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11: 東の第二王女と少年の話 4
しおりを挟む「う、わっ!」
瞬きの間に部屋へ到着したツァイトは、そのまま寝室へと運ばれ、大きなベッドの上へと投げ出された。
柔らかなベッドが衝撃を吸収したため、ツァイトに痛みはない。
慌てて身体を起こしてベッドから降りようとする。
しかしそれよりも先にレステラーがツァイトの上へと伸しあがってきた。
両腕を掴まれ、上から押さえ込む様にしてベッドへと縫いつけられる。
大人と子どもの体格差だ。
レステラーの手を振りほどこうとしても、ピクリとも動かなかった。
「さっきのアレ。アンタ、どういうつもりだ?」
レステラーの鮮やかな紅い双眸が、静かにツァイトを見下ろす。
いつもより低く響く彼の声に、びくりと大きく肩を震わせる。
口をぎゅっと噤んで、ツァイトは視線をそらした。
「言いたくないってんなら、無理やり言わせるまでだけど?」
こちらを見ようともしないツァイトに顔を近づけ、無防備な耳元でそう囁く。
今度は口に続き、ツァイトの瞼がぎゅっと閉じた。
押さえつけている手を、一本、一本、指を絡ませるような形にかえる。
すると、少年が無意識に手を握り返してきた。
「ツァイト」
無理やりに言わせると言ったが、ツァイトに関してのみレステラーは恐ろしく気が長い。
怖がらせるのは本意ではない。
こめかみや目尻、頬に口づけを降らせて、ツァイトが言い出すのを待った。
二人の間に流れる沈黙に耐えかねたのか、恐る恐るといった風に、ツァイトがそらしていた視線をレステラーへと向けた。
「やっとこっち向いたか」
「レスター……怒ってる?」
不安げな眼差しがツァイトから向けられる。
「怒ってねぇよ」
「ホントに?」
「アンタが、公衆の面前で俺を馬鹿だ何だと大声で罵ろうが、頬に平手打ち喰らわせようが、どれだけ我儘言おうが、今まで怒らなかったろ。今さら、本を投げつけられたくらいで怒らねえよ」
「怒ってる……」
「だから、怒ってねぇって」
レステラーにとっては、ツァイトのやることで怒りなんて感じない。
むしろ可愛いとさえ思う。
人目があるところで、馬鹿だと、嫌いだと言われ、平手打ちを食らったこともあったが、その時でさえ怒りなど微塵も湧いてこなかった。
逆にそんな風に怒らせてしまったツァイトの機嫌を、どうやって直そうかと困ってしまったぐらいだ。
もちろん、面と向かって暴言を吐かれたのを許した事も、抵抗もせずに叩かれた事も、ツァイトが初めてだ。
他の者が同じ事をやれば暴言を吐いた瞬間に消してるし、黙って叩かせることもしない。
後にも先にも、レステラーのやることを邪魔をして無事でいるのは、ツァイトだけだ。
魔族の王である自分に平気で噛みついてくるツァイトは、レステラーにとってはただ可愛いとしか思えなかった。
「レスター、ごめん……」
怒るわけがないとレステラーはいうが、わざわざ具体例に出すくらいだ。
快くは思っていないのは明白だった。
改めて自分のしたことを並べられると、恥ずかしくなる。
まるで子どもだ。
「別に、アンタに謝ってほしいわけじゃないんだけど……」
「でも、なんだか声がいつもと違った……」
「あー、怖がらせて悪かった」
うっすらと涙がうかんでいる目尻に、レステラーは口づける。
「ただ、さっきのは気にくわないな」
「な、にが……?」
分かっていない表情で恐る恐る見上げてくるツァイトに、レステラーは一つ溜息を洩らした。
「アンタがあっちに帰りたいんなら、それでもいい。反対はしない。けど、それをあいつらに頼むんじゃねーよ」
「え?」
数回大きな眼を瞬かせてから、ツァイトは小首を傾げた。
「あいつらって……もしかして、ヴァイゼさんとエルヴェクスさん……?」
「帰りたいなら俺に言え」
むすっとした表情で言うレステラーに、ツァイトは呆気にとられた。
いつもは余裕たっぷりな彼の、なんだか拗ねたような言い方がおかしくて、ツァイトは小さな笑みを漏らした。
「何だよ」
「ごめんね」
「いいけど……何があったか、全部正直に吐けよ」
事の詳細は、ツァイトを追いかける前に、あの場にいた女官長のラモーネと女官のミアに聞いて知っていた。
あの場で何があったかは二人から知れたが、それによりツァイトが何を思ったかまでは分からなかった。
だからこそツァイトの口から聞きたかった。
普段は柔らかく細められる紅い瞳が、今は誤魔化す事は許さないと静かにツァイトを見下ろしている。
ツァイトは観念して、今日あったこと、そしてどうしてレステラーにそんな態度をとってしまったかまで白状させられてしまった。
ツァイトの話を聞き終わり、レステラーは心底呆れたような重々しい溜息をついた。
そして掴んでいた手を離し、ツァイトの隣に横になった。
ベッドに横になったまま二人は向かい合う。
「アンタさ……俺が結婚なんてすると本気で思ってんの?」
頬杖をついてツァイトを見ると、どこか言い難そうにしてツァイトが口を開いた。
「する、だろ、普通……。だってお前、王様じゃん」
「しねーよ。っていうか、する必要がどこにあんの? 何のために? まあ、アンタが俺と結婚したいっていうなら、してもいいけど」
「ばっ! 何でオレなんだよ! オレじゃなくて、その……」
視線を反らして言いよどむツァイトの顎をとって無理やり自分の方へと向けて視線を合わせ、深緑の瞳を覗き込む。
「何でそう思ったのか、言ってみろよ」
「いやだ」
「言えよ」
少しだけ声をきつくすると、レステラーにもわかるぐらいツァイトの小さな肩が震えた。
「……怒るなよ」
「怒ってねえよ。っていうか、今まで俺がアンタに本気で怒ったことあるか?」
もちろん本気で怒ったことなど一度もない。
それはツァイトも知っている。
いつも嫌というほど甘やかされているのを身をもって経験しているのだ。
結局また白状させられてしまうのだ。
もういいやと半ば自棄になった気持でツァイトは口を開いた。
「レスターってさ……魔界で王様やってるだろ?」
「ああ」
「こんな大きな城に住んでるし、中央の大地を治めてる」
「それで?」
「王様ってさ、やっぱり王様なんだから、いつまでも独身じゃだめだろうし、王妃様って必要だろ? それで、そのうち跡取りなんかも必要になってくるわけで……」
だんだんと語尾が小さくなっていく。
だが、今までの話の流れから、レステラーには大体の見当はすでについていた。
「男のオレじゃ、子供なんて産めないし……」
「なにアンタ、子供欲しいの?」
「ばっ! 違う! そうじゃなくて!」
少しだけ茶化すように言えば、ツァイトが顔を赤くして怒る。
けれどすぐに勢いをなくして俯いた。
「そうじゃなくて、オレは男だから、そもそも無理だろ? だから、その……男のオレがレスターの傍にいたら迷惑だって……魔王妃候補の邪魔をするなって……後継ぎも作れないくせにって……」
「へえー。それ、誰が言ったんだ?」
声の調子はツァイトに向けるいつものそれだったが、何となく不穏な空気を孕んでいるのを察知して、ツァイトは慌てて顔を上げた。
非常に分かりにくいが、わずかに目が笑っていない。
「し、しらない! オレ……っ!」
「言っとくけど、ガキなんてめんどくせえモノ、必要ない。そもそも、何でガキがいるんだよ」
「だ、だって普通は!」
「アンタさ、何か忘れてねえか?」
「え?」
「俺は、死なないんだぞ? 老いることも死ぬ事もないこの俺に、他の奴らみたいに後継なんてもの必要だと思うのか?」
何といって答えていいのか分からなかった。
たしかに言われてみればその通りだ。
この目の前の魔族の男は、不老で不死だ。
普通は限られた時しか生きられないからこそ次に託す。
この男の場合は死なないのだから、一度王位につけばずっと王のままだ。
レステラーが飽きて放り出さない限りは。
「えっと……?」
目の前の男は老いもせず、死にもしない。
ずっと生きていられるから、王として彼の後を継ぐ者も必要ない。
ということは、結婚して子供を作る必要もないことになる。
「あ、れ? じゃあ、いらない?」
なんだか頭が混乱してきた。
さっきまで悩んでいたのは一体なんだったのか。
「なあ、何がそんなにアンタを不安にさせる?」
ツァイトの亜麻色の髪を撫でながら、レステラーは問いかける。
「他の奴の言う事なんか、真に受けんなよ。戯言なんか耳に入れんな。そんなものに耳を傾けるなよ。アンタに真名をささげた俺は、全部アンタのものなんだぞ。俺は、アンタに嘘はつかないし、アンタだけは裏切らない。アンタは俺だけを信じてろ」
身体を起こし、ゆっくりと覆いかぶさってくるレステラーを見つめたまま、紅い瞳に魅入られたかのようにツァイトは身動きが取れなかった。
「好きだ、ツァイト。愛してる。アンタが望むなら、アンタが満足するまで何度だって言ってやるよ」
「レスター……」
「愛してる。アンタだけだ。俺は、アンタだけがいればいい」
大きな手がツァイトの頬を撫でる。
ゆっくりと近づいてくるレステラーの顔を、ツァイトは避けられなかった。
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