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4.伯爵令嬢を落とす

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 また翌日。
 懲りずに愛しい人がニースの前に立ち塞がった。

「あなた!
 昨日はよくも、両親のゴニョゴニョなんて聞かせてくれたわね!」

「ごきげんよう、テレーズさん。
 ところで、ゴニョゴニョとはなんでしょうか?」

「それくらい察しなさいよ!」

 頬を染めながら怒っているテレーズも可愛い。

「確かに、ニース様は伯爵家を貶めるだけの情報を持っているようね。
 でも、そんなの関係ないわ。
 私が王妃になってしまえば、そんなもの握りつぶせるだけの力が手に入るもの」

 とうとう、王妃になると言い張ってきた。
 周囲に人影はないが、あまりに不用心な発言だ。

 愚かなテレーズを見ているのは楽しいが、あまり無茶なことをされると、ニースの手を離れて、勝手に自滅されてしまう。
 それは良くない。

「テレーズさんはロット殿下と結婚なさるおつもりなのですか?」

「何?
 殿下に愛されない女の嫉妬かしら?
 いいわ、教えて上げる。
 近いうちに殿下から正式な発表があるの。
 あなたとの婚約を破棄して、私と婚約を結ぶという、ね。
 婚約者の座に胡座をかいて、殿下を蔑ろにしていた罰よ」

 むしろ、浮気されているニースのほうが、蔑ろにされている気がしないでもないが、まあ、いいだろう。

「テレーズさん。
 あなたはロット殿下と結婚すれば、本当に王妃になれると思っているのかしら?」

「何を馬鹿なことを。
 当たり前じゃない。
 ロット殿下はこの国の第一王子よ。
 その殿下と結婚するのだから、王妃になるのは当然のことよ」

「あのですね、テレーズさん。
 どうして公爵令嬢である私が、ロット殿下の婚約者として据えられているかわかっていますか?
 それは第一王子に権力を集中することで、余計な争いを抑えるためです。
 仮に、テレーズさんがロット殿下と結婚したとして、その場合、確実に第二王子派が表に出てくるでしょうね。
 王家を除き、最高位の公爵家と違い、たかが伯爵家ですもの。
 そんな家が次期国王の身内になるのですから、他の伯爵家や、格上の侯爵家からしたら面白い話ではないわ。
 第二王子を担いで国王にしようとする勢力が、確実に現れる。
 話し合いで決着すればいいけど、そう上手くいかないでしょうしね。
 間違いなく、次期国王の座をかけた内乱になります。
 そうなった場合、婚約者の座を奪われた公爵家はもちろん、他の上位貴族は第二王子の味方をするはず。
 戦力の差は見るまでもないでしょう。
 破れた第一王子派は処刑。
 もちろん、あなたもね。
 テレーズさん」

 まあ、そんな上手くいくわけはないのだが。
 だが、それでも問題ない。
 今この場で、テレーズを揺さぶることさえできればいいのだから。
 こんな幼稚なストーリーでも、この愚かで可愛いテレーズは想像せざるをえない。

 なにせ、ありえない未来ではないのだから。

「テレーズさんは第一王子派の中心人物ですし、確実に死罪でしょうね。
 それもただ首をはねられるだけではないわ。
 広場の中心に設けられた晒し台の上で、餓死するまで磔にされるの」

「ひぃっ……」

 己が磔にされている姿を想像したのだろう。
 先程まで顔を赤くしていたというのに、今では真っ青だ。

(そんなに震えちゃって……。
 ああもう、どうしてそんなに可愛いの)

 ニースはテレーズに近づくと、その顔を両手で包み込んだ。

 手の中で、テレーズがビクッと震えたのがわかる。

「人はそう簡単には死なないわ。
 何日も、何日も風雨や日の光に晒されながら、ゆっくりと死にゆく姿を民に見せるの。
 トイレにも行けないし、水浴びもできない。
 汚物を垂れ流し、悪臭に包まれた姿を見られるのよ」

「嫌……、そんなの嫌よ……」

 テレーズは既に半泣き状態だ。
 これ程単純な子だからこそ、ロットの甘言一つで、簡単に愚かなことをしてしまうのだろう。

 親指でテレーズの目元を拭ってやりながら、それでも言葉は止めない。

「争いに巻き込まれた民の怒りは、相当のものでしょうね。
 きっと毎日、毎日テレーズさんに罵声を投げ掛けるわ。
 全部お前のせいだ、ってね。
 かわいそうなテレーズさん。
 でも、そんなあなたを誰も助けてくれないの。
 だって、あなた以外みんな殺されてしまったあとだもの。
 あなたが愚かなことをしたせいで、みんな死んでしまうの。
 殿下も、伯爵も、夫人も、お姉さんもみんな。
 みんな死んでしまう。
 あなたのせいで」

「ち、違うの……!
 私、そんなつもりはなかったのっ……!
 私はただ、王妃になって、それで……」

「今更、もう遅いわ。
 だって、もうすぐ殿下があなたとの婚約を発表するのでしょう?」

「あ、ああ、あああっ……!!
 と、止めないと。
 殿下を、早く……!」

 走り出そうとするテレーズだが、ニースはそんな彼女をしっかりと抱き締める。

「離して!
 早くしないと殿下が!」

「落ち着いて、テレーズさん。
 あなたと殿下の関係は、周りには秘密なのでしょう?
 いくら殿下のお気に入りでも、いきなり王城に押しかけたところで、取り次いでもらえるとは思えないわ。
 でも、大丈夫よ。
 私があなたを助けてあげる」

「……えっ?」

 もがいていたテレーズがその動きを止め、見開いた目をニースに向けた。
 
「私、テレーズさんとは仲良くしたいと思っていたの。
 あなたのためだったら、多少無茶をしてでも、この状況をどうにかしてあげるわ。
 心配しないで、これでも私は公爵令嬢で、殿下の婚約者ですもの。
 王城にだって出入りできますし、私の口添えがあれば、あなたを守ることくらいできるわ。
 ……ああ、でもテレーズさんは私のことなんて嫌いよね。
 私から婚約者を奪うくらいですし。
 そんな嫌いな相手に助けられるなんて、テレーズさんのプライドが許さないでしょうね。
 引き留めてごめんなさい」

 それだけ言うと、悲しい笑みを浮かべたニースは、抱き締めていたテレーズを解放した。
 その瞬間、テレーズの顔に絶望が広がるのを確かに見た。

「き、嫌いなんかじゃありませんわ!
 お慕いしております!
 だからどうか私をお助けください!」

 ニースの手を必死につかみ、涙ながらに懇願してくるテレーズ。
 震える手から伝わってくる温度が心地よい。

(ああ、もっとよ、テレーズ!
 もっと私にあなたを見せて!)

「私だってあなたを助けてあげたいわ。
 でも、あなたの言葉を信じることができないの。
 だってそうでしょう?
 ここ数日であなたから向けられた言葉を思えば」

「あ、ああ……!
 私はなんてことを……。
 ニース様、数々のご無礼、伏してお詫び申し上げます」

 崩れ落ちるようにその場に跪くと、テレーズはそのまま頭を垂れた。

 なんて矮小な存在なのだろう。
 我が身可愛さに、先程まで嘲笑っていた相手に跪いてしまうのだから。
 だが、だからこそ愛しいと思ってしまう。

 ニースは膝をつくと、そっとテレーズを抱き寄せた。

「もう顔をあげて。
 あなたの気持ちはしっかり伝わりました。
 絶対に守ってあげる。
 私は、私だけはずっと何があってもあなたの味方よ。
 愛しのテレーズ」

「グスッ、ありがとうございます……。
 ありがとうございます、ニースお姉様……」

 頬を染め、潤んだ瞳をするテレーズを抱き締めながら、ニースはその柔らかな感触を堪能するのだった。
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