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13: 東の第二王女と少年の話 6
しおりを挟む魔界の中央に存在する魔王の城のとある一室。
東の魔王の名代として、この城の客間に滞在している女魔族――ディステルは、苛立たしさを紛らわせるかの様に、手に持っていた扇を床にたたきつけた。
繊細な意匠はその衝撃で無残にも折れてしまう。
「どうしてあのような人間が……」
先日、中央の大地に圧倒的な力でもって君臨する常闇の魔王が、断りもなく東の領地に侵入したあげく、領地内の建物とその周辺を抉り取るように破壊した。
それを知った東の魔王は激怒した。
もともと中央の魔王に一方的に敵愾心を抱いていたのだ。
その怒りは凄まじいものだった。
だが、同じ魔王といえども、常闇の魔王の強さは桁が違う。
下手に喧嘩を売れば返り討ちにされるのは、想像に容易い。
そこで、非常に業腹ではあるが、一旦怒りを抑えて、なぜあの魔王が無断で他領地に侵入などという行動にうつしたのか、その理由を調べてみれば、かの常闇の魔王が心を傾ける者が、不届き者に攫われ、東の領地に連れていかれたからだという。
その者を取り返しに、常闇の魔王自ら動いたというのだから、東の魔王をはじめ、誰もが呆気にとられた。
まさかその程度の事で、あの魔王が動くとは。
誰も、夢にも思わなかったのだ。
魔界一残忍で、冷酷で、無慈悲なあの魔王が、たった一人の人間のために、魔王同士の暗黙のルールを破ってまで、助けにいくなどとは。
しかし、あの時感じた強大な魔力と現場の状況を見る限り、彼の仕業以外の何ものでもなく、彼の側近達もそれを否定はしなかった。
そこで使者を立てた。
立場的には常闇の魔王の方が東の魔王よりも遥かに上であったし、彼が東の領土に無断で侵入する原因を作ったのも東の魔族の仕出かしたことだったと調査の結果判明したので、渋々ではあるが東の魔王が折れたのだ。
ご機嫌伺いのついでに、文句の一つも言ってやろうと。
そしてあわよくば、己が娘の一人に手がつけばいいなどと考えて。
ディステルは、魔界の東の大地を治める魔王の二番目の娘だ。
彼女の身分であれば、常闇の魔王の魔王妃としても申し分ない。
例え魔王妃になれなくても、孕んでさえくれれば、東にとっては優秀な後継が出来る。
それに、魔王の娘であるディステルならば、常闇の魔王が手を出した後で彼女のことを気に召さなかったとしても、殺されることもないだろう。
そう考えて、名代として送り出した。
しかし、残念な事に彼らの思惑通りには一つも事は運ばなかった。
かの魔王は、魔王自ら連れてきた人間の少年以外に、まったく関心がなかったのだ。
「信じられないわ。どうしてあんな子供が魔王陛下のお気に召したの!?」
ディステルが回廊で声をかけた人間は、どこからどう見ても、普通の少年だった。
きっとまだ成人もしていないだろう。
人間という種族に詳しくなくても、それは分かった。
東の領土でもまことしやかに囁かれる噂など、ディステルは今の今まで嘘だと思っていた。
顔も平凡、魔力も普通。
あの子供に比べれば、東の魔王の娘であるディステルの方が何百倍も美しく整った顔をしている。
彼から感じた魔力だって、魔族のそれに比べれば、弱すぎると言っても過言ではないのに。
貧弱な子供なんかより、ディステルの方がよっぽど魅力的で豊満な体つきであるのに。
何もかも、容姿も、美貌も、魔力も、そして身分だって、あの少年よりもディステルの方が秀でているのに、謁見の間で会った常闇の魔王は彼女に見向きもしなかった。
東の魔王の名代で来たディステルに対し、感情のこもらない冷たい視線をよこし、形式的に対応していただけだった。
ディステルなど眼中にないかの様に冷やかな態度をとられ、自分に自信のあったディステルは酷く傷ついた。
だが、そんな心とは裏腹に、ディステルは常闇の魔王の美貌に一目で恋に落ちた。
強大な魔力と魔王の風格、そして他を平伏させる威厳に、自分の相手は彼しかいないと確信した。
この時ほど魔王の娘に生まれた事を幸運に思ったことはない。
魔王の娘であれば、魔王妃として、誰からも反対されはしない。
むしろその辺にいる中途半端な身分の女よりも、よっぽど魔王妃にふさわしい。
いまはまだ魔王妃候補でしかない。
しかし、必ず常闇の魔王の魔王妃としての地位を射止めてやると、真剣に考えた矢先のことだった。
噂の人間に出会ったのは。
「わたくしが、あんな人間に負けるはずがないわ。何かの間違いよ」
「そうでございます。姫様ほど魔王妃にふさわしい者はおられません」
「あのような人間など、すぐに放り出されますわ」
主であるディステルを擁護するかのように、ディステルが東から連れてきた女官たちは口々に囃し立てた。
――そうよ、わたくしは間違っていない。すぐにでも、あの子供ではなく、わたくしのよさに魔王陛下は気づいてくれるはず。
周りの女官達の言葉に、ディステルは満足げに頷いた。
そうとなれば、やることは決まっている。
東の魔王の名代として、この城に滞在できる時間は限られているのだから。
「魔王陛下にお会いしにいきますわ」
謁見の間だけではとてもではないが時間が短すぎる。
魔王の名代としてではなく、個人的に会って話でもすれば、きっとあの魔王は自分の魅力に気づいてくれるはず。
そう思ったディステルは、女官の一人に先触れを出す事を命じた。
今一度、化粧を直し、身だしなみを整える。
ドレスは殿方に魅惑的に見えるような、けれど王女としての品位を損ねないものに着替えた。
上品な仕草で肩にかかった髪を掻き上げると、魔王からの返答を待たなくても断られるはずもないと自信満々なディステルは、残りの女官を引き連れて、静かに部屋を出て行った。
「そこをお退きなさい!」
「これより先、一般の方の立ち入りは許されておりません。どうぞお引き取りを」
「一般ですって!? このわたくしを誰だと思っているの?! 東の魔王の娘よ! そのわたくしに向かって何と無礼な!」
先触れを出したものの、相手からの返答を待たずに勢い勇んで部屋を出てきたディステルは、魔王城の一角で足止めを食らっていた。
魔界の中央にそびえ立つ魔王城は、その規模がとても大きい。
部屋数だけでも相当な数が存在する。
ディステル達が止められた先の区画は、この魔王城にいる魔族の中でも魔王に近しい者と特別に許可を得た者にしか入ることは許されていない。
それこそ、魔王の側近や、限られた女官達などだ。
この区画のさらに奥にある魔王の私室がある区画は、もっと出入りが制限される。
東の魔王の名代で、その魔王の娘であるディステルであっても、侵入することはできない。
だがこの先のどこかに、ディステルが焦がれる魔王がいるのだ。
どのような手段を使ってでもその先に進みたかった。
そもそも、ディステルが出した先触れも、まだ魔王の元まで届いていなかった。
同じように警備兵に止められ、どうやって魔王に先触れを届けられるのかと思案している最中に、他の女官を引き連れたディステルがやってきたのだ。
そしてこの区画の入り口を警固する兵士と、通せ、通さないの押し問答を繰り広げていた。
「何を騒いでいる」
そこに、突然声がかかり、全員の視線がその声の方へと向けられた。
警備兵達の後ろ――つまり、ディステル達が進みたい先に、赤毛の魔族が一人立っていた。
中央の魔王の側近中の側近。
宰相のエルヴェクスだ。
「これは、宰相閣下!」
突然現れた、魔王に続く雲の上の存在に、警備兵達が姿勢を正した。
「何事だ」
「それが……」
警備兵達は今までの事をすべてエルヴェクスに話した。
東の魔王の娘が、魔王陛下に会わせろと言って聞かないのだと。
報告を聞いて、エルヴェクスは、それと分かるぐらい小さくため息を吐いた。
「本日の謁見は終了したとお伝えしたはずですが」
「わたくしは個人的に魔王陛下にお会いしたいのです。どうか、お目通りを」
「改めて明日、謁見の間までお越しください。陛下はそこ以外ではお会いになられません」
東の魔王の娘が相手であるにも関わらず、臆することもなくきっぱりと告げられて、ディステルは柳眉を逆立てて相手を睨みつけた。
是非にと乞われることはあっても、断られたことがなかった彼女だ。
今までであれば、どうするかは彼女の判断に委ねられていたのに、ここに来てそれがことごとく通じない。
東の第二王女であるディステルが、常闇の魔王に会いに行くと言っているのに、名前もしらないただの警備兵ごときが彼女を止め、言うことを聞かない。
そのうえ、この赤毛の宰相までもディステルを追い返そうとする。
それが悔しくて仕方がなかった。
「わたくしは東の魔王の娘であり、名代でもあるのですよ! そのわたくしの頼みを断るというのですか!?」
「貴女が誰であろうと、例外はあり得ません」
「宰相風情がなんて無礼な!」
何をどう言おうが無碍に返される。
そんな経験をした事がなかったディステルは、怒りをあらわにそう吐き捨てた。
だが当の赤毛の宰相の顔色は一つも変わらなかった。
「どうぞ、お引き取りを」
短く淡々とした表情でエルヴェクスはそう告げた。
ディステルは、悔しそうに唇を噛み、警備兵の向こうにいる相手を思いっきり睨みつけた。
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