欠損少女と声無しの奴隷

ペケペケ

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結末

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 暗い、とても暗い所に私はいる。

 私は死んでしまったのだろうか? それとも生きているのだろうか?

 分からない。
 何も感じない、何も見えない、何も聞こえない。

 ただ、この暗闇はじつに心地が良い。
 怖くもないし、むしろ凄く落ち着く、暗い所は苦手だったはずなのに……。

 あの本、そう、私を変えたあの本には確か死後の世界には感情が無いと書いてあった。
 この状況はまさにそれでは無いだろうか?

 心はずっと平坦で波が立たず、凪の海のようだ。

 まあ、私は海どころか空すら見た事がないからこの比喩が正しいかは知らないが。

 でも、綺麗な景色とはどんな物なのだろうか?
 私にとっての世界とは彼と一緒いたあの狭い部屋だけだ。

 それはそれで幸せだったけど、晴天の空の下で二人で海を見たり、星を見たり、山を見たりしてみたかった。

 それはきっと、とても素敵な事だろう。


 そう、素敵だと理解は出来る。
 でも心が動く気配は無い。

「やっぱり、死んでしまったのかな?」

 彼を愛おしく感じられないこの状況が酷くもどかしく感じるような気がする。

 きっと、このまま暗闇の中にいれば、いつかは溶けて消えるのだろう。
 新しい環境か、それとも地獄か……うん、どうでもいいな。

 地獄だろうと来世だろうと、どうせ何も変わらない。
 次の生も私は必要とされないし、愛されない。
 惨めに生きて、死ぬだけだ。

 そこに得るものはあるのだろうか?
 でも、それを決めるのも私なのだろうか?


 ……私に選ぶ権利などあるのだろうか?
 辛いから、そんな理由で全てを捨ててしまう私に。

 でも、私には捨てたく無いものがある。
 絶対に失くしたく無いものが。

 もし選べるのなら、こんな私でも次があるのなら、私は、彼の側に居たい。

 彼の側にいれるならまた手足が無くても良い。
 人じゃなくたっていい、ただ一緒に、私は彼と共に生きて行きたい。


 最初から分かっていた、こんな暗闇の安らぎなんてまやかしだ。
 私の本当の安らぎは彼と一緒に居る時だけなんだと。


 ーー心が動き始めた気がした。


 私は彼の事が好きなんだ、本当に愛してるんだ!

 だから死にたく無い。こんな闇の中で一人ぼっちなんて絶対に嫌だ。
 助けてほしい、私を闇の中から救い上げてほしい。

 突き放してしまったけど、捨ててしまったけど、私の事が大事だからと言って助けに来てほしい。
 私の、隣に……。


 そういえば、いつだったかな? キミが珍しく、もしもの話をしたことがあった。

『もしも、ここから出られたら、どうしますか?』

 キミに悪気など無かったのは知っている。
 でもね、私は、キミが隣に居ないもしもの話なんて聞きたく無かったんだ。

 出られる筈の無い部屋の中で、死ぬまでそこが私の世界なのに、キミはキミの隣に私が居ないもしもの話を楽しそうにするんだ。

 後にも先にも、キミを怒鳴りつけたのはあれだけだった。

 もしもあの時、私が勇気を出していれば未来は変わったのだろうか?

 その隣にはもちろん私が居るんだよね? と。
 いつものように、少しだけ偉そうに、私がキミに言えたら。
 キミはなんて答えたんだろう。



『もちろんですよ、ずっと一緒に居ます。お嬢様の隣が、ボクの幸せですから』


 男らしい声を聞いた気がした。
 低く、滑らかで耳触りの良い声音。

 何故だろうか? 聞いた事がないのに、真っ先に連想したのがキミの声だった。


 在る筈の無い右手に、温もりを感じる。
 優しく、頑張れと伝えるような力強さを感じる。

 生きろと、頑張ってくれと、強い想いが込もっている気がする。


 誰の手か、そんな事は考えるまでもない。

 私はその時、初めて誰かの手を掴んだ。
















「いはい」

 目が醒めると、全身が激痛に襲われていた。

 目の奥が熱く、脳の中がぐしゃぐしゃに掻き回されているような痛み。

 片目は腫れているのか開かない。
 辛うじて開く右目はボヤけてしまって見えない。

 口元には何かが付いていて喋りにくい事この上ない。

 ただ、一つだけ確かな事がある。

 私は、生きている。


 右腕に力を感じる。誰かが、いや、彼が握ってくれているのだろう。

 そうか、隣にいてくれるんだ。

 なら安心だと、私は痛みから逃げるように再び眠りについた。














 あれから1週間が経った。


「痛い、いたいよぉ」

 私は泣いていた。
 本当にずっと泣いていた。目が醒めるたびに激痛が私を襲うからだ。

 こんな状態になってから、私は少し幼くなった気がする。
 すぐ彼に甘えてしまうのだ。

「て、ギュッとして」

 彼は少し笑みを浮かべて私の手を握ってくれる。
 彼が肘の付け根を握ってくれると痛みが和らぐような気がする。

 痛く無くなるまで、もう少しだけ頑張ろうと思える。












 あれから2週間が経過した。

 体調は少しずつ良くなってる筈だけど、痛みが一向に薄れる気配が無い。
 誰かが言っていたけど、私は極端に痛みに弱いらしい。
 それはそうだ、まともな環境で生きて来なかったのだから痛みなど感じる機会は滅多にない。

 ただ顔の痛みは徐々に引いている気はする。
 でも困った事に、私は彼に今の私の姿を見られたくなかった。

「いやだ、キミは私を見ないでくれ、こんな、こんなのいやだ」

 私がそういうと、彼は部屋から出ようとする。

「やだ、どうして外に行こうとするの?」

 情緒不安定にも程がある。
 私は彼にどうして欲しいのだか。

 それでも彼は嫌な顔一つせずに私に背を向けてベッドに座り、手を握ってくれる。

 こんなにわがままを言った事がない私はすぐに不安になって彼に謝る。

「ごめんなさい、良い子にするから側にいて?」

 彼はこちらを見ずに小さく頷いてくれる。

 そうして私はまた眠りにつく。













 あれから3週間たった。

 痛みもようやく薄れて、少しは正常な思考が出来るようになって来た。

 でも……

「いらない、ご飯食べたくない」

 私の退行は治る事は無かった。悪化こそしてないが、どうも彼に対して我儘を言うのが心地よかったから癖になってしまったようだ。

 彼は困ったような表情をする。
 どうした物かと少し考える素ぶりをすると、閃いたように紙に何かを書き始めた。

『では、ちゃんとご飯が食べれたらご褒美をあげましょう』

「ご褒美?」

『一緒に、外に出てみませんか?』

「そと?」

 一瞬、彼が何を言っているのか理解出来なかった。

『はい、お医者さまも、そろそろ大丈夫だと言ってましたし、一緒に夕焼けでも眺めに行きましょう』

 そうか、もうあの部屋の中じゃ無いのか。

 少しだけ怖い、でも彼が一緒ならきっと。

「全部食べないと、だめ?」

 彼は困ったように笑った。














 太陽の色を初めて知った。風の心地よさを初めて知った。
 空の高さを初めて知った。木々の緑を初めて見た。

 初めての外は、私の心を震わせるのに十分すぎるくらい感動的だった。


「すごいなぁ、外は」

 彼の顔は見えないけれど、私は彼が私と同じような表情をしていると思った。

「ここ数週間、キミにはずっとわがままを言ってばかりで本当に申し訳ないと思っているよ」

 痛み止めがしっかりと効いている今なら、前みたいな喋り方が出来る。
 そう思って、胸の内を話したのに、彼と来たらまったく。

『あんなお嬢様もボクは好きですよ、何より可愛い』

「キミはいじわるだなぁ、私は恥ずかしくて顔から火が出そうだって言うのに」

『申し訳ありません』

「良いよ、ありがとう。
 ……ねえ、どうしてキミは私を助けに来てくれたんだい? 手紙にも書いた筈だ、命の危険があるって、キミには何も期待していないって」

 答えが少し長いのか、夕焼けのなか、カリカリと背後で書き物の音と風の音だけが耳に残る。

 そして、スッと紙が私の前に差し出される。

『お嬢様、ボクは怒っています。
 一つ、お嬢様がボクの事を捨てた事について。
 二つ、お嬢様の自分はどうなってもいいと自暴自棄になる所について。
 三つ、来るなと言われた程度でボクが来ないと思っていた事についてです』

「うぅ、ごめんよ」

 困った、本当に怒っているようだ。

『でも、嬉しいって思った事もあるんです』

「嬉しいこと?」

『貴女がボクの事を大切に想ってくれていた事です』

「あ、当たり前じゃないか、私は、私だって……」

 言葉に詰まってしまう。想いを伝える事が、大切だと伝える事がこんなにも怖くて恥ずかしい事だとは思わなかった。


『お嬢様、貴女が口にした、最後まで一緒に居たい人とは誰の事ですか?』

「えっ!? あれ!? なんで、キミが知ってるの!?」

『何故って、その時に貴女を抱えていたのはボクですから』

 うそでしょ、今際の際だからこぼしてしまった嬉し恥ずかしの本音がまさか本人に聞かれていたとは思いもしなかった。

 私は何故か必死に誤魔化そうと口を回す。

「えっと、その、だね。実はあの時の事はよく覚えて……」

 私の言葉を遮るように彼が私の前に来た。
 真剣な表情、凛々しくてカッコいい。

『ボクは、あの時の言葉をボクだと言って欲しいんです、違うなら違うとハッキリ言って下さい。
 そうすれば、ボクはちゃんと諦められますから』

 あぁ、そうか。
 さっき自分で思ったばかりじゃないか。
 想いを伝えるのが怖いって。彼もきっと同じなんだ。

 なけなしの勇気を振り絞って、私に問いかけているんだ。
 ならば、私もそれに答えなくてはならない。

「キミの事だよ、間違いなくね。
 白状してしまうとね、私はずっとキミの事が好きだったよ。優しくて気が利いて、まっすぐで真面目で頭が良くて、何より、本の趣味が良い。
 キミに本を選んでもらって、それを私が読み上げる、そんな関係が私は、とても好きだった。
 だからね、私は私が死ぬと分かった時、キミがその後に殺されてしまう事が一番嫌だったんだ。だってそうだろ?
 私が死んで、キミが死んだら、誰が私の死を悼んでくれるんだい? 誰が私が生きたと証明してくれるんだい?
 もちろん、キミには幸せになって欲しかったけど、結局私は私の為にキミにずっと覚えていて欲しかったんだ」

 私の言葉は正しく発声されていただろうか?
 頭の中も、心の中もぐちゃぐちゃだ。
 恥ずかしくて、怖くて、それでも幸せなこの気持ちは一体なんと表現したら良いのだろうか?

 日も時期に沈む、真っ赤な顔はきっと夕焼けのせいなのだと言い訳ができなくなってしまう。

 しばらく見つめ合うと、彼は力強く頷いて懐から一枚の紙を取り出した。
 そこには、拙い形の文章が書かれていた。


『おじよさま、ぼくは、あなたのことが、すきです』


「これ、は?」

『お嬢様に内緒で書いた初めての手紙です、改めて見ても汚い字ですね』

「ううん、そんなことないよ」




 いま思い出しても、この時の記憶は良く覚えている。

 夕焼けが沈みきる前の、あの切ない時間。
 私は確かに泣いていた。

 初めての事が沢山あって、大事な人から大事だと伝えられて。
 嬉しくて出る涙がこの世にあるとは、世界は広いと言わざる得ない。


「ねぇ、こういう時、意中の男性は女性に対してどう行動するべきだと思う?」

『? 分かりません?』

「ふむ、では教えるので私の顔にキミの顔を近づけたまえ」

 その言葉で察したのか、彼はカチンコチンになりながら私の顔に近づいてくる。

 まったく、私も初めてだというのに……。



 きっと、私は幸せだ。
 私が何故こんな生まれを選んだのか、今なら分かる気がする。

 どんな痛みも、どんな苦しみも、キミと出会うために私はこの生を選んだのだ。

 それは、偶然ではなく、きっと、




「私を、幸せにしてくれよ?」

『もちろんです、必ず幸せにしてみせますよ』






end
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