紡ぎ奏でるのは

【馬鹿げた暴挙】

　酔っていた。
　そう。
　あまりにも憂鬱で、ついつい飲みすぎて厭な酔い方をしていた。
　だから妙なイタズラ心を出して、ついついわけのわからない暴挙を犯してしまったのだ。

　普段なら絶対に、絶対にやらない、馬鹿げた行為───。

　安っぽいラブホテルの、だだっ広いベッドの上。
　そこに確かに存在する部内一のイケメン、いや、人の好みによっては社内一のイケメンから目を逸らして、奏かなでは深く深く溜息をついた。


　例えばその日は、朝からがいけなかった。

　まず、コーヒーが入ってはいけない器官に侵入して午前の業務中ずっと喉が変だったり、やたらと信号にひっかかったり、社食のマヨネーズがブヒっと嫌な音を立ててはじけて制服を汚したり、他の女子社員がやってしまったつまらないデータ入力のミスを押し付けられたり、とにかく明るい要素の全くない日だった。

　極めつけが部内の飲み会。
　さっさと家に帰って風呂に入り、ビール片手に連続ドラマの続きが見たかったけれど、全員参加の懇親会を拒否することもできず、話相手も特にいない奏は、手持ち無沙汰と憂鬱が相まって、気がつけば一人宴席の隅で深酒をしてしまった。

　そのまま特に誰とも会話らしい会話を交わさぬままフラフラとトイレへ立ち、先客のやたらと長い用足しが終わるのを待って席へ戻ったときには、なんと酒宴の席は蛻の殻で、奏はしばし途方に暮れた。

　しかしよくよく考えれば会費は既に支払っているし、とってつけたような挨拶をせずにすむという事実に思い至って、底を這っていた気分がほんの少し上がったものだから、三分の一残った水割りを一気に煽った。

　何度もグラスに注ぐのも目立って嫌だな、と濃いめに作っていた水割りが喉を焼く。

「かーっ」

　会社では絶対に見せない姿。
　カバンを探してさっさと帰ろうと、ぞんざいな動きで自分の座っていた辺りのテーブルを覗き、そこに会社の忘れ物を見つけた瞬間、奏は派手に顔を歪ませた。

「はあ？　嘘だろ」



　そこにあった忘れもの。
　それは奏の通勤用の鞄を枕に、真っ赤な顔で呻いている男子社員──それも肉食系女子が見れば食らいつきたくなるような可愛い系アイドル社員、友部朗太ともべろうただった。

「マジかよ。ふざけんなよ」

　鞄を救出するべく力任せに引っ張ってみたが、小柄な朗太とはいえ完全に脱力した成人男子の重さには、ちょっとやそっとでは太刀打ちできない。
　躊躇なく朗太の、酔ってなお整った顔に足をかけると全力でカバンを引き抜いた。

「ふぅ」

　やれこれで帰れるとばかり足を踏み出した瞬間。

「だから、俺ぇ、ほんっと、ダメダメっつーか」　

　そんな言葉とともに脚を掴まれた。

　ギョッとして振り返れば、奏に無茶をされ頭を床に打ち付けた朗太が目を覚ましたらしく、グチの続きを再び吐き始める。
　朗太がクダを巻いていたのは知っていたが、しかし何故まだここにいるのか。

「ちょ、離して」

　奏にしても酒が回りに回っている状態だったから、なおも朗太を足蹴にして、そこに残したままその場を離れようとした。

　けれど。

「すみません、お客さん、お連れさん、お願いしますよ。次の予約入ってるんですよね」

　と言われてしまえばこちらも大人。
　会社の手前なんてものはどうでもいいが、さすがに店に迷惑をかけるわけにもいかない。

　そして店の外で捨てておけばいいかと溜息ひとつ、朗太に肩を貸したのがそもそもの間違いだったのだ。