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声無し
しおりを挟むボクの仕事はある女性のお付きだった。
そのお方は雪の様に白く、両の手足が無かった。
男であるボクにはもっと厳しい仕事など幾らでもあるだろうに、何故ボクのような声を出せない者をお付きにしたのか、その理由はすぐに分かった。
「何故あんな物が我が家に産まれてしまったのだ」
当主である旦那様がそんな言葉を度々零すのを耳にした。
どうやら、お嬢様は厄付きという災いを運ぶ者と特徴が似ているらしい。
生まれつき肌が白く、毛髪すら色を失ったように白い。
極め付けが瞳の色だ、普通ではありえない程に鮮やかな青紫色をしている。
ボクはただ美しいと思うだけだったが、この家の人たちは気味が悪いと近づこうとすらしなかった。
名家に生まれた災いの子、そんな子が産まれたという噂が広まれば、名家の名に泥が付く。
しかし言い伝えを信じているこの家の人間はお嬢様を殺す事が出来なかった。
ならば、と、両の手足を切り落とし、動けなくした後に情報を外に漏らす事が出来ない物に世話をさせれば良いのだ。
そんな思惑から言葉を話せず、また文字を書けないボクがお嬢様のお付きに選ばれたという事らしい。
本当に、本当に……。
閑話休題。
孤児院からこの家に引き取られてからは、ここはまるで天国のようだった。
毎日お嬢様のお世話をするだけで食事が貰える。
これだけでも破格の待遇なのに、寒くない程度の衣類と身なりを整える為の水浴び、寝床には暖かい毛布まで頂いてしまった。
幸せとはこういう事なのだろうと、染み染みと感じてしまう。
お付きの対象であるお嬢様は温和で怒ることが一切無い寡黙なお方だった。
多少、本の趣味に関して難しい所もあるが、彼女が不満や愚痴、嫌味や怒声をあげる事など一度も無かった。
本当に楽な仕事だ、とそう思っていた矢先の事だった。
お嬢様の読者の最中、ボクはあろう事か欠伸をしてしまった。
もう時期、交代の時間が来る。
そうした安堵感と物静かな空間のせいで気が緩んでしまったのだ。
まずい、マズイ、不味い。
たかが奴隷の分際で任された仕事中に、それも大して辛い内容でも無いのに欠伸をしてしまったのだ。
今すぐに解雇と言われても納得の出来る理由だ。
戻りたくない、あの孤児院にはもう二度と。
そんな思いのせいか、額どころか全身から嫌な汗が吹き出しているのが自分でも良く分かった。
頭から血の気が引いてる感覚さえ容易に分かる。
それほどボクはパニックになっていた。
しかし、いつまで経ってもお嬢様は何も言わずにこちらを見ているだけだった。
怒っているわけでも、哀れんでいるわけでも無い。
ただ不思議そうにこちらを見ているのだ。
今すぐに弁解をしたい。
だがボクには弁解をする為の手段が無い。
しどろもどろになりながら、ボクはお嬢様に向かって、深く、深く頭を下げた。
「……あぁ、なるほど、君は私が怒っていると思っているんだね?」
ボクは全力で頭を下げ続ける。
「わかった、ではとりあえず顔を上げて貰えるかな?
そのままじゃマトモに意思疎通なんて出来ないだろう?」
意思疎通が出来ない? まるでボクの言い分を聞いてくれるような物言いに、おずおずとボクは頭を上げる。
「ふむ、ようやく君からアクションがあったね、幾つか質問をするから肯定なら頷き、違うなら首を振りたまえ、分かったかな?」
ボクは一つ頷いた。
「よろしい、では一つ目だ。私の介護は暇かな?」
ブワァっとまた全身から汗が吹き出す。
「ん? どうしたのかな? 早く答えたまえ。あぁ因みに嘘を吐いた場合、君が先程からしている嫌な想像通りになるかも知れないから気をつけるように」
二度、三度と何度も頷く。
「それで? この仕事は退屈かね?」
ボクは必至に違うと言いたい理性を押し殺し、ゆっくりと頷いた。
「ふむ、正直でよろしい。実は私もそうでは無いのかと思っていた所でね、申し訳ないと思っていたんだ」
? 申し訳ない? 何に?
そうした疑問が溢れる。そしてそれが顔に出ていたのか、お嬢様は柔らかな声音で言葉を続ける。
「君にだよ、毎日必ず12時間、私の介護をしてくれている君にさ」
お嬢様の言葉が理解出来ずに固まってしまう。
「君が私の介護を始めてもう1年、休みも無く私の世話をしてくれる君には本当に感謝の言葉しか無いよ、ありがとう」
あり、がとう? ありがとうって、何だっけ?
感謝? 何故? どうしてお嬢様がそんな言葉をボクに掛けてくれるんだ?
ボクは人生で初めて投げ掛けられた言葉の意味が理解出来なかった。
「因みに、さっき私が君の事を見ていたのは、いつも黙々と私のお願いを聞いてくれる君が珍しく人間らしい反応をしたから物珍しかっただけだよ。
欠伸くらいで私は怒ったりしないのでそんなに怯えないで欲しい」
怒ってはいない、その言葉にボクは安堵した。
あの孤児院に戻る事は無いのだと。
「ふむ、しかし困ったな」
困ったと言ってお嬢様は珍しく眉を寄せている。
「いざ君とコミュニケーションが取れるとなったら何をしようか迷ってしまう」
もしかして、お嬢様は寡黙なのでは無く、喋り出す機会が掴めなかっただけなのだろうか?
不思議そうな表情をしてしまっていたのか、お嬢様は眉をさらに寄せた。
「その通りだよ、君は表情が変わらないし言葉も喋れない、基本的に私と目を合わせてくれないし、自分から動く事が無い。
そんな君に対して私はどんな評価を君にすれば良い? もしかしたら他の人たちと同じように悪感情を抱いているかもしれない君に」
確かに、自分から何かをした事は一度も無かった。
あまり目を合わせる事も無かった。
言われてみるとお嬢様がボクの事を知る機会なんて殆ど無いに等しい。
それこそ彼女から「君は私の事をどう思っている?」と聞かない限りは分かり得ないかもしれない。
納得し、一つ頷くと、お嬢様は分かればよろしいと溜飲を下げてくれた。
「だがさっきの欠伸で確信が持てた、君は少なからず私の世話をするという仕事に責任を持ってやっているし、この仕事をなるべく続けたいとも思っているとね」
まるで内面を覗かれたように正確な判断で素直に驚いてしまう。
「それならば他の人たちよりはあまり嫌悪感を抱いていない、そう思ったのだが……」
お嬢様は少しだけ、本当に少しだけ目尻を下げて問い掛けてくる。
「君は私の事が嫌いだろうか?」
ボクは首を横に振る。
「まあ、流石に面と向かって嫌いですとは言えないか」
どうしよう、その場しのぎの嘘だと思われているような気がする。
「大丈夫、その事については無かった事にしよう。
君は実に真面目に私の世話をしてくれる、だから居なくなられると困るんだ。
その気持ちは出来るだけ隠して、これからも介護をしてくれると……いや、そうしてくれるなら私は君の退屈を紛らわせる努力をする、だから……」
どうだろうか? と不安気な声音でお嬢様はボクにそう言った。
きっと、言葉を持たないボクに、この誤解を解く事は出来ない。
だから精一杯の気持ちを込めて、ボクはお嬢様の肘の付け根を優しく掴んだ。
「握手、というやつだね。私は君の手を握り返す事は出来ないが……了承した、と受け取ってもいいのかな?」
ボクはなるべく笑みを作り、頷いた。
「そうか、それは重畳だ。まあ、もう少し笑顔の練習はした方が良いがね」
その通りだとボクも思った。
これがお嬢様のお付きを初めて1年目の出来事。
ボクは更にここから10年という歳月を彼女と共に過ごす事になるのだが、
世の中というのは、人間というのは、どうしてこう本当に……くだらないのだろうか。
これは物語なんかでは無い。
紙に書き出した懺悔のようなものだ。
お嬢様はいつか言っていた。
「最初から持っているから無くしたく無いと思うのだよ。私は、最初から何も持っていなかった、そう思う事にしているんだ。
だから手足が無くても構わないし、食事だって別に無くても良い。
もちろん、私の命だって」
何もかも、最初から持っていないと思えば、無くしてしまっても惜しくは無い。
本当でしょうか、お嬢様?
貴女はそれで本当に良いのでしょうか?
ボクにはそれが、その言葉だけが、最後までどうしてもその通りだと肯定する事が出来なかった。
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