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12: 東の第二王女と少年の話 5
しおりを挟む瞼を閉じてレステラーの唇を受け止める。
少しだけ開いた唇に舌が差し込まれ、絡みつく。
息をのみこむ余裕もないくらい激しい口づけに翻弄され、ツァイトはそのまま身をゆだねようとした。
しかし唐突に唇が離される。
思わず非難がましい眼差しで見上げると、目の前の男はふっと小さく口角を上げた。
「前にも言ったけど、アンタを不安にさせるくらいなら……俺は、魔王なんてもの、いますぐにだってやめてもいいんだぜ?」
「レスター……」
顔が近づき、目もとに口づけられる。
ちゅっと音をたててすぐに離れていく。
レステラーの大きな手が、ツァイトの頭を撫でた。
「それは、だめ、だよ……みんなに迷惑をかけちゃう」
「俺が魔王でさえなくなれば、こんなくだらない事にアンタも巻き込まれねぇだろ?」
「くだらなく、は、ないだろ……」
「くだらねぇよ。結婚も、ガキも、なにもかも、アンタが相手じゃなきゃ、全部どうだっていい」
こつりと額を合わせ、レステラーが穏やかな眼差しでツァイトに微笑む。
レステラーにとってあくまで重要なのはツァイトだけだ。
彼の中で最優先されるべきはツァイトであって、その他が障害になるのなら、躊躇いもなく切り捨てることができる。
いらないとさえ思える。
例えそれが、魔王という地位であろうと、己に古くから仕える忠臣であろうと、関係ない。
それらすべて等しく無価値だ。
「お前、バカだろ……」
「ひどいなぁ。アンタが一等大事ってだけなのに」
ツァイトの頬がうっすらと紅い。
照れ隠しに自分は悪態しかつけないのに、目の前の彼は真っすぐ思いを伝えてくる。
嬉しくて泣きそうだった。
「も、もういい。もう分かったから」
迷いもなく、いとも簡単に魔王をやめると言ってのけるレステラーに、逆にツァイトのほうがうろたえてしまう。
レステラーの言う通り、彼が魔王をやめれば、こんなに悩む必要はなくなるのだろう。
けれどその所為で、この城にいるみんなに、特にツァイトに良くしてくれる人たちに迷惑をかけるのは絶対にイヤだった。
「分かったから、レスターが魔王をやめるってのはなし!」
「……いいぜ。アンタがそういうなら。でも、今度こんなこと言ったら、消すからな」
「消す……って、オレを?」
「違うよ。俺がアンタにそんな真似するわけねえだろ。そうじゃなくて、アンタを不安にさせるもの全部消してやるって言ってんの」
今度こそすぐに理解できなかった。
目をぱちくりと瞬きさせるツァイトをおかしそうに見下ろしながら、ツァイトが見たこともないような顔で口角を上げて嗤った。
「この世界丸ごと、全部消してやる。魔界に住む生きとし生けるもの、この世界ごと、全部消滅させる。そしたら、アンタも安心だろ」
「レスター……」
冗談だよなという言葉が出かかったが、なぜかそれを口にすることが出来なかった。
この男ならそれも可能かもしれないと思ったのだ。
困り果てた顔で見つめてくるツァイトに、レステラーはいつもの調子で笑ってみせた。
「……そんな顔すんなよ」
「だって……」
「大丈夫だって。アンタが俺を信じてくれてたら、そんなことしねえからさ。まあ、とりあえず手近な不安は取り去っといてやるけど」
「なに、するの?」
口元に笑みを浮かべるだけで男は答えてくれなかった。
そして、先ほどの続きとばかりに、もう一度唇を重ね合わせた。
だんだんと深くなっていく口づけに、ツァイトは自然と自分からレステラーの首に腕をまわし応えていた。
口づけは、もはや両手では数えられないほど、した。
おずおずとではあるが、ツァイトからも舌を絡ませられるぐらいには慣れたと言っていい。
けれど、それ以上となると、まだ恥ずかしさがあふれ、素直に身を任せられないでいた。
目を閉じて与えられる口づけにうっとりとしていると、不意に服の裾からレステラーの手が侵入してくる。
肌に直接触れられ、それに気づいたツァイトが慌てて唇を離す。
その手を押さえて、圧し掛かるレステラーを睨みつけた。
「レ、レスター!」
「何だよ?」
「なんだ、じゃなくて! 何する気だよ、こんな時間に!」
この状況で問わなくても分かり切った事だが、ツァイトは聞かずにはいられなかった。
夜ならまだいい。
本当は顔から火が出そうなぐらい慣れない行為だったけれど、それでも夜ならまだ許せた。
だが今は昼だ。
城の中では、まだたくさんの女官達や他の魔族が忙しく働きまわっている。
そんな時間帯だ。
なのに、どうしてこういう状況に陥っているのか、正直ツァイトには理解不能だった。
目元を赤く染めてツァイトの深緑の瞳がレステラーを睨んでいる。
二人の唾液で濡れて艶めくツァイトの唇を親指で軽く拭ってやってから、レステラーは器用に片眉を上げた。
「アンタが一等大事ってことを、アンタに教えてやらないとなと思って」
「え……?」
「わかんない? アンタが不安に思う暇もないくらい、これから俺の愛の大きさってやつを、身をもって分からせてやるってことだよ」
何やらとんでもないことを言われたような気がして、ツァイトは頬が引きつるのが分かった。
「い、いや、いや、いや! 遠慮する!」
焦りながら顔の前で何度も手を振るが、その手をレステラーに掴まれベッドへと押しつけられた。
上からツァイトを見下ろすレステラーの顔に、笑みが浮かんだ。
「俺とアンタの間で遠慮なんかいらねえだろ。アンタだけに特別にサービスしてやるよ」
「い、いらない! っていうか、レスター!」
徐々に大きくなる自分の身体に気づき、ツァイトは今度こそ本気で慌て始めた。
こうやってレステラーが時を操り、ツァイトの身体を大きくするその意味を、ツァイトは理解していた。
もう何度も経験したことではあるが、それでも、こんな風に目に見えて大きく身体が変化する状況はいつまで経っても慣れない。
「お前! 無理やり大きくすんの、やめろよなっ!」
ツァイトが文句を言っている間に、子供の身体から成人のそれへと変化し終える。
どういう原理なのか、ついでに着ている服も大きくなった身体に窮屈にならない程度に大きくなっているのだから不思議だった。
「横暴!」
「心外だなあ。あのままやらないのは、俺の優しさだぞ」
目を細めて男が笑う。
一瞬なんの事か分からず変な顔をしてレステラーを見たが、すぐにその言葉が何を意味するのか理解した。
「え、じょ、冗談……だよな……?」
「さあ? そう思うなら、一回試してみるか?」
子供の姿のままで。
流石にそれは言葉に出さなかったが、相手には十分通じたようだ。
赤かった顔が、今度はさっと真っ青になった。
「お、お、お前!」
パクパクと口が動くだけで、その次の言葉が告げられない。
バカじゃないのかとか、ふざけるなとか、寝言は寝て言えとか、他にも言いたいことは次々と頭に浮かぶのに、あまりの衝撃に言葉にするのを忘れていた。
そんなツァイトを面白そうに見下ろして、レステラーは平然と言葉を続けた。
「欲望に忠実なのが魔族なのに、それをアンタが辛いだろうからって、受け入れやすいようにわざわざ身体を大きくしてやってるんだぜ? これを優しさと言わずに何て言うんだ」
「じゃ、じゃあ! 大きくなるまでやらなきゃいいだろ!」
「それはさすがに俺が可哀そうじゃないか」
「っ!」
どこが、という言葉が出かかったが、いつの間にか再びレステラーの手が服の合わせ目から侵入してきたのに驚いて、言葉を飲み込んだ。
一瞬気が逸れた隙に、レステラーの顔が近付いて、二人の唇が重なり合った。
「……んっ……ふ…ぅん」
薄く開いた口に舌が差し入れられ、舌を絡めとられる。
だんだんと深くなる口づけに、いまや大きくなった身体から力が抜けていく。
「レ、スター……まだ……昼間、だって……」
流されそうになるのを懸命にこらえて、口づけの合間に言葉を紡ぐ。
だが目の前の男は軽く笑うだけだ。
「誰も気にしねえよ」
この城の主であるレステラーが、どこで何をしようが、誰も文句は言えない。
ただ一人を除いては。
「オレが、気にするんだよ……」
真っ赤な顔をして欲情で濡れた瞳で睨まれても、それは男を煽るだけでしかない。
けれどそんな事はツァイトには考えもつかない。
いま彼が気にしているのは、いつ誰かがこの部屋にやってくるかもしれないという事だ。
この時間帯は、女官長が紅茶と菓子を持ってやってきてもおかしくない時間なのだ。
しかし状況を読むのに長けた女官長なら、そんな無粋な真似をすることはまずあり得ないことを、ツァイトは知らない。
そんなツァイトを安心させるようにレステラーが耳元で囁いた。
「なら、誰も入って来れないように結界張っといてやるよ。それなら安心だろ」
「バカっ、そういう問題じゃ……」
ない、という言葉は、再び合わさってきた唇によって塞がれた。
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