あの夜に君が。

藤瀬すすぐ

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【ほろ苦い記憶】

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 憎からず思っていた相手からの着信というものは、今後進展を予感させるものが何もなくても胸をざわめかせるものだなあと、今実感している。

「久しぶり。いきなり悪いな」
「いーえ。同窓会の幹事とか、大変そうだねえ」
「10年の節目だし、俺もやっとこっち帰ってこれたし、せっかくだから。おまえ名簿にのってなかったから、葛城さんに連絡とってもらったんだよ。参加でいいよな?」
「うーん…なんか微妙なんだよね、その葛城来れないっていうし、したら、あのクラスで話できる子、あんま思い出せないし」
「は? オレがいるでしょ、そこは」
「なおビミョー」
「失礼なやつだな。松下も来るって言ってたぞ。おまえ、松下のこと好きだっただろ?」
「そんなこと言ったっけ? かっこいいとは言った気もするけど」
「言ってたろ。あの汗を舐めたい、とか、まつ毛になりたい、とか」
「やめてよ、ワタシとんだ変態じゃない。その場のノリでしょ、それは」

 文化祭用意のせいで帰宅が遅くなったため、憎からず思っていた相手と夜2人で帰ることになったときは、嬉しいというよりも気まずさのほうが勝っていた気がする。

 学校では仲間同士バカなことを言い合う、気の合うクラスメイト。とはいえ、お互いの連絡先さえ知らなかったくらいの関係ではあったから、その気まずさの中に、関係の進展を予感させる何かを感じとっていたのかもしれない。

 会話の糸口にと見上げた夜空が、存外に綺麗だったことや、昼間は濁ってあまり綺麗とは言い難い夜の川の水面が、ネオンの光を反射して煌めいていたこと。

 昨日の晩御飯さえ思い出せないくせに、あのときの色や音や匂いは未だに色褪せることがなくて、歳をとって呆けてしまっても、それらはきっと鮮明に思い出すことができるんだろう。



「夜はやっぱり涼しいね。虫も元気に鳴いてるし」
「だな。昼間はセミうるさいしな」
「だね」

 心臓の鼓動が早かったのが歩いているせいじゃないのは、いつもの半分くらいの速度しかなかったから。
 意識し過ぎて上っ面の会話しかできないくせに、時を少しでものばそうとするみたいに、二人でゆっくりと歩いていたから。

「女子って、ほんとイケメンに甘いよな」
「そりゃ、男子も同じでしょー。香川さんあたりに小首コテン、てされて『付き合って?』とか言われたら、絶対オーケイしちゃうよね」
「いや、いや、俺は別に容姿万歳ってんじゃねーもん。話しやすい子の方がいいわ」
「……そりゃあ、私だって、そうだし……」
「……だよな」
「うん」
「な」
「………あ、まあ、そりゃ、当然イケメンは、好きだよ、そりゃ。アイドル愛でるのと同じで」
「そーだよ、そーいや、聞いたぞ? おまえ松下の汗なら舐めれるとか、まつ毛になりたいとか言ってたって」
「はあ? 誰からきいたの⁉︎  そんなん、その場のノリでしょ、ノリ。そりゃ松下くんの顔は好きだよ? 綺麗な男前で──」


 会話が途切れたのは、こちらに向けられる視線に気づいたから。
 そして目の合ったあの瞬間の濃密な空気は、特別な何かを孕んでいたはずだった。

 川沿いの道の、湿度がまとわりつくよう息苦しさ。
 飽和して、今にも弾けそうな何か。
 自分より高い位置にある、夏の夜に溶けそうなほど日に焼けた頰に伝う汗が灯をうけて綺麗で、私が舐めたいのはその汗だ、なんて思ったとき。

「やっぱり松下のこと、好きなん?」

 そう聞かれて。
 違う、自分が好きなのは───。
 そう口にしようとしたそのとき。

「せんぱーい」

 飴を転がすような、甘ったるい声が聞こえて。

 そして。
 夏休みがあけて「好きなヒト」は、あの時の後輩の彼氏になっていた。
 濃密だと思っていた空気には何も孕まれてなくて、幼い虚栄心みたいなものを砕かれた気がして、結局卒業まであまり話すことも無くなってしまった。
 そんな、お粗末な夏の記憶。



「参加でいーよな?」
「んー? でもなあ」
「あー、彼氏束縛系?」
「ある意味」
「………へぇ」
「残業、休日出勤、安月給、モラハラ気味?」
「はー? そんな彼氏別れろ別れろ。絶対もっとマシな男いるって」
「別れたらご飯食べらんないし、また就活とか面倒くさい」
「ん??」
「どうせ私は仕事が恋人の寂しいやつなんですよ、ええ」
「………ほんとにさあ、おまえって、前からすげえ面倒くさい会話するよね。ややっこしいんだよ」
「何がよ。そーいうそっちこそ、結婚間近ときいたけど?」
「どこ情報だよ。そんな相手いたら連れてきてくれ、さみしい俺に」
「……へえ…そうなんだ、へえー」
「おまえさあ、実際、当時松下のことどうだったん?」
「だから何で松下くん?」
「いや、だって、おまえが松下のこと好きって言ってたって聞かされて、そんで松下もお前の連絡先知ってたしさあ」
「まあ、塾一緒だったから、その連絡用にはね」
「いや。そんなん知らんし」
「そもそも誰から私が松下くん好きとかそんな話聞いたわけ?」
「……三宅……」

 ───飴を転がすような、甘ったるい声───。

「まあ、とにかくだ! お前、参加でいいな?」
「え? ああ、うん。ねえ、あのとき───」
「……ん?」
「あ、いや。あのとき、から、髪、少なくなってない? 大丈夫?」
「失礼な。フサフサだわ」
「ベルトの穴の位置、多めに変わってたり?」
「してねーよ」
「私はねー、痩せたんだよ、これが」
「ああ、知ってる。こないだお前が製品説明してるウェブ会議見たんだ。お互い年取ったなあ、って10年を感じたわ」
「はあ? 失礼な」
「はは。いい意味で、な。綺麗になっててビックリしたってことにしといて」
「綺麗になっててビックリした、で、終わっていいのよ、そこは」
「まあ、じゃあ、生に会えるの楽しみにしとくわ。出席よろしくな」
「へーへー。了解しました!」
「じゃな」
「うん、じゃあ」
「………」
「………」
「………あー、あの、さ」
「ん?」
「あのとき──」
「……ん?」
「あのとき、聞こうと思ってたんだけどさ」
「……な、にを?」
「あー、いや、まあ、また、会ったとき言うわ」
「あー、まあ、はい」
「今度こそ、じゃあ」
「はい、うん、じゃあ」

 切れた通話の余韻に、あの夜の星が、虫の声が、川の匂いが、重い湿気が、頬を伝う汗が、鮮明に思い出される。

「はは……」

 ともわれ。
 
 憎からず思っていた相手からの着信に、今後の進展を予感させるものが含まれていたとしたら、とりあえず美容院を予約しようとするもんなんだな、と、今実感している。
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