時の魔術師 2

ユズリハ

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02: 誘拐される少年の話 1

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 混沌と広がる魔界に存在する他よりもひときわ広大な中央の大地に、常闇の魔王の御座す居城があった。
 長い間、主が不在だったその城に、魔王が一人の人間の少年を連れて戻ってきたのは、まだ記憶に新しい。
 時折、以前の様に少年と共に人間界に行くこともあるようだが、最近では、ほぼ魔界で過ごしていた。
 冷酷無情の魔王が唯一溺愛する少年がいるという噂は、すぐに魔界全土に広がった。
 噂によれば、少年が何をやっても、何を言っても、どのように我儘にふるまっても、魔王は笑って許すのだという。

 その話を初めて聞いた時、魔族の誰もが信じられない思いだった。
 だがそれは仕方がない事だろう。
 魔王城にいる者たちでさえ、それを実際に目の当たりにするまで信じられないぐらいだったのだ。
 しかし噂は嘘ではなく真実で、他の魔族の目があっても魔王はそれを隠しもしなかった。

 普段の、魔族達が見るような冷笑はどこにもなく、穏やかで優しげな笑みを魔王は少年に向ける。
 命令する事になれた冷たい声は、少年には甘い囁きへと変わり、目があっただけで身体が凍りつくような鋭い紅い眼差しは消えうせ、柔らかく細めるだけだ。

 魔王は少年を拘束したりしない。
 奴隷のように人間の少年をこき使う事もなく、観賞用に部屋に閉じ込めたりすることもなく、ただ少年のしたいように、少年の好きなように自由に行動させた。
 冷酷無情、残虐非道、傍若無人、慈悲の欠片も持ち合わせない唯我独尊の魔王に、そこまでさせる人間が一体どのような少年なのかと誰もが興味津津だった。
 しかし、顔見せの宴など催しもしないため、少年を実際に見たことがある者はとても限られていた。
 それでも人間と魔族の、一目瞭然の違いに、実際に少年の顔を見たことがなくても、中央の魔王城にいる者は、一体誰が魔王の溺愛する少年なのか、容易に知ることが出来た。


「あれか」
「そのようだな。魔界にいる人間など限られている。それがこの魔王城ともなればなおさらだ」


 常闇の魔王の城の、巨大な庭園の片隅で、呑気に庭いじりをしている少年を発見した魔族が二人、ひそひそと会話を交わす。
 美しく整えられた庭園のごく小さな一部とはいえ、並みの魔族なら手出しも出来ない。
 庭仕事など庭師以外しないということもあるが、そうでなくても恐れ多くて憚られる。
 しかし少年は気にすることなく、少年用に作られた花壇に小さなスコップを片手にせっせと何かの植物を植えていた。
 もちろん魔王の許可はとってあるが、許可がなくても魔王は少年に対してダメだとは決していわなかっただろう。


「やるなら今か?」
「そうだな……」


 少年は、今は一人だ。
 護衛も見張りも、お付きの女官の姿もない。
 さきほどまでは女官長が傍にいたが、なにやら言葉をかわし、女官長は少年のもとを離れた。
 貴人は側仕えを多く侍らせるが、少年はそれを好んでおらず、普段少年の世話をしている女官長が主に少年の近くに控えていた。
 しかし、魔王城で働く女官をまとめる立場にいる女官長は、とにかくやることが多い。
 少年が最優先ではあるものの、時折どうしても女官長でなくてはならない仕事の時がある。
 その場合に、ほかの魔王付きの女官に、少年の世話を交代してもらっていた。

 女官長の代わりに、一人の女官が少年へと近づく。
 この魔王付きの女官は数人いるのだが、すべて少年とも顔なじみである。
 少年は、やって来たその女官に向かって笑顔を見せた。

 少年の護衛は、各所に城内を警固する兵士がいるので、とくにつけていない。
 万が一の時には、魔王がすぐに助けに来てくれるから少年は心配もしていなかった。
 それに、魔王が溺愛する少年に手を出せばどうなるかは、火を見るより明らかだった。
 少年には甘い魔王だが、かといって他の魔族にまで甘いかと言えばそうではない。
 他の魔族に対しては今までと変わらず冷酷で無慈悲な魔王だ。
 それゆえに、この城にいる魔族は、人間である少年の事をよく思っていなくても魔王を恐れて何もできない。

 魔王をおそれず、少年に手を出そうとする者はつまり、魔王の首を狙う者、魔王に歯向かおうとする者、魔王にひと泡食わせようとする者ぐらいだ。
 この魔族二人もその部類に入る者達だった。

 不幸にも庭の木々でちょうど隠れ、城内の兵士からはっきりとは見えない位置に少年と女官はいた。
 背後から足音も立てずに近付いてくる魔族たちに少年は気づかない。


「ッ!?」


 叫び声を上げさせないように背後から突然、布で口を塞がれ、驚いた少年は咄嗟に抵抗を試みる。
 少年の視界の端で、少年と同じように女官も口を塞がれ、だが抵抗する間もなく意識を失い倒れ伏す姿が見えた。


「ん! ん! んんッ!!」


 声を出そうとしても口を塞がれていて、くぐもった声しか出ない。
 抵抗して暴れようにも、背後から覆いかぶさられ、少年の両腕ごとまとめて太い腕で拘束されて、身動きが取れない。
 息が苦しい。
 布になにかの薬品をしみ込ませているのか、それとも酸欠なのか。
 徐々に少年の目の前が暗くなっていく。
 少年の手から、植物の苗が滑り落ちる。

 こうして呆気なく少年は二人の魔族の手に捕らえられた。





「申し訳ありませんっ」


 いつもは冷静で何事もそつなく仕事をこなす女官長が珍しく蒼い顔をしながら、玉座にいる美貌を誇る紅い瞳の魔王に向かって、床に額を擦りつけんばかりに頭を下げた。
 女官長の後ろには、ガタガタと震えながら同じように頭を下げる女官がいた。
 その二人を魔王は無表情に一瞥した。

 魔王の溺愛する少年が、忽然と行方をくらませた。
 乱雑に散らばった道具と、無残にも踏みつぶされた少年が植えようとしていた植物の苗。
 その傍で意識を失い、倒れている女官。
 何度呼びかけても、どこを探しても見つからない少年に、女官長は一つの嫌な考えが浮かんだ。
 少年がいくら自由にどこへでも行けるとはいえ、倒れている女官を放置してどこかへいってしまうような薄情な人物でないことは、まだそんなに付き合いが長くない女官長でも知っていた。

 では誰かを呼びにその場を離れたのだろうか。
 だが、各所で城内を警固する兵士は、どこかへ行く少年の姿を見ていないという。
 作業を終えて部屋へ戻るにしろ、どこか他の場所へ行くにしろ、律儀な少年は、女官長や、女官長が居なければ近くにいる女官や兵士に一言声をかけていく。
 特に今回は女官が気を失って倒れている。
 心優しい少年が、周りの誰かに声をかけないわけがない。
 しかしそれがないままに少年はいなくなってしまった。


「連れ去られた?」


 感情のこもらない冷たい声は、それだけで彼の魔王の不機嫌さが分かる。
 だが珍しいことに、叱責も、ましてや失敗した魔族を消してしまう事もなく、魔王はただ頭を下げる女官長たちを玉座から見下ろしていた。

 いつもとは違う初めての対応に、女官長は戸惑っていた。
 この魔王は失敗は許さない。
 代えはいくらでもいるとばかりに、魔王は役立たずをすぐに始末し切り捨てる。
 今回も女官長はそうなることを覚悟していた。
 覚悟して報告した。
 長年魔王に仕えていたなどという実績は関係ない。
 魔王の溺愛する少年を、城内にいながらかどわかされてしまったのだから。
 しかし魔王は肘掛に頬杖をついて静かに女官長たちを見下ろしていた。


「城内をくまなく捜索させましたが御姿は見えず、いらっしゃった庭の様子から察するに、何者かに連れ去られたというのが妥当かと。城内を巡回していた者が、怪しげな荷物を抱えた魔族を二名見たとの報告も上がっております」
「相変わらず変なのに目をつけられるなあ」


 側近のエルヴェクスの報告に、ふっと魔王の表情が緩む。
 人間界にいる時も、少年は何かと面倒事に巻き込まれ、魔術学院時代の学友につけ狙われたり、攫われたりと忙しかった。
 魔界に来れば、人間を毛嫌いしている魔族が多いから必然的にそうなるだろうとは思っていたし、特に少年は魔王が心を傾ける唯一の存在であるから、いつかは狙われる可能性があるとは考えていた。
 だがそれが大胆にも魔王のいる城内で行われるとは。
 自分の首を狙ってやってくる魔族が最近減った理由はそう言う事かと、魔王は口角を上げた。


「ただちに行方を捜させます」
「必要ない」


 短くきっぱりと魔王は断った。
 その言葉に側近と女官長は耳を疑った。
 あれほど溺愛していた少年を、冷酷で無慈悲な魔王はやはり切り捨てるのかと。
 しかし魔王の言った意味はそれとは少し違った。


「捜さなくとも居場所はすでに分かっている」


 どこにいようとも、魔王には少年の居場所が手に取る様に分かった。
 普段はあえて意識しないようにしているのは、探す気になれば簡単に見つかるからだ。


「レステラー様」


 玉座から立ち上がった魔王に、側近が声をかけた。
 まさか魔王自らそこに行くというのか。
 側近の呼びかけに、魔王は身も心も凍るような冷やかな笑みを浮かべた後、その場から姿を消した。




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