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04: 誘拐される少年の話 3
しおりを挟む「レスター!」
魔王の姿をその視界に捉えて、少年はうれしそうな声を上げた。
安心した少年の瞳から、ボロボロと涙がこぼれ落ちた。
少年とは逆に、魔王の姿を見て恐怖に支配されたのは破落戸の魔族たちだ。
「どうして、ここが……」
少年をさらった時、証拠になるものは何も残していなかったはずだ。
誰にも少年を連れ去る所を見られてはいないのに、どうしてここが分かったのか。
傍にいた女官は、少年と同じように眠らせてその場に放置したが、始末しておけばよかったか。
見つかったにしては早すぎる。
今いるこの場所は、常闇の魔王が統治する魔界の中央の領地ではなく、他の魔王が治める東の領地の中だ。
魔王同士に不可侵の密約があるわけではないが、無益な争いを避けるため、魔王が他の領地へ出向く時には、そこを治める魔王に断りをいれてからというのが暗黙のルールだ。
東の魔王は、一方的に中央の魔王に敵愾心を燃やしている。
この場所が発覚するにしても、東の魔王の妨害にあい、もっと時間がかかると魔族達は思っていた。
しかし、彼らが考えるよりも早くに魔王がやってきた。
「この俺が分からないとでも思っているのか? ずいぶんとお目出度い頭だな」
冷やかな眼差しと共に底冷えのする声で魔王は言った。
「覚悟はできているか」
パチリ、パチリと魔王の腕から小さな青い稲妻が走る。
瞬時に魔族達は自分の命運を悟った。
この無慈悲な魔王に容赦はない。
どれだけ命乞いをしても無駄なのだ。
少年を押さえていた魔族たちが、恐怖で顔色を変え、尻餅をついたまま後ずさる。
「く、くそっ」
いままで見たことがない魔王の態度に、涙がこぼれ落ちる目を瞬かせながら驚いている少年を無理やり引き揚げ、一人の魔族が、まるで盾にするかのように少年の後ろに隠れた。
軽々と片手で少年を掴みあげ、残りの手で魔王に見せつけるかのように少年の首に手をかけた。
ぐっとしまった首に息苦しさを覚えて少年の眉が寄った。
「ぅ、くっ……」
「このガキを殺されたくなけりゃ、大人しく退け。常闇の魔王!」
少しでも逃げる時間を稼ごうと、少年を盾にして魔王を脅す。
恐怖で焦りをにじませる魔族の指が少年の咽喉に食い込む。
魔族に後ろから拘束された状態だが、その魔族との身長差で少年の身体は地面からかなり浮き上がっている。
足が地面につかない。
わずかな自重も加わり、余計に咽喉がしまり、息が苦しい。
涙で潤む深緑の瞳で、少年は目の前にたつ魔王を見つめる。
「それで俺の弱みでも握ったつもりか?」
少年と魔族から目をそらすことなく、魔王はくつくつと喉の奥で嗤った。
「殺りたきゃ、殺れよ。貴様に出来るならな」
「な、に?」
「その程度で俺より優位に立ったと思っているのが、そもそもの間違いだ」
魔王が一歩前へと進み出る。
鮮やかな紅い瞳が苛烈さを増し、それを正面から見た魔族たちは背筋に冷やかなものが流れるのを感じた。
うまく呼吸ができないながらも魔王に視線を向けていた少年も、驚きのあまり僅かに目を開いた。
「……ッ!」
その時初めて魔族達は、手を出してはならないモノに自分たちは触れてしまったのだと思い知った。
魔王に一泡吹かせたいと思ったのは確かだ。
ただ直接対決するつもりはなかった。
自分たちの実力では、どれだけ束になってかかっても、どう転んでも、この魔王に勝てないのは明白だったから。
ちょっと遊んで、魔王の掌中の珠を傷つけた後で、なにかと中央の魔王を目の敵にする東の魔王に少年を売りつけ小銭を稼ぎ、中央と東の諍いを安全なところから傍観しようと考えていた。
唯一時を自在に操れる、強大な魔力をもった、ただ一人の不死者である偉大なる魔王。
その彼が選んだと噂される相手は一体どんな人物なのだろうという好奇心もあった。
今までこの魔王の相手をした事がある者は数えきれない。
だが、すぐに飽きられ捨てられ、大半は消されるのが常だった。
他の魔王が横から手を出して来たときも、嫌がり泣き叫び助けを求めるお気に入りに対して、興味がないとばかりに一瞥をくれることもなく、助けもしなかったから、まさかこの少年のために魔王自ら動くとは考えてもいなかった。
結果として今までのお気に入りと同じ末路を辿り、中央と東の諍いが発生しなかったとしても、この魔王をほんの少しだけ不愉快な思いにさせることが出来たら儲けものだと、そう思ってもいた。
そう思ってこの人間に手をだしたのに。
破落戸たちの思惑は完全に外れていた。
「こ、この人間がどうなってもいいというのか!?」
一歩、また一歩と近づいてくる魔王に、魔族は少年を抱えながら後退る。
今までとは違い、この人間の少年が大事だからこそ、魔王自ら動いたのではないのか。
苦し紛れに少年の首にある手に力を込めれば、少年から小さな呻き声が漏れた。
そこまで思い入れのある相手ならば多少は動揺するかと思えたが、魔王の表情は全く変わらなかった。
「言ったはずだ。殺したければ殺せ、と。聞こえなかったのか?」
「なんだと……?」
「ソイツを俺の目の前で殺せると思うなら、やってみせろよ」
「ひぃッ」
魔王の鮮やかな血のように紅い瞳に睨まれ、魔族達は息をのんだ。
恐怖から自然と奥歯が震え、カタカタと歯が鳴る。
少年の咽喉を締める手が少し緩んだ。
「俺に盾突こうとした気概だけは褒めてやる」
洞窟内に響き渡るほどの音とともに少年を抱えた魔族の背後が光った。
短いうめき声とともにドサリとなにかが倒れ、パチパチと何かが弾ける音がする。
振り向かなくても分かった。
背後にいた仲間が、魔王により攻撃されたのだ。
「あ、あ、あ……」
恐怖に支配され、身体が動かない。
目をそらしたくても、魔王の紅い瞳から目をそらせない。
一つ、また一つと、あちこちで激しい音とともにバタバタと倒れる音がする。
無意識のうちに少年を拘束している腕から力が抜け、少年の首から手が離れていた。
地面に足がついた途端、せき止められていた空気を一気に取り込み、何度も苦しそうにコホコホと咳き込んだ少年は、よろめいてたたらを踏んだ。
後ろ手に縛られているため、手が付けない。
顔から前のめりに倒れ落ちそうになるが、寸でのところで魔王が少年をその腕の中に抱きとめた。
「大丈夫か?」
「レ、スター……」
魔王の腕の中で咳きこみながら顔をあげ、掠れた声で彼の名を呼ぶ。
先ほどまで不穏な台詞を吐いていた人物と同じだとは思えない、少年だけに見せる優しげな笑顔の、少年のよく知る男の顔がそこにあった。
「ちょっとじっとしてろ」
少年の、後ろ手に縛られている腕にある縄に魔王が触れると、風化して崩れ落ちるようにして縄が粉々になって消えた。
自由になった腕がだらりと垂れる。
無理やり縛られていたから、両腕はわずかに痺れ、手首には縄のあとがくっきりと残っていた。
少年のむき出しの身体に魔王の手が触れる。
しかし、さきほど破落戸の魔族に触れられた時のような嫌悪感はなく、むしろ逆にその手のぬくもりに安心して、やっと助かったのだと少年の目に涙があふれてきた。
いつものようにふわりと魔王が少年を抱き上げる。
少年は離れたくないとばかりに、まだ痺れる腕をのばし、ぎゅっと魔王の首にしがみついた。
「もう大丈夫だ。怖がらせて悪かったな」
あやす様にぽんぽんと軽く背を叩いてそう言うと、少年は抱きついたまま首を横に振った。
ボロボロと少年の瞳から涙がこぼれ落ちる。
魔王の声は、破落戸の魔族に向けていたような冷たさは全くなく、酷く優しいものだった。
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