欠損少女と声無しの奴隷

ペケペケ

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耳に触る声音

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 惨劇、というのはこの事なのだろう。

 男は下半身を露出した状態で後頭部に包丁が突き刺さって死んでいた。

 それを行ったであろう女性も腹部を何度も突き刺された形跡があるにもかかわらず、寝室からこの地下室まで歩いて来たようだ。
 コルセットのおかげで内蔵が溢れ無かったとはいえ想像を絶する痛みだった筈だ。
 何故そうまでしてこの地下室に来たのか、それは恐らく第三者の存在だろう。

 この地下室には不思議な事にこの二人以外の誰かが居た形跡がある、しかし、その人物はこの部屋のどこにも居ない。
 屋敷に残っていた僅かな使用人も「何も知らない」の一点張りである。

 奇怪な事件ではあるが、元々夫婦の仲はあまり良好ではなかったらしいので爵位を剥奪され、その関係が悪化して殺し合いになったと、この事件はそう纏められた。

 非常に遺憾ではあるが、捜査が打ち切りになった以上、私がこの事件を追う事は出来ない。

 真実がいつか明らかになる事を願っている。















『この手紙を読む理由があの子を助けたいから、というものであるなら、この先を読んで下さい。
 もしそうで無いのならこの手紙は貴方にとって不快なものでしか無いと思いますので、三通目と一緒に捨てる事をお勧めします。

 まず、あの子の部屋には隠し通路があります。
 どうして、と思われるでしょうがそれを書いている時間は無いので書きません。ただ一つ言えるのはこの隠し通路は私以外誰も知らないという事です。

 この封の中の二枚目に地図が入っているので使うのであれば良く確認してから道を行って下さい。
 迷うと野垂れ死にますので。

 そして貴方があの子を連れ出す時、もしもあの子が生きていた時の為に助けを用意しておきます。
 あの人とは一切繋がりの無い、私が一から作り上げた友人達です、きっと貴方たち二人の力になってくれるはずです。

 最後に、私は貴方に色々な責任が生じていると言い含めていると思います。
 ですが、それは貴方を縛る為に言った言葉ではありません。
 貴方は奴隷という身分を脱し、人権を取り戻した。
 私はその事について、責任があると言っただけの事です、間違ってもあの子に対する責任などありません。

 責任感であの子を助けに行ってはいけない。
 それはあの子が望みませんし、誰もが悲しくなるだけの選択です。

 もし、心の底からあの子を大事に思って、あの子を助けに行ってくれるのなら、私は貴方に最大限の感謝を捧げます。

 そして、願わくば貴方たちが無事に籠から抜け出し、幸せになれる事を祈らせて頂きます。



追伸、三通目の手紙はあの子に渡して下さい。
 渡すかどうかを決めるのは貴方が中身を読んでからでも構いません。』



 手紙の内容に従い、ボクは隠し通路を進み、お嬢様の部屋の手前まで来ていた。

 中の様子を確認する事は出来ない。
 仮に旦那様と鉢合わせになったら、ボクは迷わずに行動する、そう心に決めていた。
 しかし、部屋の中から聞こえるのは怒声や暴力的な音ではなく、ゆったりとした子守唄だった。

 ゆっくりと壁を押すと、見慣れたいつもの部屋が血塗れになっていた。

 壁には噴き出したであろう血飛沫。
 その血液は部屋の中央では死んでいる旦那様のものだとすぐに分かった。

 そして、ベッドの上では奥様がお嬢様を抱きながら体をゆらゆらと揺らし、子供をあやすように子守唄を歌っている。

 抱かれているお嬢様の顔は何度も暴行を受けたのだろう。
 綺麗だった顔は青紫に腫れ上がり、無事な箇所などあるようには見えなかった。

 ピクリとも動かないお嬢様を見て、すぐに死という単語を連想するが、奥様が弱々しい口調で声を発する。


「大丈夫、まだ生きていますよ」

 そう口にする奥様からも止まる事なく血が流れているのだろう。
 真っ白の筈のシーツが鮮血に染まっている。

「さあ、変わって下さい。ここから先は貴方の番です」

 それ以上、奥様は何も言わなかった。

 優しくお嬢様を受け取り、一つ頭を下げると、奥様は糸が切れたように倒れこんでしまう。

 口元からは血液が逆流して吐血をしていた。

 虚ろな瞳を浮かべ、奥様はパクパクと口を動かしている。

 ボクはそっと奥様の口元に耳を寄せた。


「ちゃんと、愛してあげられなくて、ごめんなさい」


 間に合わなかった。
 そう感じたボクは涙を堪えながら来た道を戻り始めた。

 どうして、ボクはこんなにも役立たずなんだろうか。

 お嬢様を助ける事も出来ず、奥様に全てを尻拭いしてもらい、ボクはこうしてお嬢様を運ぶ事しか出来ない。

 本当に無力だ、ボクだけではお嬢様は守れなかった。
 今でさえボクはお嬢様を治療してもらえるような所を一つも知らない。

 ふと立ち止まり、お嬢様の腫れ上がった顔を見ると、どうしようもなく不安になった。

 お嬢様は助かるのだろうか?

 絶対に助けてみせると、意気込む事すら今のボクには出来ない。
 その為の力が、知識が圧倒的に足りていない。

 何で、どうして、そう同じ思考を繰り返していると、行きは長く感じた道があっという間に終わっていた。


 この先に進めば再び外の世界だ。
 今度はお嬢様と一緒に。

 あと一歩、あと一歩で世界が変わる。
 そう理解している筈なのに、何故かボクはその一歩を踏み出す事が出来なかった。


 果たしてボクは、お嬢様を守れるのだろうか?

 お嬢様がこのまま助かり、一緒に生きて行く事になったとする。

 きっとお嬢様は怒るだろう。
 何故言うことを聞かなかったのかと、私の言葉は君にとってどうでもいい事なのかと。

 でもボクはそれを許してくれる人だと知っているし、理解っている。
 でも、お嬢様はそのまま生きて行く事を良しとしてくれるのだろうか?

 いつものように、キミはどこか好きな所にいきたまえ、と、そんな風に突き放されてしまうのではないだろうか?

 そして、突き放されてしまったら、ボクは何も知らない世界をただ一人で生きて行かなくてはならない。

 それはとても恐ろしい事だった。

 こんな役立たずのボクが一人で生きて行く?
 一人では何もできないボクが?

 無理だ、あり得ない、できる筈が無い。


 そう思った瞬間、ボクはその場に座り込んでしまった。

 どうしてボクは此処に来てしまったのだろうか?
 お嬢様を助ける為? ボクなんか必要無かったのに?

 奥様も人が悪い、最初からお嬢様を助けるつもりだったならボクにあの手紙を持たせる意味なんて無かった筈だ。

 ボク以外の人に助けを求めたんですよね?
 ボクじゃなくても良かったんですよね?

 ボクは何も知らない。世の中のことや普通の人の生活や幸せ、ボクにとっての世界とは、お嬢様と一緒にいたあの狭い部屋の中だけだから。

 そう考えるとお嬢様を抱える両手が鉛のように重くなった気がした。

 ボクには責任がある。
 お嬢様をここまで連れ出した責任が、命を救うという責任が。
 その思いがずっしりと重く体にもたれかかる。

 覚悟はあった筈だ。
 お嬢様の事が大事で、お嬢様の事が好きで、愛していて、ボクにはお嬢様が必要だし、お嬢様にはボクが必要になって欲しかった。

 でもボクは、お嬢様に期待されても何一つ役目を果たす事が出来ないかも知れない。

 お嬢様の期待に応えられない、それだけの力がボクには無い。

 そうなれば、きっとボクはお払い箱だ。
 役立たずを手元に置いておけるほど余裕なんて今のお嬢様には無い筈だ。

 きっとボク以外の誰かを雇って、ボク以外の人と仲睦まじくなり、「キミには本当に助けられた、ありがとう、私の事はいいからキミはキミの幸せを探してくれ」そんなような事を言ってボクを突き放すのだろう。

 そう考えてしまったら涙が堪えきれなくなってしまった。
 嫌な考えが脳裏に過ぎる。

 そんな事になるくらいなら、いっそのことボクは此処で……



「最後まで、キミと一緒にいたかったな」



 鈴の音のような声音が、ボクの耳を触った。

 涙の先に、お嬢様の顔があった。
 ピクリとも動かず、お嬢様はそこにいる。

 気が付いた訳では無いだろう。それでも確かにボクはお嬢様の声を聞いたのだ。


 最後って、それはどこまでですか、お嬢様?


 思わず笑ってしまった。

 ボクに向けた言葉では無かったのかも知れない。
 それでもこの場にボクが居て、お嬢様がそう望むなら、ボクはそれに付き合おうと思った。

 我ながら現金な奴だと思う。
 今にも不安に押しつぶされそうだったのに、お嬢様の小さな一言でこんなにも落ち着いてしまうのだから。

 ボクは立ち上がり、足を一歩前に踏み出した。

 ーーこの人の為なら、ボクはどんな事でも出来る気がする。

 知らない土地で生きる事も、知らない事を学ぶ事も、この人と添い遂げる為ならどんな事でも。


 あぁ、そうだ、お嬢様のさっきの言葉、誰に向けて言ってくれたのか絶対に聞かせて貰わないと。

 何故か一度も見たことがないのに、お嬢様が顔を真っ赤にして言い訳をするのが目に浮かんだ。






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