室内競技

えんがわ

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室内競技

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 ラケットのふちから鈍い音がして、球が高く浮かんだ。ミスショット。ギャラリーから「あっ」と声がこぼれた。「ああ」と、こちらも嘆息をこぼす。球は台の上を高く浮かび上がり、浮かび続け、そのまま台を超えていく。ように思えたが、力ないそれは、くっと速度を失い落下して、敵の前にぽんと落ち、敵は何でもないチャンスボールを焦った。パンと打球音がして、球はネットに引っかかった。
「っしゃ!」と少し恥ずかしくも、勝利のかけ声を久しぶりに出す。
「ついてる、ついてるー」というギャラリーからの調子のよいそれは、新田だ。やや甲高く、少し語尾を上げる癖のある声。
「へっ、魔球よ」
 なんて、返事をしたら、自分ながら妙に明るいトーンだった。
 中学最後の試合だ。セットを一つ既に取られ、得点は18対4とリードされている。勝負弱い自分はここから逆転できる目など、術などないことを知っている。最後の試合だ。鋭いスピンのかかったサーブが来る。一、二。低くコーナーに決まったそれに、必死に合わせるが、球は制御をそれ、ネットに絡まった。19対4。
 中学の三年間、団体戦のレギュラーを取ろうと必死だった。経験者だったというアドバンテージは、半年も経たないうちに簡単に埋まっていった。それでもそれを保とうと毎日、卓球台に食らいついた。学校の周りを何周もランニングした。卓球マシーンの前で右に左に駆けた。麦茶を詰めた水筒は何時も空になった。雑巾がけをしたし、練習台を何時も二階から一階へと降ろした。朝練にも行った。慣れないダブルスにも挑戦した。それでもレギュラーを逃した。何とか情けなくも、個人戦のメンバーに残り、一回戦、二回戦の内申のために部活に参加するような奴らに勝利し、三回戦の卓球を趣味にするだろう奴に勝利し、そして四回戦。この敵と出会ってしまった。しかし、夢、見せるなよ。あと一回、勝てば、県大会なんだ。
 敵の手の平から球が垂直に上がり、お馴染みの予備動作が行われる。芸のない一本やりの横回転サーブだ。だけど、それを攻略できず、得点を取られ続ける自分は、性もない。球が低く、コーナーに迫ってくる。シェアハンドで返す。浮いた。力ない球だ。敵にとって、またとない絶好球。パアン。球は勢いよくラケットから放たれ、そしてこちらには反応できないスピードで、台にバウンドすることなく、逸れた。19対5。夢、見せんなよ。
 続くサーブは、わずかに狙いが逸れ、コーナーぎりぎりを狙っただけに、台に二度タッチすることなく、目の前を掠めた。アウトだ。
「シュッ」
 と舌打ちを外したような音が、敵の口から洩れる。
「しゃっ!」
 とこちらは勝利を叫ぶ。相手は勝負に焦れている。それが平常心を鈍らせている。頼むから、期待させんなよ。なんて頭ん中は毎度、呟くのだけど、どうしても、淡いもの、予感のようなものが、胸の中で落ち着きなく弾む。必死にいさめる。夢、見させんなよ。

 敵は球をじいっと見つめ、深呼吸をし、サーブを放った。一、二。これ以上なく鋭いサーブが、台を滑り、反応する間も与えられず、通り過ぎた。
「サーブ交代だぞ、サーブ交代」
 味方のギャラリーから野次が飛ぶ。そうだ、サーブの交代だ。五点ごとに敵味方、それぞれのサーブ権が移る。それを敵さんは忘れていたのだ。得点は無効となり、慌てて得点表のカードはひっくり返される。皮一枚、繋がった。
「それにしても、飛びっきりのサーブだったよな」
 新田がおどけた。釣られて笑ってしまう。笑ってしまった。少し間ができた。
 蒸した室内。隣の市の体育館にはもちろん冷房などなく、がらんとした空間は夏の熱気に満ちている。紺色の卓球台。橙の球。少し焦げた敵さんの顔。ぶつぶつと何か呟いている。額に手をやると、浴びたような汗が伝う。ざん切りカットの毛が張り付き、頭に熱が籠っている。だけど、不思議に暑さは感じなかった。
 確かに飛びっきりのサーブだ。このサーブだけで、敵はここまで来た。ここから先も、これで切り開くのだろう。それは、自分にはとても、真似できないし、返せない。夢は夢なんだよな。

 スマッシュが鮮やかに決まった。歓喜の声がわっと挙がる。もうそのサーブを受けることはなく、自分の敗退で、幕は閉じた。


 決勝の同輩の試合を見届けたことで、帰りは夜に近い夕方になった。結局、あいつはあのサーブだけで地区予選のトップを取った。
 新田と田んぼ道を、周り中、田んぼばっかなのに、予算を使って、広く整えられた道を、自転車で帰っていく。夏の熱気はしつこく空気を作っている。セミの声が消え、何時ものカエルの声もせず、何だか妙に静かだ。新田は無灯火ですいすいと自転車を転がす。こちらは、少し憎くも、彼の分もライトをつけて走る。疲れは驚くほどに残っていない。二十年たった今、その疲労を知らない身体が羨ましく、またレギュラーも個人戦にも参加できず、でも自分の応援に駆けつけてくれた新田の横顔が、暗闇で見えなかったはずなのに、妙にはにかんだものとして記憶に残っている。その新田が笑った。
「ははっ、惜しかったなぁ」
「そうか」
「ひょっとしたらと思ったんだよ」
「ひょっとしたら、ね」
 そうさ、俺も部に入ったときは、ひょっとしたら県大会に、ひょっとしたら全国になんて思ってたよ。テレビのインタビューの予行練習まで、脳内でしたもんさ。ひょっとしたら。でもこれでそんなもんから覚めて、もう少しは辛気臭い明日へと向かうことが出来そうだ。
「まあ、これで受験に専念できるよ」
「はは、負け犬のじょーとー文句」
「こんな地味で暗い室内競技とはさよならして、制服のカッコイイ高校行って、自慢できる大学行って」
「サラリーマンになって、そう、うだつのあがらないサラリーマンになって、出世に奔走して、休日を接待ゴルフで費やすと」
「それを言うなよ」
 新田は少し天を見て、呟いた。
「俺のオヤジみたいに」
「はは、ジンセーなんてそんなもんだろ」
「なるなよ」
「あっ?」
「お前はそうなるなよ」
「ならねーよ」
「お前は俺の目標なんだからな」
 少しだけ照れてしまった。或いは少しだけ未練があったのかもしれない。それを軽口でごまかす。
「くだらねー、目標だな」

「なあ」
「んっ?」
「高校行くとするよ」
「どこ行けるかな? 上尾? 浦和は遠いし」
 弱い風が吹いた。草の匂い。少し間を置いて、新田が、
「んっ、高校行ったとして、卓球続ける?」
「いんや、もう沢山。才能ないの。わかったし」
「俺は続けるよ」
「んっ?」
「俺、続けるよ。卓球好きだし、それに中途半端に終わっちゃったしさ。大会、出れなかったし」
「そっか」
「お前が、羨ましいよ。才能ないってわかるまで、頑張れて、努力出来て。俺も高校はそう思えるくらいに卓球に染まりたい」
「そっか」
「あのさ、できればさ」
「おっ。あぶねーぞ。このカーブ。去年、サッカーの川田がバイクにつつかれたって。見通し、悪いから」
「ああ」

 その後、俺は高校は籍だけを置いた軟式テニス部で受験勉強に専念し、東京の大学に出て、この地に帰り、ここで働き続けている。
 でも、あの時、新田に応えて、二人で卓球を続けていたらなんて、夢想をすることがある。それは今よりも幸せではないかもしれないけれど、なんというか、どうしてもあの日の続きから分岐した時間を想像し、それは決してこれはこれで満足している今に決して繋がらないとしても、それは無性にどうしようもなく遠い、憧れのような、夢のような、そんな大それたものではないけれど。ただ、遠く、懐かしく、くすぶっている。 
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