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11.レイスト最強の冒険者

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「今日は第三階層ですね」

 ダンジョンへ向かう道中、ミリアが言った。

 第二階層を攻略した翌日。
 俺とミリアはすっかりダンジョン攻略の虜となっていた。
 これまで役立たずとしか言いようのなかった自身の天恵を使って、ボスを倒す。
 その高揚感は、たとえようのないほど甘美なものだった。
 もう一度、あの高揚感を味わいたい。
 言葉に出さずとも、互いの気持ちが同じであることは、容易に察することができた。

「俺たちの攻略法だと、どうしても低階層の攻略スピードは他のパーティーより遅れちまうが、このペースを維持できれば攻略の最前線にいる奴らと肩を並べるのもそう遠くないな」

 俺の【斬魂】、そしてミリアの【縛鎖】は、ともに一日の回数制限が二回と決まっている。
 そのため、安全マージンをとろうとすると、どうしても一日の攻略階層は一階層分が限度となってしまう。

 第一階層のホブゴブリンや、第二階層のラージコボルトは、ボスとはいえそれほど強いわけではない。
 時間さえかければ、天恵を使用せずとも、俺一人で倒せる程度だ。

 そんな相手に、天恵を十全に活用できる他のパーティーが苦戦するはずもない。
 一日に複数の階層を攻略することだって、十分に考えられる。

 だが、ボスというものは、より深い階層へと進むほど、強くなっていくというのが常識だ。
 一日に低階層をいくつも攻略できるようなパーティーであっても、徐々にその攻略スピードは落ちていき、やがて壁にぶち当たる。

 だが、俺たちはそうではない。
 攻略スピードこそ、一日一階層しか進めないという遅いものだが、勝率がゼロになることはない。
 ミリアの【縛鎖】で動きを封じ、俺の【斬魂】で斬る。
 どれほど強力な魔物であったとしても、この連携からなる攻撃を耐えきることはできないのだから。

「あの人混みはなんでしょう?」

 あと少しでダンジョンの入り口がある大穴が見えるという時だった。
 ミリアの視線の先をたどると、大穴の近くに人混みができていた。
 まだ距離はあるというのに、ここまで野次が聞こえてくる。

「騒がしいな。冒険者が決闘でもしているのか?」

 冒険者同士の決闘というのは、珍しいものではない。
 冒険者は基本的に戦うことに飢えた奴ばかりだ。
 血の気が多いといった方がいいだろうか。
 金、酒、女。
 争いの種はなんだっていい。
 己の力を示し、優越感に浸る。
 そのための手段として、決闘を行うのだ。

 ただのケンカではなく決闘という方法をとるのは、周りに証人を用意することで、後に禍根を残さないようにするためだ。
 私闘だと勝敗がついた後に難癖をつける奴が現れてしまうが、第三者が証人として見届けている中で決着したことに文句を言うことはできない。

 私闘ではなく、決闘をする。
 それは野蛮な冒険者なりの、ある種の矜持といったところだろう。

「ちょっと覗いてみるか」

 決闘はこの世界で数少ない娯楽の一つだ。
 面白い闘いをみることができればいいのだが。

 人の層の薄いところから、その中心を覗き込む。
 するとそこには二人の冒険者が立っていた。

 一人はスキンヘッドが特徴的な、筋骨隆々の大男だ。
 肩に大斧を担ぎ、顔には下卑た笑みを浮かべている。

 もう一方は、紅の髪をした女だった。
 右手に持った直剣を構え、どこか楽しそうに男のことを見ている。

「なあ、これは何の決闘なんだ?」

 俺は近くにいた冒険者に尋ねた。

「あっちの男が吹っ掛けたらしい。勝ったら俺の女になれってな」

 下世話な話ではあるが、男女のあれこれは決闘の定番ネタだ。
 確かに紅の髪の女は、目の覚めるような美女である。
 あの男の気持ちもわからないでもない。

「見ねえ顔だし、最近来たばかりなんだろうが、あのエイラに決闘を挑むなんざ馬鹿な奴だ」

 冒険者は肩をすくめながら言った。

「エイラ……。あの女が<紅翼の女神>のリーダーか」

 まだダンジョンが発見されて日の浅いレイストの地で、早くも頭角を現したパーティーである<紅翼の女神>。
 そのパーティーリーダーがエイラだ。

 俺は改めてエイラの姿を見た。
 紅の髪を後ろで一つに束ね、切れ長の翠眼には力強さを感じる。
 背丈は俺と同じくらいだろう。
 すらっと引き締まった肢体。
 その腰には、構えている直剣とは別に、もう一振りの直剣が吊るされている。

「これだけのギャラリーがいるんだ。負けたら潔く俺の女になるんだろうな?」

 醜い笑みを浮かべながら、男が言った。

「ええ、もちろん。私は私より強い男が好みなの。
 私を倒せるだけの実力があるのなら、喜んでこの身を捧げるわ」

 不敵な笑みを浮かべるエイラ。
 その表情は、自身の敗北を考えている者の顔ではない。
 強者の余裕。
 にじみ出る自信を、エイラは隠そうともしていなかった。

「調子に乗ってんじゃねぇぞ!!」

 そんなエイラの態度が気に障ったのだろう。
 男は大斧を振り上げ、エイラめがけて駆け出した。

 巨体がエイラへと迫る。
 その迫力は、さながらイノシシの突進のようだ。

 エイラは小柄ではないが、男と比べると、その身体はあまりにも細い。
 正面から男の攻撃を受ければ、ひとたまりもないだろう。

 躱すか、受け流すか。
 俺が考えられる対処法はそれだけだ。
 受け止めるという選択肢はない。
 だが、周囲の冒険者たちの様子をうかがうと、そんなことを考えている者は一人もいないようにみえた。
 何かを期待するような、そんな浮ついた空気が漂っている。

「うおおおっ!」

 エイラへと肉薄した男が、両手で握った大斧を振り下ろす。
 迫る斬撃。
 だが、エイラはその顔に浮かべた笑みを崩すことなく、そっと自身の剣を斬撃の先に置いた。

 ガキイィィィィン

 鋭い金属音が辺りにこだます。
 そして、その音の発生源には目を疑うような光景が広がっていた。

 岩すら砕きそうな、男の大斧による一撃。
 しかし、エイラはその斬撃を正面から受け止めていたのだ。
 それも男の丸太のような腕と比べると、あまりに細い腕一本で。

「なっ!俺は【戦士】持ちだぞ!?」

 まさか、自身の攻撃が受け止められるとは思っていなかったのだろう。
 男の顔は、驚愕の色に染まっていた。

「あら、あなたの天恵は【戦士】だったのね」

 その声色は相手を馬鹿にしているものではなかった。
 ただ単純に、男が自身の天恵を明かしたことに対して返事をしただけにみえる。

 だが、男はそうは受け取らなかった。
 天恵を使ってもその程度かと、言外に言われている気がしたのだろう。
 みるみるうちに、屈辱が顔を赤く染めていく。

「ざけんじゃねえぞ!」

 激高した男による嵐のような攻撃がエイラを襲う。
 振り下ろし、薙ぎ払い、叩きつける。
 その一つ一つが岩を砕くだけの威力を秘めている。
 単純な力技による、暴力的なまでの猛攻。

 あんな攻撃を正面から受けたら、並みの冒険者であればひとたまりもないだろう。

 だが、エイラは並みの冒険者ではなかった。

 男の猛攻に合わせるように、そっと自身の剣を攻撃の軌道に置く。
 するとどうだろう。
 男の大斧はまるで見えない壁に阻まれるように、ピタッと止まってしまう。
 振り下ろしても、薙ぎ払っても、そのことごとくがエイラの細腕によって受け止められる。
 ガキィン、ガキィンと絶え間なく響き渡る金属音が、男の攻撃の凶悪な威力を証明している。
 だというのに、その大斧がエイラに届くことはない。

 必死の形相で大斧を振るう男。
 それとは対照的に、子供のような笑みを浮かべたまま、その場から一歩も動くことなく男の攻撃を受け止め続けるエイラ。

 攻撃をしているのは男の方だ。
 だというのに、追い込まれているのもまた男の方だった。

 絶え間なく響いていた金属音も、次第にその間隔を広げていき。
 やがて、男が肩で息をしながら膝をつくのと同時に聞こえなくなった。

「……はあ、はあ、はあ。くそ、一体何なんだ……!?」

「もう終わりかしら?なら次は私の番ね!」

 屈託のない笑みを浮かべながら、剣を構えるエイラ。
 その言葉を聞いた男は、サッと顔を青くした。

「ま、ま、待ってくれ!俺の負けだ。
 もうお前には近づかない。約束する!」

 その姿には、決闘前に下卑た笑みを浮かべていた男の余裕はかけらも見られなかった。

「これで終わり?せっかく盛り上がってきたのに、残念ね……」

 本当に残念に思っているのだろう。
 エイラはため息をつきながら構えていた剣を男に振るった。

「ひっ……」

 情けない男の声が漏れる。

 だが、エイラの剣が男を傷つけることはなかった。
 ではなぜ、剣を振るったのか。

「私の勝ちみたいだし、これくらいもらってもいいわよね?
 ……あっ、もしかしてこれがなくなると一文無しになっちゃったりする?
 それなら返すけど」

 いつの間にか、エイラの剣先には、小袋が吊り下がっていた。
 察するに、中には金が入っているのだろう。
 よく見ると、男のズボンの右ポケットが斬り裂かれている。

(まさか、今の一瞬で男のポケットから金を盗み取ったのか……)

 俺の頬に、冷たい汗が流れる。

「だ、大丈夫だ。全部持っていってくれ」

「そう。ならありがたくいただくわ!」

 それだけいうと剣先の小袋を掴み、未だへたり込んだままの男に背を向け、エイラは人垣の一角へと足を進めた。
 歩みの先へと目をやると、四人の女がいた。
 おそらく、あれが<紅翼の女神>の残りのメンバーなのだろう。

 圧勝。
 いや、そもそも勝負以前に、同じステージにすら立てていなかった。
 男が弱かったわけではない。
 エイラが強すぎたのだ。

 レイストが誇る、最強の冒険者の勝利によって、決闘という名の娯楽は幕を閉じた。
 誰もがそう思っていた。

「あっ!」

 ミリアが小さな悲鳴を漏らす。
 何事かと思い、ミリアの視線の先へと目を向けると、そこにはエイラ背中へと大斧を振り下ろそうとする男の姿があった。

「死ねええええ!」

 依然として、エイラは男へと背を向けたままだ。
 しかも先ほどまでその手に握られていた剣は、すでに腰へと吊るされてしまっている。
 いくらレイスト最強の冒険者といえども、生身であの大斧をくらったらひとたまりもないだろう。

 俺は男を止めようと、慌てて人垣を縫って駆けだした。

(くそっ、間に合わない!)

 人垣から男まで、それほど距離があるわけではない。
 だが男が大斧を振り下ろすまでの間に移動するには、あまりにも絶望的な距離だった。
 思わずエイラが斬り裂かれる姿を幻視してしまう。

 しかし、その幻が現実になることはなかった。
 大斧を振り下ろそうとしていた男は、いつの間にか現れた空色の髪の女によって、地面へと押し倒され、白目を剥いていた。

「ミーシャ、ありがとう。
 でも、わざわざあなたが動かなくても、あれくらい対処できるわよ?」

「知ってる。でも、もう決闘は終わった。
 本来ならこの程度の男がエイラに武器を向けることは許されない。
 けど、エイラがどうしてもっていうから決闘は認めた。
 そしてその決闘が終わった以上、この男に武器をエイラへと向ける資格はない」

 抑揚の少ない声で空色の髪の女、ミーシャは言った。

「まったく、ミーシャは過保護なんだから」

 エイラが苦笑を漏らす。

(この程度の男、か……)

 空色の髪の女、ミーシャは確かにそう言った。
 事実、目にも止まらぬ速さで、男のことを地へと沈めたミーシャにとって、あの男のことなど、眼中にないのだろう。

 姦しく話し合う<紅翼の女神>の一団。
 その姿はどこにでもいる、街娘にしか見えない。
 だが、その魂は周囲の冒険者と比べて、より強く、荒々しい輝きを放っていた。

「かっこよかったぞ!
 だがエイラを助けようなんざ、兄ちゃんには百年早いぜ!」

 ガハハと笑う周囲の冒険者の声で、俺は我に返った。
 男を止めようと駆け出した俺は、人垣の内側へと飛び出してしまっていたのだ。
 その姿はあまりにも目立っていた。

「っ!」

 己の現状を理解した俺は、こみ上げてきた羞恥を誤魔化すように速足で人混みを後にした。

 後ろから俺を追いかけるミリアの足音が聞こえる。

「……アレクさん、かっこよかったですよ?」

「ぐわあああああ!恥ずかしいからやめてくれ!」

 ミリアから逃げるように、俺はダンジョンへと走り出す。

「本当なのに……」

 俺の背中を追いかけながら、ミリアは呟いた。



「エイラさん」

「どうかした、レイネ?」

「さっき人垣から飛び出してきた男性と、その連れの女性。
 二人とも、固有天恵の持ち主でした」

「そうなの?で、その内容は?」

「【斬魂】と【縛鎖】。
 どちらも使用条件は厳しいですが、非常に強力な天恵です」

「レイネがわざわざ教えてくれたということは、ウチにスカウトした方がいい、するだけの価値があるってことよね?」

「はい。きっと、<紅翼の女神>をより高みへと導いてくれるはずです」

「それは楽しみだわ!ぜひ、二人ともうちに入ってもらいましょう!」

「男は駄目」

「まったく、ミーシャったら。……はあ、わかったわ。
 それじゃあ、女の子の方だけ勧誘しましょう」

 エイラは子供のように純粋な笑みを浮かべた。
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