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第1話 出逢い
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しとしとと雨が降っていた。そんな中番傘を差して歩く青年がいた。青年の名は宮森司。とあるお屋敷に下宿しているいわゆる書生である。
スタンドカラーの白い書生シャツの上から茶色の着物を身に着け、紺色の袴を着つけている。足元は白い足袋に黒い鼻緒の塗りの下駄だった。2枚の歯がカランコロンと小気味よい音を奏でていた。彼の髪は短い黒色をしていて、丸眼鏡をかけた姿はどこにでもいる書生だった。しかしその瞳は黒曜石のように輝いており、彼の学問に邁進する心を表していた。
ふと彼の耳に、美しい笛の音が聴こえてきた。その音色はあまりにも美しく、そして儚げだった。一瞬で虜になってしまった司は、キョロキョロと辺りを見回し、音色の出どころを探した。すると、山に続く石の階段を見つけ、その上から音色が聴こえていることに気付いた。そして音色に導かれるように、彼は階段を一段飛ばしに上っていった。
◆◆◆
階段を駆け上ると、そこには大輪の花を咲かせる1本のそれはそれは大きな桜の木があった。その桜のあまりの美しさに、司は息を飲んだ。その間も桜は雨に打たれ、ひらひらとその花びらを散らしていく。司は再び呼吸ができるようになると、桜の木の根元に1人の女性がいることに気が付いた。
まるで天女のような女性だった。長くつややかな黒髪は腰まで伸び、その肌は透き通るように白い。その白い肌に、薄紅色の着物が映えていた。そんな天女を、司はただ黙って見ていた。見とれていた、といっていい。天女は司の視線に気づき、吹いていた笛から口を離し、彼を見つめた。司と同じようで違う、吸い込まれるような黒い瞳が司を捉えたのだ。次いで天女はにこりと微笑んだ。その微笑みが司の金縛りを解いてくれた。
「う、美しい音色でした」
絞りだすように司が言った。
「ありがとう。あなたはこの笛の音色を聴くことができるのですね」
「……? それはもちろん。あまりに綺麗な音色でしたので聴き入ってしまいました」
「この音色を美しく感じたのなら、きっとあなたの心は美しいのでしょうね」
「そ、そんなことは……」
天女との会話はどこか不自然な部分もあったが、司はそんなことも気にならないほど気分が高揚し、またあがっていた。そんな彼に、天女は尋ねた。
「お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「え? 司です。宮森司」
「司様……。よいお名前ですね」
「あの、あなたのお名前もお聞きしても?」
「そうですね……」
天女はゆったりとした動作で桜の木を見上げてから、再び司を見てにこりと微笑んだ。。
「……〝桜〟とお呼びください」
「桜、さん。あなたにぴったりなお名前ですね」
「そうでしょうか?」
「ええ。あなたは桜のように……」
〝美しい〟
思わずそう言いそうになり、咄嗟に司は自身の口を押えた。そんな司に天女……桜は優し気に微笑み続けてくれた。だから司は高鳴る胸を軽く押さえながら、また声が上ずらないようにしながら尋ねた。
「あの、またここに来たらあなたに会えますか?」
「あなたがここに来られるなら、きっとまた会えるでしょう」
やはり天女の、桜の答えは変わっていた。しかしこうして二人は出逢ったのだ。それが楽しくも切ない、儚き日々の始まりだと気づかぬままに……。
スタンドカラーの白い書生シャツの上から茶色の着物を身に着け、紺色の袴を着つけている。足元は白い足袋に黒い鼻緒の塗りの下駄だった。2枚の歯がカランコロンと小気味よい音を奏でていた。彼の髪は短い黒色をしていて、丸眼鏡をかけた姿はどこにでもいる書生だった。しかしその瞳は黒曜石のように輝いており、彼の学問に邁進する心を表していた。
ふと彼の耳に、美しい笛の音が聴こえてきた。その音色はあまりにも美しく、そして儚げだった。一瞬で虜になってしまった司は、キョロキョロと辺りを見回し、音色の出どころを探した。すると、山に続く石の階段を見つけ、その上から音色が聴こえていることに気付いた。そして音色に導かれるように、彼は階段を一段飛ばしに上っていった。
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階段を駆け上ると、そこには大輪の花を咲かせる1本のそれはそれは大きな桜の木があった。その桜のあまりの美しさに、司は息を飲んだ。その間も桜は雨に打たれ、ひらひらとその花びらを散らしていく。司は再び呼吸ができるようになると、桜の木の根元に1人の女性がいることに気が付いた。
まるで天女のような女性だった。長くつややかな黒髪は腰まで伸び、その肌は透き通るように白い。その白い肌に、薄紅色の着物が映えていた。そんな天女を、司はただ黙って見ていた。見とれていた、といっていい。天女は司の視線に気づき、吹いていた笛から口を離し、彼を見つめた。司と同じようで違う、吸い込まれるような黒い瞳が司を捉えたのだ。次いで天女はにこりと微笑んだ。その微笑みが司の金縛りを解いてくれた。
「う、美しい音色でした」
絞りだすように司が言った。
「ありがとう。あなたはこの笛の音色を聴くことができるのですね」
「……? それはもちろん。あまりに綺麗な音色でしたので聴き入ってしまいました」
「この音色を美しく感じたのなら、きっとあなたの心は美しいのでしょうね」
「そ、そんなことは……」
天女との会話はどこか不自然な部分もあったが、司はそんなことも気にならないほど気分が高揚し、またあがっていた。そんな彼に、天女は尋ねた。
「お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「え? 司です。宮森司」
「司様……。よいお名前ですね」
「あの、あなたのお名前もお聞きしても?」
「そうですね……」
天女はゆったりとした動作で桜の木を見上げてから、再び司を見てにこりと微笑んだ。。
「……〝桜〟とお呼びください」
「桜、さん。あなたにぴったりなお名前ですね」
「そうでしょうか?」
「ええ。あなたは桜のように……」
〝美しい〟
思わずそう言いそうになり、咄嗟に司は自身の口を押えた。そんな司に天女……桜は優し気に微笑み続けてくれた。だから司は高鳴る胸を軽く押さえながら、また声が上ずらないようにしながら尋ねた。
「あの、またここに来たらあなたに会えますか?」
「あなたがここに来られるなら、きっとまた会えるでしょう」
やはり天女の、桜の答えは変わっていた。しかしこうして二人は出逢ったのだ。それが楽しくも切ない、儚き日々の始まりだと気づかぬままに……。
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