食後に食べたいという少年の希望に間に合わせるように、魔王は朝早くからケーキを作りに調理場へと行った。
そのことを女官長から聞いた少年は、あわてて服を着替えて、魔王の後を追うように調理場までやってきた。
しかし、入口から見る限りでは、調理場の中の人の多さで魔王の姿を発見できなかった。
だから近くにいた二人に聞いてみようと声をかけたのだ。
一方、問いかけられた料理長は、聞き慣れない名前に、誰だと首を傾げた。
調理場で働く料理人の名前は、全員頭の中に入っている。
しかし、レスターという名は初めて聞く。
「レスター? うちにはそんな料理人……」
「あ、レスターは料理人じゃないです。えっと……」
普段少年は魔王のことをレスターと呼んでいるが、本当はレステラーだ。
料理長にもわかるように言いなおそうとしたが、それよりも先に当の人物を発見した。
「あ、いた! すみません、見つかりました。えっと……中に入ってもいいですか?」
「え、ああ。どうぞ」
「ありがとうございます」
料理長は特に何もしていないのに、律儀にお礼と軽く会釈して少年は厨房の中へと入り、料理長とノイギーアの横を通り過ぎて行った。
「なにするんですか、料理長! 死ぬところだったじゃないですか!」
少年と料理長が会話している間ずっと拘束され口を塞がれていたノイギーアは、ふっと料理長の力が緩んだ隙に急いで手を外し、真後ろにいる料理長を睨みつけた。
だが、反対に料理長がノイギーアの脳天を拳で垂直に叩いた。
ごちんと鈍い音がその場に響いた。
周りにいた料理人たちは、そのやりとりに、またやっていると呆れ顔だ。
「いってぇー!」
「このガキ! それはこっちの台詞だ! バカ野郎! ノイ、あれは、魔王の花嫁だぞ!」
「え? 魔王の花嫁?」
頭を押さえながら、素っ頓狂な声がノイギーアから上がる。
驚きつつも、周りに響かないように声を抑えて小声で話しているのはたいしたものだ。
「なに言ってんですか、料理長。あいつ、男ですよ。しかも人間。人間ですよ? それに、おれよりガキだし。魔王の花嫁が人間のガキだなんて聞いたことないんですが!」
「てめえ、知らねえのか? 魔王直々に連れてきた相手が、その人間だって専らの噂だぞ」
「え!? マジですか、料理長」
「お前、無礼を働けば殺されるぞ」
「えー!?」
「まあ、そう言うおれも実物を目にするのは初めてだがな。この城にいる人間は、そいつだけだって話だし……多分、あの少年で間違いねえだろ」
魔王が自ら連れてきた人間の少年の姿は、ごく一部の者を除いて会ったことはない。
可愛がるあまり人目につかないよう奥深くに閉じ込めているという噂も流れるほどだ。
それ以外にもいくつか噂がある。
その中でも、あの冷酷非情な魔王が唯一慈しむ存在だから、魔王の花嫁に違いないと、魔王も、彼の側近も、誰もそんなことは一言も言っていないのに、まことしやかにそんな噂が一人歩きしていた。
もちろん、その噂が流れているとは少年はしらない。
料理長とノイギーアは、二人揃って後を追うように視線を少年へと向けると、少年が魔王に近づいて行くのが見えた。
「レスター!」
少年に呼ばれて、魔王が手元から顔を上げる。
そこでやっと料理長は、少年が捜していた人物が魔王なのだと合点がいった。
成り行きとはいえ、魔王の名前を口にしてしまった料理長は血の気が引いた。
「どうしたんだ。こんなに朝早くに珍しい」
魔王の声はひどく優しい。
さきほど料理長に向けられた身も凍る紅い眼差しは、穏やかな色を湛えて少年を見ていた。
「なんか目が覚めちゃった。ねえ、ねえ、レスター。ケーキ、もう出来た?」
小首を傾げて訊ねるその言葉に、一同は声に出さないが、仰天せざるをえなかった。
あの魔王に対して、少年は普通に喋っていた。
敬称も、丁寧な言葉遣いもなく、その態度までも、まるで親しい友達か家族にするものにしか思えなかった。
誰もが魔王の怒りを買うと思った。
だが問いかけられた魔王は、至極普通の様子で苦笑してみせるだけだった。
「出来上がってるわけねえだろ。いま焼いてるとこだ」
時を操って多少焼き時間を短縮させているが、それでもまだかかる。
「なーんだ。残念。味見しようかと思って来たのに」
「味見ってアンタね……。いいから、部屋に戻ってろよ。っていうか、もう少し寝てろ。普段なら、まだ夢の中だろうが。どうしてこういうときだけ、早起きするんだよ、アンタは」
魔王が部屋を出てきたとき、少年はまだ寝台でぐっすりと眠っていた。
いつもの状況から考えると、作り終えて戻ってもまだ少年は寝ているはずだった。
それなのに、何故か今日に限ってこんな朝早くに少年が起きだしていた。
「アンタさぁ、来るならせめて寝ぐせ直してから来いよな」
「うー、だって急いでたから……つい」
「ついじゃねえだろ。ラモーネは何やってんだ」
「ラモーネさんの所為じゃないよ! オレが飛び出してきたのが悪いんだし」
変な方向に跳ねている後ろ髪を手で押さえながら、少年が魔王に口答えをする。
そのことにも、魔王は何も言わない。
口答えをしても、馴れ馴れしい態度で話しかけても、名前を呼び捨てにしても、少年は咎められもしない。
その上、魔王付きの女官である女官長の名前が少年の口から出たことで、彼の世話も女官長が引き受けているのだと知れた。
「うわー魔王様、なんだか普通っぽい……」
一生のうちで直接お目にかかることなどないと思われた、遥か高みにいる存在の魔王。
名前を聞くだけで畏れ慄く偉大なる魔王の、思いがけない姿を見て、ノイギーアがポツリと漏らした。
魔王といえども自分たちとそう変わらないのだと気づく。
穏やかに笑い、楽しそうに話す姿は、ごく普通の男に見えた。
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