上 下
10 / 16

第9話 長谷川優希という人間(3)

しおりを挟む
 .




 遊泳禁止エリアに飛び込んで、子どもを助けに行った時のことはよく覚えていない。
 とにかく必死だった。
 波が高くて、泳いでも泳いでも子どもが沈んでいった場所に辿り着けない。
 泳ぐより潜った方が早いと判断して、息を思いっきり吸い込んで海に潜った。
 浮き輪を持って泳いでたけど、持ったままだと潜れないから手を離した。

 子ども二人は浅瀬で泳いでたと思ったのに、夢中で遊んでいる内に深い場所まで来てしまって溺れたんだろう。
 潜ったおれもこんなに深いとは思わなかった。
 海の中ではゴーグルもしてなかったからぼんやりとしか見えなかった。
 だけど、青や薄暗い中で沈んでいく肌色の物体が見えて、それが溺れた子どもだと分かった。
 目的が見付かれば、こっちのものだ。
 これほどクロールよりもしつこく潜水を教えてくれた爺ちゃんに感謝したことはない。

『ぶはっ』

 子どもを抱えて、海の中から顔を出す。
 酸素を思いっきり吸って、二酸化炭素を吐き出すのを控える。

『げほっげほっ!』

 沈んだ時間が少なかったのか、子どもは咳き込んだ。
 心肺停止になってなくてほっとした。
 波が激しかったけど、運良く潜るのに手放した浮き輪を見付けることが出来て、子どもを抱えながらそこまで泳ぐ。

『ぎゃーっ!』
『っ』

 パニックを起こした子どもがおれの腕の中で暴れた。
 落ち着かせるために声を掛けたかったけど、声を出したらせっかく肺に溜めた酸素がなくなって身体が沈んでしまうから耐えた。
 声を出したことで沈む子どもの身体をまた浮かせるのは大変だった。
 浮かんだ浮き輪がこっちに流れて来たのを掴んで何とか子どもを浮き輪の中に入れて、まず一安心。
 目の前にしがみつけるものがあるのとないのとでは全然状況が違った。
 子どもは浮き輪の中にいると分かったのか、徐々に落ち着きを取り戻していった。
 あとは浮き輪についている紐を掴みながら、救助を待つだけだった。

(……ちょっとやばいな)

 この時、安心してどっと疲れが出たのか思ったよりもおれは体力を消費していることに気付いた。
 おれは子どもを見ながら波に逆らわずに、浮き続けることしか出来なかった。

『ハセユウーっ!』
『優希っ、大丈夫かー!』
『今、助けがっ、来る、ぞー!』
『もう、ひとり、は、ぶじ、だー!』

 浮き続けて落ち着いてきたら、徐々に友だち数人の声が聞こえて来た。
 ずっと大声を出してくれてたんだろう。
 声が時々、掠れていた。
 手を挙げて大丈夫だと合図を送りたかったけど、そんな些細な動作さえも体力を奪われそうで出来なかった。

 何分経っただろうか。
 たった数分かもしれなかったけど、体感的には数十分経ってる気がした。
 小さい頃、爺ちゃんに船から海へ放り込まれて浮く訓練を受けさせられてて良かった。
 その時は救命胴衣を着用してたけど、きつかったな。
 爺ちゃん、爺ちゃんのスパルタ教育が活かされたよ。

 遠くでエンジン音が聞こえた。
 少しずつその音は大きくなっているから、こっちに近付いて来るのが分かった。
 海の救助に使われる水上バイクの類いだろう。
 疲れが出ているのか、視界がぼんやりしていて確認は出来なかった。

『助けて! 助けてーっ!!』

 子どもが叫ぶ。
 浮き輪の中にいるから、いくら声を出しても身体は沈まない。

『大丈夫か!? さぁっ、早くこっちに!』

 水上バイクには二人いて、ドライバーとレスキュアだろう。
 レスキュアが最初に子どもを浮き輪のままスレッドに乗せる。
 泣く子どもに声を掛けるレスキュア。

『次は君だ』

 レスキュアがおれに手を伸ばす。
 その時だった。

『まずい! 高波だ!』

 波は元から高かったけど、その日一番の高波だったと思う。
 高波にのまれるのは時間の問題だった。

『早くしろ!』
『手を伸ばせ!』

 焦ったような声。
 おれは最後の力だと言わんばかりに、手を伸ばす。
 レスキュアはおれの手を……。

『つかん……あっ!』
『撤退!』
『待てっ! まだ……っ』

 ―――掴めなかった。
 水上バイクが猛スピードで発進する。
 まさに危機一髪だったんだと思う。

 その直後、救助されずに取り残されたおれは高波にのまれた。

.
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

催眠術師は眠りたい ~洗脳されなかった俺は、クラスメイトを見捨ててまったりします~

山田 武
ファンタジー
テンプレのように異世界にクラスごと召喚された主人公──イム。 与えられた力は面倒臭がりな彼に合った能力──睡眠に関するもの……そして催眠魔法。 そんな力を使いこなし、のらりくらりと異世界を生きていく。 「──誰か、養ってくれない?」 この物語は催眠の力をR18指定……ではなく自身の自堕落ライフのために使う、一人の少年の引き籠もり譚。

転生したら貴族の息子の友人A(庶民)になりました。

ファンタジー
〈あらすじ〉 信号無視で突っ込んできたトラックに轢かれそうになった子どもを助けて代わりに轢かれた俺。 目が覚めると、そこは異世界!? あぁ、よくあるやつか。 食堂兼居酒屋を営む両親の元に転生した俺は、庶民なのに、領主の息子、つまりは貴族の坊ちゃんと関わることに…… 面倒ごとは御免なんだが。 魔力量“だけ”チートな主人公が、店を手伝いながら、学校で学びながら、冒険もしながら、領主の息子をからかいつつ(オイ)、のんびり(できたらいいな)ライフを満喫するお話。 誤字脱字の訂正、感想、などなど、お待ちしております。 やんわり決まってるけど、大体行き当たりばったりです。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

悪役令嬢に転生したら溺愛された。(なぜだろうか)

どくりんご
恋愛
 公爵令嬢ソフィア・スイートには前世の記憶がある。  ある日この世界が乙女ゲームの世界ということに気づく。しかも自分が悪役令嬢!?  悪役令嬢みたいな結末は嫌だ……って、え!?  王子様は何故か溺愛!?なんかのバグ!?恥ずかしい台詞をペラペラと言うのはやめてください!推しにそんなことを言われると照れちゃいます!  でも、シナリオは変えられるみたいだから王子様と幸せになります!  強い悪役令嬢がさらに強い王子様や家族に溺愛されるお話。 HOT1/10 1位ありがとうございます!(*´∇`*) 恋愛24h1/10 4位ありがとうございます!(*´∇`*)

異世界転生は、0歳からがいいよね

八時
ファンタジー
転生小説好きの少年が神様のおっちょこちょいで異世界転生してしまった。 神様からのギフト(チート能力)で無双します。 初めてなので誤字があったらすいません。 自由気ままに投稿していきます。

疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!

ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。 退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた! 私を陥れようとする兄から逃れ、 不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。 逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋? 異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。 この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?

転生幼女のチートな悠々自適生活〜伝統魔法を使い続けていたら気づけば賢者になっていた〜

犬社護
ファンタジー
ユミル(4歳)は気がついたら、崖下にある森の中にいた。 馬車が崖下に落下した影響で、前世の記憶を思い出す。周囲には散乱した荷物だけでなく、さっきまで会話していた家族が横たわっており、自分だけ助かっていることにショックを受ける。 大雨の中を泣き叫んでいる時、1体の小さな精霊カーバンクルが現れる。前世もふもふ好きだったユミルは、もふもふ精霊と会話することで悲しみも和らぎ、互いに打ち解けることに成功する。 精霊カーバンクルと仲良くなったことで、彼女は日本古来の伝統に関わる魔法を習得するのだが、チート魔法のせいで色々やらかしていく。まわりの精霊や街に住む平民や貴族達もそれに振り回されるものの、愛くるしく天真爛漫な彼女を見ることで、皆がほっこり心を癒されていく。 人々や精霊に愛されていくユミルは、伝統魔法で仲間たちと悠々自適な生活を目指します。

破滅する悪役五人兄弟の末っ子に転生した俺、無能と見下されるがゲームの知識で最強となり、悪役一家と幸せエンディングを目指します。

大田明
ファンタジー
『サークラルファンタズム』というゲームの、ダンカン・エルグレイヴというキャラクターに転生した主人公。 ダンカンは悪役で性格が悪く、さらに無能という人気が無いキャラクター。 主人公はそんなダンカンに転生するも、家族愛に溢れる兄弟たちのことが大好きであった。 マグヌス、アングス、ニール、イナ。破滅する運命にある兄弟たち。 しかし主人公はゲームの知識があるため、そんな彼らを救うことができると確信していた。 主人公は兄弟たちにゲーム中に辿り着けなかった最高の幸せを与えるため、奮闘することを決意する。 これは無能と呼ばれた悪役が最強となり、兄弟を幸せに導く物語だ。

処理中です...