59 / 68
第8章 さよならが言えなくて
5
しおりを挟む
全身から力が抜けて、せんせい、と、夢中で叫んでいた。
後のことはもう一瞬で――。互いに触れた瞬間にどちらともなく砕けるほど強く抱き合った。
床に落ちた鍵の金属音が部屋に響いた。ふたたび静寂が戻った頃に聞こえてくるのは、先生の吐息と鼓動だけ。
「ニコ――好きだ」
その言葉が胸に落ちる。
「好きだよ……」
想いがほとばしるような告白に、ようやくこれが現実なのだと、夢じゃないんだと自覚する。先生の腕に抱かれたまま、彼の胸に頬をすりつけた。
ごめんなさいも、本当にいいんですかも、なんの言葉も必要なかった。溢れてくる愛情にただ身を任せていたい。
「ニコが好き」
「せんせ……」
先生のしなやかな指先が、耳朶や頬骨の輪郭を確かめるようになぞっていった。両方の手の平にすっぽりと包まれた頬は、綿でくるまれたみたいにやさしくて。
高いところから低いところに流れるみたいに、ニコは迷うことなく自然にその想いに応えていた。
先生の長い前髪が額に落ちてきて、つづけてとろりとした感触が唇へと下りてくる。研ぎ澄まされた感覚に身体が震えた。
なんてあったかいの――。
初めてしたときみたいな、熱くて柔らかなキス。
ふたりは甘い交わりを飽きることなく求め続けた。長い間じゃれあうみたいに啄んでいた唇は、もうひとつになりそうなほど気持ちを確かめ合っている。
先生の舌先がニコの上唇をぺろりと濡らす。
「あっ……」
「入れていい?」
「ください、先生」
差し込まれた厚く滑らかな舌は、ゆっくりと歯列に這わせてから、ねだるようにニコの細い舌を絡め取っていく。そのとろけるような恍惚感に頭の芯が甘く痺れた。
もうすっかり日は沈み、あたりは人影も霞むほど暗くなっていた。その暗闇の中にふたりの吐息と水音だけがこだまする。
「はぁっ」
腰が……立っていられない。
どんどん深くなっていく口づけに、身体の奥が熱い悲鳴をあげている。グランドピアノに響くような音を立てながら、ふたりはずるずると床に座り込んだ。
背中にあたる壁は固くて、リノリウム敷きの床は凍えるほど冷たい。ニコの思いを察したのか、先生はおいでと言って彼の腰を掴み、向かい合ったまま自らの膝の上に跨がらせた。
長い腕はニコの身体をすっぽりと包み込み、大切なものを愛でるかのように背中と腰の間をさすり続けている。
声を漏らしてしまいそうな腰の疼きに酔いしれながら、さらに近づいたふたりは溶け合うようなキスを繰り返した。
混ざり合った唾液が溢れニコがごくんと喉を鳴らした時、口惜しそうに糸を引きながら唇が離された。
「……ニコ、一緒に帰ろう」
ニコは顎を引いてこくりとうなずいた。
そして少しだけ心に余裕ができた気がして、顔をずらして先生を見上げた。
「先生。さっきの、朝焼けの話ですけど」
「なあに?」
目の前にある先生の瞳は、ぼんやりと潤んでいた。
「先生が事故に遭った次の日、暁の空を見たんです。先生と登った、あの山の神社で……」
しばらく返事がなかった。
ハッと目覚めたようにニコの顔をのぞき込んで、声を張った。
「え、あんな大雪の日に何しに行ったの? しかも夜明け前に? そんな危ないこと……」
「先生の意識がないって千秋先生に聞いて……お参りに行ったんです。何かしてないとおかしくなりそうで」
「ニコは……僕のために祈ってくれたの? なんでそこまで……」
ニコはくすっと笑みを浮かべた。
だってあまりにも分かりきった質問だったから。
「当たり前じゃないですか。先生は僕にとって、世界で一番大切な人なんですから」
「そう……そっか」
先生は泣き笑いみたいに目じりを下げた。笑った時にだけ見える白い歯が、暗闇に浮かび上がった。
その笑顔は少年みたいに幼くて、子どもたちには見せない表情だった。すごく可愛い。
「ありがとう、ニコ。君のおかげで僕は生きられたんだ」
互いの額を合わせてぬくもりを感じながら、ふたりは照れたように笑い合った。
それは一瞬にも永遠にも感じられて、今まで生きてきた中で一番、幸せな時間だった。
後のことはもう一瞬で――。互いに触れた瞬間にどちらともなく砕けるほど強く抱き合った。
床に落ちた鍵の金属音が部屋に響いた。ふたたび静寂が戻った頃に聞こえてくるのは、先生の吐息と鼓動だけ。
「ニコ――好きだ」
その言葉が胸に落ちる。
「好きだよ……」
想いがほとばしるような告白に、ようやくこれが現実なのだと、夢じゃないんだと自覚する。先生の腕に抱かれたまま、彼の胸に頬をすりつけた。
ごめんなさいも、本当にいいんですかも、なんの言葉も必要なかった。溢れてくる愛情にただ身を任せていたい。
「ニコが好き」
「せんせ……」
先生のしなやかな指先が、耳朶や頬骨の輪郭を確かめるようになぞっていった。両方の手の平にすっぽりと包まれた頬は、綿でくるまれたみたいにやさしくて。
高いところから低いところに流れるみたいに、ニコは迷うことなく自然にその想いに応えていた。
先生の長い前髪が額に落ちてきて、つづけてとろりとした感触が唇へと下りてくる。研ぎ澄まされた感覚に身体が震えた。
なんてあったかいの――。
初めてしたときみたいな、熱くて柔らかなキス。
ふたりは甘い交わりを飽きることなく求め続けた。長い間じゃれあうみたいに啄んでいた唇は、もうひとつになりそうなほど気持ちを確かめ合っている。
先生の舌先がニコの上唇をぺろりと濡らす。
「あっ……」
「入れていい?」
「ください、先生」
差し込まれた厚く滑らかな舌は、ゆっくりと歯列に這わせてから、ねだるようにニコの細い舌を絡め取っていく。そのとろけるような恍惚感に頭の芯が甘く痺れた。
もうすっかり日は沈み、あたりは人影も霞むほど暗くなっていた。その暗闇の中にふたりの吐息と水音だけがこだまする。
「はぁっ」
腰が……立っていられない。
どんどん深くなっていく口づけに、身体の奥が熱い悲鳴をあげている。グランドピアノに響くような音を立てながら、ふたりはずるずると床に座り込んだ。
背中にあたる壁は固くて、リノリウム敷きの床は凍えるほど冷たい。ニコの思いを察したのか、先生はおいでと言って彼の腰を掴み、向かい合ったまま自らの膝の上に跨がらせた。
長い腕はニコの身体をすっぽりと包み込み、大切なものを愛でるかのように背中と腰の間をさすり続けている。
声を漏らしてしまいそうな腰の疼きに酔いしれながら、さらに近づいたふたりは溶け合うようなキスを繰り返した。
混ざり合った唾液が溢れニコがごくんと喉を鳴らした時、口惜しそうに糸を引きながら唇が離された。
「……ニコ、一緒に帰ろう」
ニコは顎を引いてこくりとうなずいた。
そして少しだけ心に余裕ができた気がして、顔をずらして先生を見上げた。
「先生。さっきの、朝焼けの話ですけど」
「なあに?」
目の前にある先生の瞳は、ぼんやりと潤んでいた。
「先生が事故に遭った次の日、暁の空を見たんです。先生と登った、あの山の神社で……」
しばらく返事がなかった。
ハッと目覚めたようにニコの顔をのぞき込んで、声を張った。
「え、あんな大雪の日に何しに行ったの? しかも夜明け前に? そんな危ないこと……」
「先生の意識がないって千秋先生に聞いて……お参りに行ったんです。何かしてないとおかしくなりそうで」
「ニコは……僕のために祈ってくれたの? なんでそこまで……」
ニコはくすっと笑みを浮かべた。
だってあまりにも分かりきった質問だったから。
「当たり前じゃないですか。先生は僕にとって、世界で一番大切な人なんですから」
「そう……そっか」
先生は泣き笑いみたいに目じりを下げた。笑った時にだけ見える白い歯が、暗闇に浮かび上がった。
その笑顔は少年みたいに幼くて、子どもたちには見せない表情だった。すごく可愛い。
「ありがとう、ニコ。君のおかげで僕は生きられたんだ」
互いの額を合わせてぬくもりを感じながら、ふたりは照れたように笑い合った。
それは一瞬にも永遠にも感じられて、今まで生きてきた中で一番、幸せな時間だった。
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ニケの宿
水無月
BL
危険地帯の山の中。数少ない安全エリアで宿を営む赤犬族の犬耳幼子は、吹雪の中で白い青年を拾う。それは滅んだはずの種族「人族」で。
しっかり者のわんことあまり役に立たない青年。それでも青年は幼子の孤独をゆるやかに埋めてくれた。
異なる種族同士の、共同生活。
※本作はちいさい子と青年のほんのりストーリが軸なので、過激な描写は控えています。バトルシーンが多めなので(矛盾)怪我をしている描写もあります。苦手な方はご注意ください。
『BL短編』の方に、この作品のキャラクターの挿絵を投稿してあります。自作です。
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?
すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。
お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」
その母は・・迎えにくることは無かった。
代わりに迎えに来た『父』と『兄』。
私の引き取り先は『本当の家』だった。
お父さん「鈴の家だよ?」
鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」
新しい家で始まる生活。
でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。
鈴「うぁ・・・・。」
兄「鈴!?」
倒れることが多くなっていく日々・・・。
そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。
『もう・・妹にみれない・・・。』
『お兄ちゃん・・・。』
「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」
「ーーーーっ!」
※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。
※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。
※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)
ヤンキーDKの献身
ナムラケイ
BL
スパダリ高校生×こじらせ公務員のBLです。
ケンカ上等、金髪ヤンキー高校生の三沢空乃は、築51年のオンボロアパートで一人暮らしを始めることに。隣人の近間行人は、お堅い公務員かと思いきや、夜な夜な違う男と寝ているビッチ系ネコで…。
性描写があるものには、タイトルに★をつけています。
行人の兄が主人公の「戦闘機乗りの劣情」(完結済み)も掲載しています。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる