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15.フレイムウルフ

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 第四階層。
 アレクとミリアは黒のローブに身を包み、フレイムウルフという魔物が待ち受けるこの階層の大扉の前に立っていた。

「フレイムウルフの火属性魔法の威力が分らない。
 このローブを纏っていれば大丈夫だとは思うが、なるべく被弾しないようにしよう」

「そうですね。
 わざと敵の攻撃に当たって負傷してしまったら、元も子もないですし」

「後はいつも通りだ。
 ミリアが【縛鎖】で止めて、俺が【斬魂】で斬る。
 リューシュの話だと、フレイムウルフは火属性魔法を使うときに立ち止まるらしいから、ミリアはその隙を狙ってくれ」

「わかりました」

 俺はミリアの返事に頷いて返すと、ゆっくりと大扉を押し開いた。

 薄暗いボス部屋の中央に階層の主、フレイムウルフの姿が見えた。
 その大きさは俺が想像していたものより、大分大きい。
 四つ足をついた状態でも、顔の位置が俺の頭と変わらない。

 体を覆う毛皮は、レッドウルフのものより深い赤、紅色をしていた。
 口元から覗く鋭い牙は、滴る唾液でてらてらと光っている。
 あの牙で噛まれたら、軽装の俺たちではひとたまりもないだろう。

『ワオオォォォォン!』

 ボス部屋を振るわせるような遠吠えをしたフレイムウルフは、その鋭い眼光で俺たちを見据えると、まっすぐに襲い掛かってきた。

(っ!速い……!)

 四足で駆ける獣。
 その動きは速く、瞬く間に彼我の距離を詰められる。

 迫りくるあぎとを辛うじて剣で弾くと、そのまま振り上げた剣でフレイムウルフの頭を斬りつける。

 キンッ

「なっ!」

 頭という、普通の生物であれば急所であろう部位への一撃。
 だが剣を握る手に伝わってきたのは、斬り裂く肉の感触ではなく、金属に弾かれたような硬質なものだった。

 毛皮が硬いということは分かっていたが、まさかこれほどまでとは。
 これではリューシュのいう通り、目や口のような、毛皮で覆われていない部位くらいしか攻撃を通すことはできなさそうだ。

 俺は素早くフレイムウルフの顔を蹴り上げると、その反動を利用して距離をとった。

『グルルルルッ……』

 フレイムウルフは低い唸り声を上げながら、俺のことを睨みつけてくる。
 その瞳は敵に対するものか、あるいは獲物を見るものか。
 おそらく後者なのだろう。
 俺の攻撃がフレイムウルフに通らない以上、フレイムウルフにとって俺は敵となりえない。

 だが、それならそれで構わない。
 俺のやることはただ一つだ。
 ミリアが【縛鎖】を発動できるよう、敵の注意を引きつける。
 これまでと何も変わらない。

 フレイムウルフが再び、俺へと飛び掛かってきた。
 振り下ろされた前足を何とか剣で受け止める。
 鋭利な爪が眼前で止まり、冷や汗が流れた。

 やはり速い。
 第二階層のラージコボルトも、絶えず動き回るせいで攻撃を当てるのに苦労した。
 だが、あれはあくまでラージコボルトが一撃離脱の戦法をとっていたからであり、動き自体はそこまで速くなかった。

 しかし、フレイムウルフは違う。
 特別な戦闘技術じゃない。
 純粋に速いのだ。

 対応できないわけではないが、それでもギリギリだ。
 何度も攻防を続けていれば、そう遠くないうちに一撃をもらってしまうだろう。

 俺は受け止めた足をはじくように剣を振り払うと、最も守りが薄いであろう眼球めがけて斬りつけた。
 頭への一撃はその身で受けたフレイムウルフだったが、さすがに眼球で斬撃を防げないことは理解しているのだろう。
 素早い動きで後退されたため、俺の剣は宙を斬ってしまう。

 距離をとったフレイムウルフの紅色の毛が、淡く光を帯び始めた。
 火属性魔法を使う前兆だ。

「ミリア!」

「はい!」

 俺が注意を引いている隙に、背後をとっていたミリアがフレイムウルフへと近づく。
 火属性耐性のコートは買ったが、相手に攻撃をさせずに済むのなら、その方がいい。

 フレイムウルフへと手を伸ばしたミリア。
【縛鎖】が発動する。
 そう思った瞬間、しかしながらミリアは伸ばした手を引っ込めてしまった。

「っ!」

「ミリア?」

「す、すみません!」

 慌ててミリアが再度手を伸ばそうとするが、少し遅かった。

 フレイムウルフを中心に、爆炎が広がったのだ。
 熱を帯びた風がボス部屋の中を駆け巡る。

 俺もその爆炎に巻き込まれるが、何とかその場に踏みとどまる。
 ローブのおかげで、炎によるダメージもない。
 回避できるような攻撃であれば回避するつもりだったが、全方位攻撃とあってはそう簡単ではない。
 お金を渋ってコートを買わないという選択をしなくてよかった。

 だが、フレイムウルフのすぐそばにいたミリアは、爆風を浴びて吹き飛ばされてしまった。

「ミリア、大丈夫か!」

「すみません、大丈夫です」

 ゆっくりと立ち上がるミリアに、ひとまずほっと胸をなでおろす。
 吹き飛ばされこそしたが、どうやらミリアもコートのおかげで炎のダメージはなさそうだ。

「まだいけそうか?」

「はい。次は止めます!」

「よし。もう一度行くぞ!」

 俺はフレイムウルフの注意を引くために、今度は先んじて攻撃を仕掛ける。
 狙うのはもちろん、守りの薄い眼球だ。

 横に薙いだり、突いたりと執拗に眼球を狙う攻撃を続ける。
 だが、フレイムウルフも身軽な動きで、その攻撃のことごとくを躱していく。
 やはり、そうやすやすとダメージを与えることはできないようだ。

 フレイムウルフも、ただ黙って攻撃を躱しているだけではない。
 鋭利な爪の覗く前足を振り上げ、凶悪な牙で俺のことを噛み千切ろうとしてくる。
 その一つ一つが、アレクに致命傷を与えるのに十分なだけの威力を秘めているのだ。
 決してないがしろにできるものではない。
 確実にそのすべてを剣で受け止め、躱していく。

 幾度目かのそんな攻防の中。
 フレイムウルフが飛びのき、俺から距離をとった。
 そしてその紅の毛が淡く光始める。

「行きます!」

 ミリアが掛け声とともに、フレイムウルフへと駆け寄る。
 そしてその手を淡く光る紅の毛に伸ばした。

「っ!【縛鎖】!」

 無数の鎖がフレイムウルフの体を縛り上げる。
【縛鎖】の相手の動きを封じる効果は、どうやら発動前の魔法にも適用されるらしく、淡く光っていた毛皮は、爆炎を発生させることなく、元の紅のものへと戻ってしまった。

 それにしても、【縛鎖】を発動しているミリアの様子がおかしいような。
 何かに耐えるような、厳しい表情をしている。
 先ほどの爆炎に吹き飛ばされたダメージが残っているのだろうか。

 いずれにせよ、ミリアのためにも早くかたをつけなくては。

 俺はフレイムウルフの前に立つと、己の剣を構えた。
 先ほどはいとも容易く斬撃を弾かれてしまった。
 だが、直接魂のみを斬る【斬魂】の前では、頑丈な紅の毛皮も意味をなさない。

 研ぎ澄まされていく意識の中で、どす黒いフレイムウルフの魂だけを捉える。

 そして一分後。
 光の斬撃は、紅の毛皮に阻まれることなく、フレイムウルフの魂を斬り裂いた。

「やったな、ミリア!」

 俺はいつものように自身の右手を上げた。
 ボス攻略後のハイタッチは、二人にとってすでにお馴染みのものとなっていた。
 だからいつものように、軽快な音を響かせてやろうと思ったのだが。

「そ、そうですね」

 ミリアはぎこちない笑みを浮かべたまま、手を後ろに回してしまっていた。
 その姿をみて、俺はようやくミリアの様子がおかしい原因が分かった。

「ミリア、手を見せてくれ」

「え、えっと。それはちょっと」

「いいから」

 俺は強引にミリアの腕を引き寄せると、その手を見た。

 ああ、やはりそうか。
 ミリアの滑らかだった手は、赤くただれてしまっていた。

【縛鎖】を使うために、フレイムウルフを直接触ったのが原因だろう。
 あれだけの爆炎を生み出そうとしていた瞬間に触れたのだ。
 フレイムウルフの表面が高温になっていたとしても不思議ではない。
 手が燃えずに爛れるだけで済んだのは、火属性耐性のコートのおかげだろう。

 それにしてもひどい怪我だ。
 思わず目をそらしたくなるような、あまりにも生々しいものだった。

「どうして言ってくれなかったんだ?」

 俺は腰のポーチから取り出したポーションを、ミリアの手にかけながら尋ねた。
 これくらいならば、市販のポーションでも十分治療可能なはずだ。

 予想通り、焼けただれた傷はみるみるうちに癒え、あっという間にいつもの白い手に戻った。

「それは、その……」

「いや、すまない。俺がもっと早く気がつくべきだったな」

 一度目にフレイムウルフが火属性魔法を放とうとしたとき、ミリアは【縛鎖】を発動させることができなかった。
 今思えば、あれはフレイムウルフの毛皮の熱さに、思わず手を引っ込めてしまったのだろう。
 あの時に詳しく聞いておけば、ミリアが痛い思いをすることもなかったかもしれない。
 ミリアがフレイムウルフに触れていたのは、俺が【斬魂】を放つまでの一分間だ。
 一分もの間、ミリアは自身の手が焼けるのも顧みずに、フレイムウルフの動きを封じてくれていた。
 自身の体が熱で爛れていくのを耐えるというのは、生半可なことではないだろう。

「アレクさんのせいではないです。
 それにほら、ポーションで簡単に治る程度の怪我です。
 かすり傷ですよ、かすり傷」

 そういって、白い華奢な手を見せてくるミリア。

「だが……」

「アレクさん。
 確かに私は小柄ですし、頼りないかもしれません。
 ですが、私だって冒険者です。
 怪我をすることくらい、覚悟の上です。
 アレクさんだってエルダートレントと戦ったときに無茶なことしていたじゃないですか。
 それと同じですよ。
 そりゃあ、命の危険を冒してまで【縛鎖】を使おうとは思いませんが、ポーションで治る程度の代償くらい、いくらでも払います」

 毅然と告げるミリアの瞳は、揺らぐことなく俺のことを見つめていた。
 その瞳を、俺は正面から見返すことができているだろうか。

「ほら、それよりもさっきの続きをしましょう。
 アレクさんも手を出して」

「あ、ああ」

 掲げた俺の右手を、ミリアの右手が鳴らす。
 その音は、いつもより乾いていた気がした。
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