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第4話 ルシフェル
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それからしばらくの間、マリアはアルファの屋敷で匿われる形となった。ローゼスへの謁見の件こそ表に出ていないが、箱舟教団から彼女が姿を消した事実はすでに上層部に知れ渡っていた。それでも教団は予言者の存在を明かすことはできず、“魔王”の血を引く悪魔だと人相書きをばらまき、彼女を探させていた。それは皇帝ローゼスにとっては都合の良い話だった。
「大洪水が来るなどという馬鹿馬鹿しい話に加えて、虚偽の魔王の子孫などと戯言を触れ回り、臣民を混乱に陥れている。早急に排除せよ」
これ以上のいい口実はなかった。ローゼスはそう兵に命じ、教団の排除に乗り出した。教団が排除されるのが先か、伝説の中の魔王と同じ瞳の色をした少女を誰かが見つけて騒ぎ出すのが先か、そんな状況の中、アルファは暇そうにしていた。
「暇そうだね」
同じ部屋で本を読んでいたマリアがそう声をかけてくる。
「お前を監視しないといけないからな」
今回“皇帝の犬”たるアルファが出てこないことに、臣民も教団も疑いの目を向けていた。だから表に出たいのだが、マリアの監視を他人に任せるのは躊躇われた。魔王の子孫という戯言や大洪水が来るという話を信じている者は兵の中にもいる。代わりは簡単には立てられない。そんな状況だった。
アルファにとって今信頼できるのはローゼスと、メイドのアリスだけだった。どちらも魔王の子孫や洪水などという根拠不明の噂話ではなく、自分の見たものそのものを信じる人間だった。その点でいえば、2人は間違いなく信頼できる。
「なら尋問をしたら? そのつもりでぼくもここにいるんだけど」
「なにを聞いてもふわっとしか答えないではないか」
「だって、なんでこんな力があるかも、出自もぼくにはわからないんだもの。でも予言はたくさんしてあげただろう?」
確かにこの家に来てからマリアは多くの予言を行った。大きなものから小さなものまで、そのすべてを的中させている。
「ならお前は未来をどう“視る”? お前には未来を確定させる力があるのか?」
「なんども言っているだろう? そんな力はない。ぼくにできるのは“視る”だけだ。それとせっかく名付けてくれたんだ、マリアと……」
少女の要望を無視しながら、アルファは考える。未来を確定する力はない、いつでも未来を視ているわけでもない。ならば……。
「なんでそんなに余裕なんだ? 自分がひどい目に合わない未来が視えているのではないのか?」
「違うよ。ぼくはぼくの聖騎士(ナイト)様を信じているだけさ」
「はあ……」
これである。二言目にはこう言ってけむに巻こうとしてくる。無論、確かにこのままアルファとローゼスの保護下にいれば、教団に連れ戻される可能性は低い。アルファもローゼスも年端もいかない少女に手荒い真似をするつもりもなかった。だが、民衆の魔王の血族という言葉への不安の表れは凄まじいものがある。帝国にいることが見つかれば、処刑されかねない勢いだった。いかにローゼスが嘘だと言っても、民衆は納得しない。そうなればローゼスも彼女を処刑せざるをえないだろう。民意に逆らってまでマリアを守る義理は、ローゼスにもアルファにもないからだ。それにも関わらず彼女が安心しきっていることが、アルファには謎だった。
「そうため息を吐くな。そうだ、話をしてくれ。君の過去がいい。ぜひ聴かせてくれ」
「……それは何度も話しただろう?」
「だが、毎回本では得られない君の話が聴けてぼくはうれしいんだ。頼むよ」
マリアは本を置くと、アルファにねだるような笑みを向けた。彼はこの笑みに弱いことを、アルファもマリアもここ数日のやり取りで理解していた。
「あれは砂漠のオアシスでのことだ……」
◆◆◆
『……っ』
開いた目に最初に入り込んだのは、強い太陽の光――マリアより幼い年頃の少年は、ある日オアシスで目を覚ました。自分が何者なのかも、なぜそこにいるのかもわからなかった。
――僕はどこからやって来た?
――僕は誰なんだ?
――いったいどうして、こんなところに?
いくつもいくつも疑問が浮かぶが、そのどれもが何もわからない。仕方なくしばらくぼんやりとしていると、不意に空から白い翼の生えた女性が降りて来た。その右手には白いカーネーションが握らている。それを天使と呼ぶのだとその時の彼は知らなかった。
『こんなところに放置するなんて、ルシフェルも何を考えているんだか』
1人つぶやく天使を、少年は茫然と見つめていた。
『あら、ごめんなさい。まずはあなたを導かないとね。あなたの名はアルファ』
『……アルファ』
『そう。そしてここをまっすぐ行きなさい。そこにあなたの運命が待っているわ』
天使の言葉に導かれるまま、アルファと名付けられた少年は進んだ。砂漠という炎天下の中でも、何故か苦痛はそれほどなかった。ただ、ただ、前に続いている道を進んだ。
『…!』
そうしてどれくらい経ったのかもわからないが、ひたすら進んだ先には都が見えた。
『……血の、におい?』
何かが起きようとしている、何かとてつもないことが。そう思ったアルファは勘を頼りに駆けた。……自分がなぜ血のにおいを知っているかも知らぬまま。
◆◆◆
「そして今の陛下――当時の皇太子殿下を暗殺から救った褒美に陛下の騎士に取り立ててもらったというわけだ。ってどうした?」
適当に話し終えてマリアを見ると、顎に手を当てて何事か考えている様子だった。
「……その天使は、ルシフェルとつぶやいたんだね? ほんとうに? 前回はそんなこと言っていなかったけど」
「ん、ああ。思い出したから一応な。なにか気になるのか」
「君はこの国の伝説を知らないのかい? ルシフェルは魔王の相棒だった天使だよ」
「そうだったか……?」
「まあ、一般にはあまり知られていないから君が知らないのも無理もないか」
「ルシフェル……魔王の相棒、ね。なんでお前はそんなことを知ってるんだ?」
「それ、は……本、本で読んだんだ」
「ふぅん」
この時は読書家だなあくらいにしか思っていなかったが、アルファは考えるべきだったのかもしれない。なぜろくな教育を受けていない彼女がそれほど本を読めるのか、一般に知られていない伝説まで知っているのはなぜか、そこまで突き詰めて考えていれば、あんなことにはならなかったかもしれない。
「大洪水が来るなどという馬鹿馬鹿しい話に加えて、虚偽の魔王の子孫などと戯言を触れ回り、臣民を混乱に陥れている。早急に排除せよ」
これ以上のいい口実はなかった。ローゼスはそう兵に命じ、教団の排除に乗り出した。教団が排除されるのが先か、伝説の中の魔王と同じ瞳の色をした少女を誰かが見つけて騒ぎ出すのが先か、そんな状況の中、アルファは暇そうにしていた。
「暇そうだね」
同じ部屋で本を読んでいたマリアがそう声をかけてくる。
「お前を監視しないといけないからな」
今回“皇帝の犬”たるアルファが出てこないことに、臣民も教団も疑いの目を向けていた。だから表に出たいのだが、マリアの監視を他人に任せるのは躊躇われた。魔王の子孫という戯言や大洪水が来るという話を信じている者は兵の中にもいる。代わりは簡単には立てられない。そんな状況だった。
アルファにとって今信頼できるのはローゼスと、メイドのアリスだけだった。どちらも魔王の子孫や洪水などという根拠不明の噂話ではなく、自分の見たものそのものを信じる人間だった。その点でいえば、2人は間違いなく信頼できる。
「なら尋問をしたら? そのつもりでぼくもここにいるんだけど」
「なにを聞いてもふわっとしか答えないではないか」
「だって、なんでこんな力があるかも、出自もぼくにはわからないんだもの。でも予言はたくさんしてあげただろう?」
確かにこの家に来てからマリアは多くの予言を行った。大きなものから小さなものまで、そのすべてを的中させている。
「ならお前は未来をどう“視る”? お前には未来を確定させる力があるのか?」
「なんども言っているだろう? そんな力はない。ぼくにできるのは“視る”だけだ。それとせっかく名付けてくれたんだ、マリアと……」
少女の要望を無視しながら、アルファは考える。未来を確定する力はない、いつでも未来を視ているわけでもない。ならば……。
「なんでそんなに余裕なんだ? 自分がひどい目に合わない未来が視えているのではないのか?」
「違うよ。ぼくはぼくの聖騎士(ナイト)様を信じているだけさ」
「はあ……」
これである。二言目にはこう言ってけむに巻こうとしてくる。無論、確かにこのままアルファとローゼスの保護下にいれば、教団に連れ戻される可能性は低い。アルファもローゼスも年端もいかない少女に手荒い真似をするつもりもなかった。だが、民衆の魔王の血族という言葉への不安の表れは凄まじいものがある。帝国にいることが見つかれば、処刑されかねない勢いだった。いかにローゼスが嘘だと言っても、民衆は納得しない。そうなればローゼスも彼女を処刑せざるをえないだろう。民意に逆らってまでマリアを守る義理は、ローゼスにもアルファにもないからだ。それにも関わらず彼女が安心しきっていることが、アルファには謎だった。
「そうため息を吐くな。そうだ、話をしてくれ。君の過去がいい。ぜひ聴かせてくれ」
「……それは何度も話しただろう?」
「だが、毎回本では得られない君の話が聴けてぼくはうれしいんだ。頼むよ」
マリアは本を置くと、アルファにねだるような笑みを向けた。彼はこの笑みに弱いことを、アルファもマリアもここ数日のやり取りで理解していた。
「あれは砂漠のオアシスでのことだ……」
◆◆◆
『……っ』
開いた目に最初に入り込んだのは、強い太陽の光――マリアより幼い年頃の少年は、ある日オアシスで目を覚ました。自分が何者なのかも、なぜそこにいるのかもわからなかった。
――僕はどこからやって来た?
――僕は誰なんだ?
――いったいどうして、こんなところに?
いくつもいくつも疑問が浮かぶが、そのどれもが何もわからない。仕方なくしばらくぼんやりとしていると、不意に空から白い翼の生えた女性が降りて来た。その右手には白いカーネーションが握らている。それを天使と呼ぶのだとその時の彼は知らなかった。
『こんなところに放置するなんて、ルシフェルも何を考えているんだか』
1人つぶやく天使を、少年は茫然と見つめていた。
『あら、ごめんなさい。まずはあなたを導かないとね。あなたの名はアルファ』
『……アルファ』
『そう。そしてここをまっすぐ行きなさい。そこにあなたの運命が待っているわ』
天使の言葉に導かれるまま、アルファと名付けられた少年は進んだ。砂漠という炎天下の中でも、何故か苦痛はそれほどなかった。ただ、ただ、前に続いている道を進んだ。
『…!』
そうしてどれくらい経ったのかもわからないが、ひたすら進んだ先には都が見えた。
『……血の、におい?』
何かが起きようとしている、何かとてつもないことが。そう思ったアルファは勘を頼りに駆けた。……自分がなぜ血のにおいを知っているかも知らぬまま。
◆◆◆
「そして今の陛下――当時の皇太子殿下を暗殺から救った褒美に陛下の騎士に取り立ててもらったというわけだ。ってどうした?」
適当に話し終えてマリアを見ると、顎に手を当てて何事か考えている様子だった。
「……その天使は、ルシフェルとつぶやいたんだね? ほんとうに? 前回はそんなこと言っていなかったけど」
「ん、ああ。思い出したから一応な。なにか気になるのか」
「君はこの国の伝説を知らないのかい? ルシフェルは魔王の相棒だった天使だよ」
「そうだったか……?」
「まあ、一般にはあまり知られていないから君が知らないのも無理もないか」
「ルシフェル……魔王の相棒、ね。なんでお前はそんなことを知ってるんだ?」
「それ、は……本、本で読んだんだ」
「ふぅん」
この時は読書家だなあくらいにしか思っていなかったが、アルファは考えるべきだったのかもしれない。なぜろくな教育を受けていない彼女がそれほど本を読めるのか、一般に知られていない伝説まで知っているのはなぜか、そこまで突き詰めて考えていれば、あんなことにはならなかったかもしれない。
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