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185話 幕間 羽化 1

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「…ふう」

 リルト様から頂いたコンロ付きのポットの魔道具から注いだ白湯を一口飲み、一息つく。
 目の前の机の上には乱雑に箇条書きにされたメモ。


 今日神殿に通信で自分宛に届いた教皇のラスカリア訪問という一報。
 私はいずれこうなる事は前々から予想していた。
 今"中央"では熱狂的なリルト様人気だという、そして彼ら以上に信心深い教皇の事だ、いつまでも我慢出来るはずがない。


 実際に後2週間弱もすれば彼女はここに到着する。
 どのような事をしでかすか、どのように対応するか、事前に考えておかねばならない。
 リルト様は"鑑定"が使える、目の前をうろつけばすぐに正体はバレてしまう、やはり事前にお伝えしておくべきだ。
 メモには問題点や対応をつらつらと書きなぐっていたのだ。


 机の上の懐中時計を見る、夕食をとってからずっと机に向かっていたがもう深夜に差し掛かっていた。

 二度目の拝謁で自分は"ハイヒューマン"という上位種族に進化した。
 この身体になってから今まであった節々の痛みや身体の重さが嘘のように無くなり、いくら回復魔法を使っても枯渇を感じず周りの回復術士に心配されるほどだった。

 そして今も数時間机に向かっていたのに疲れは一切感じていない。


 …この身体が若い時にあれば全てを失わずに済んだかもしれない、などとつい詮なき事を考えてしまう。




…コン、ガッ、ドサッ


 ハイヒューマンになり鋭敏になった感覚がドアの外に気配を感じた直後、一瞬のノック音の後に聞こえる重いものが崩れるような音。






《ロンドル大司教! リルト様を中に引き入れてすぐに扉を閉めなさい! 早く!》






 リルト様襲撃の際にも受けた頭の中に響く神像を介しない直接の神託。
 弾かれるように席を立ち部屋の扉を開ける。



 そこには項垂れるように扉の前で崩れ落ちて膝を突いているリルト様の姿が、ノックしようとしてそのまま倒れ込んだようだ。
 俯いた顔の先、膝の上には血がいまもポツポツと垂れている。



 叫びそうになる口をきつく結び、素早くリルト様を抱き上げ、その鼻、目から流血している青い顔を見て震えが止まらない身体を何とか動かし部屋へ入り扉を閉める。


(鼻は分かる、鼻の血管は弱いものだ、ちょっとぶつけただけでもすぐに血が出たりする。
 だが目? …たしか一部の毒でそのような症状があると書物で見た記憶があるが、顔色などからもそうでは無いようだ。
 治癒の仕方が分からない!下手に回復魔法をかけていいのかすら…)


 一部の毒や体の中に悪いものが増殖するような病の場合、原因を排除しないのに回復魔法を使えば症状の悪化を招く。

 リルト様の症状を推察出来ない自分の浅学せんがくさに怒りを覚えた瞬間、部屋に結界が張られ神力が満たされる。

シャッ!ガシャン!

 と、部屋に一条の光が斜めに差し込みその中からローブ姿の女性天使様が羽ばたき部屋の物を凪払いながら滑り込むように現れる。


 大神殿にお降りになった熾天使してんしメサリエル様だ。


 メサリエル様は私の手からリルト様をすくい上げ、その顔に手をかざす。
 ゆっくりとリルト様の血色が戻っていき、血の跡も消えてゆく。


「…あれ?…メサ、リエル?…」
 リルト様の意識が戻られたようだ。
 小さく開いた目は血にまみれていたが、それもすぐに消えてゆく。

「リルト様、御無理はお止めください。
 ディメンティーナ様がご心配で倒れそうになられていましたよ?」

「はは…ごめん。
 まさかこんな事になるとは思わなくて…」

「ディメンティーナ様も今回の事は予想出来なかったようです。
 さ、少しお眠りになって下さい」
 メサリエル様が再度手を翳すとリルト様はゆっくりと目を閉じてゆき、小さく寝息を立て始めた。


 メサリエル様は壊れ物を扱うように優しくリルト様を抱き上げ、ベッドに静かに降ろす。
 と、メサリエル様の光輪と大小6枚の羽根がゆっくりと消えてゆき、振り返ったその瞳には金色の虹彩が存在していた。


「…これである程度気配を抑えられるでしょう」

 確かにいつの間にかメサリエル様から感じる神力の圧が消えて仄かに感じられる程度になっている。

「ロンドル大司教、今から結界を解きますので、廊下とリルト様のお部屋を見てきて下さい。
 血痕を消しておかないと」

「分かりました、すぐに行ってきます」


 私はポットのお湯をかけ濡らした手拭いを持って廊下へ出る。
 廊下、リルト様のお部屋と拭き掃除と浄化をして戻ると、メサリエル様は物が散らばった部屋の中でベッドの傍らに置いた椅子に座り、リルト様の頭を優しく撫でながら見守っていた。




 その瞳には何か言い表せない切ない感情がこもっているように私には見えた。





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