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あなたのいない世界など
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「……俺が私立の医大に行ったから、うちは金がなくなった。だからお前は親の顔色を見て国公立の教育学部を目指したんだ。それを未だに根に持ってるんだろ」
「なにそれ、そんな昔の話……うぬぼれもたいがいにしなよ。僕がそんなことで進路を変えたとでも思ってるわけ?」
先生が先生になった理由を以前聞いた。両親とも教師だった親の背中を見ているうちに憧れたと教えてくれたはずだ。それは本心だと思う。お兄さんや両親を気遣ってなんて、そんな理由じゃないはずだ。でも分からない、先生は平気な顔して笑って、大切なものを誰かに譲ってしまうかもしれない。
「大学も仕事も自分の意思で選んだんだ。それに親に教師になれなんて、一度も言われたことない」
「じゃあなんとなく教師になって、その仕事のせいで正月に顔も出せないくらい忙しいわけ? 医者の俺より?」
「言いがかりつけるのはやめなよ」
「何が気に入らない? なんで俺達を避けるんだよ、昔はあんなに……仲良かったのにな」
ふたりはそれっきり黙ってしまった。空気が重くて酸欠になりそう。本当の理由を言うわけにはいかないし、かといってこのままお兄さんとのわだかまりが残ったままなのも苦しい。
お兄さんは観念したように肩を落とした。こんな言い合いをするためにここまで来たわけじゃないんだ。きっと、なにか伝えたいことがあったんだと思う、先生に。
「……お前は俺にないものを全て持ってる」
「冗談でしょ。そっちこそ欲しいものをすべて手に入れたんだ。これ以上なにが望みなの」
「そういうことじゃないんだ」
なんだか急にお兄さんがさっきまでの勢いが萎んでしまったみたいに、しゅんとして小さく見えた。
「俺が暁人よりできたのは勉強だけ。いっつもお前の周りには人がいて……同級生も女の子も、両親でさえ。母さんなんか、お前が遊んでばっかりいるって口ではいつも叱ってたけど、結局最後は許してただろ」
「そう思ってるのは兄貴だけだと思うよ?」
「俺がそう思ってるから、そうなんだよ」
「なにそれ……いいかげんだな」
先生がようやく、伏せていた顔をあげた。
「……分かった。来年の正月には帰るよ、それでいい?」
先生はニコの視線を探って目を合わせる。これでいいと思う? そんな風に先生にたずねられた気がして、ニコはすぐさまうなずいた。
「たった一人の姪っ子に、たまには会いに来いよ――待ってるから」
もう戻らないとと急ぐお兄さんの後を、ニコは病室の外まで送って行った。なぜか分からないけど、せっかく会えたのだからお別れを言わなきゃって思ったんだ。
後をついてくるニコに驚くお兄さんの隣で、エレベーターを待った。ホールの前は、談話室になっていて患者さんが電話したり、面会をしている人たちがいて、楽しげな会話が聞こえてくる。
白衣のポケットに手を突っ込みながら、お兄さんはいくらか面倒くさそうに肩をすくめた。
「……君は暁人と、その、特別な関係なのか?」
「えっ?」
「病室に入った時、ふたりとも様子がおかしかったから」
「やっぱり見られてましたか」
「いや、はっきりとは……なんとなく雰囲気で。それに君の顔真っ赤だったし」
やっぱり気づかれていたらしい、ニコは冷水を浴びせられたみたいにぴしっと背筋を伸ばした。エレベーターが到着して、ふたりで乗り込む。お兄さんが2階のボタンを押して、ゴウンと音を立てて扉が閉まった。
お兄さんがいう特別な関係、というのは恋人同士という意味だろうか。友人でも同僚でも、上司や部下でもない。恋愛感情を持って付き合っている大人同士ということ?
今の先生との関係が何なのか自分でもよく分からない。もちろん、もっと先生に近づきたいという素直な感情や欲求なら……あるけど。
「特別な関係かどうか……まだ自分でも正直よく分かりません。でも僕にとって先生は特別な人です。誰よりも大切な人です」
「アイツいい人そうに見えて、なに考えてんのか分かんないだろ。よく付き合えるな」
ニコはぷっと小さく吹き出した。
やっぱり兄弟って言うことが容赦ない。でも兄弟の関係って不思議だ。世界一仲良くも、世界一仲悪くもなれる。一度入ってしまったヒビは修復するのは難しいけれど、けっして直せないわけじゃない。
「僕は、先生の新しい面を知ることが嬉しくて仕方ないんです。それがワガママでも、怒りでも、哀しみでも、先生と共有できることが幸せなんです。今日、先生のお兄さんに会えたことも」
「そんなもんかね」
ふっと緩めた横顔が先生の面影が重なる。やっぱり似てる――兄弟だもの。チン、と音を立てて2階への扉が開く。外来の診察室と待合のイスが遠くまで並んでいるのが見える。
お兄さんは顔を前に向けたまま、さりげない口調で言った。
「暁人のこと頼むよ。たったひとりでいいんだ、あいつの味方に、本音をこぼせる相手になってやってくれ」
「僕でよければ……喜んで」
じゃ、お先に、といって白衣のポケットに手をいれたまま、ひょいと手をあげた。
白衣の裾をはらりと舞い上がらせながら颯爽と歩いていく背中を、ずっと目で追いかけていた。扉が閉まる、その瞬間まで。
「なにそれ、そんな昔の話……うぬぼれもたいがいにしなよ。僕がそんなことで進路を変えたとでも思ってるわけ?」
先生が先生になった理由を以前聞いた。両親とも教師だった親の背中を見ているうちに憧れたと教えてくれたはずだ。それは本心だと思う。お兄さんや両親を気遣ってなんて、そんな理由じゃないはずだ。でも分からない、先生は平気な顔して笑って、大切なものを誰かに譲ってしまうかもしれない。
「大学も仕事も自分の意思で選んだんだ。それに親に教師になれなんて、一度も言われたことない」
「じゃあなんとなく教師になって、その仕事のせいで正月に顔も出せないくらい忙しいわけ? 医者の俺より?」
「言いがかりつけるのはやめなよ」
「何が気に入らない? なんで俺達を避けるんだよ、昔はあんなに……仲良かったのにな」
ふたりはそれっきり黙ってしまった。空気が重くて酸欠になりそう。本当の理由を言うわけにはいかないし、かといってこのままお兄さんとのわだかまりが残ったままなのも苦しい。
お兄さんは観念したように肩を落とした。こんな言い合いをするためにここまで来たわけじゃないんだ。きっと、なにか伝えたいことがあったんだと思う、先生に。
「……お前は俺にないものを全て持ってる」
「冗談でしょ。そっちこそ欲しいものをすべて手に入れたんだ。これ以上なにが望みなの」
「そういうことじゃないんだ」
なんだか急にお兄さんがさっきまでの勢いが萎んでしまったみたいに、しゅんとして小さく見えた。
「俺が暁人よりできたのは勉強だけ。いっつもお前の周りには人がいて……同級生も女の子も、両親でさえ。母さんなんか、お前が遊んでばっかりいるって口ではいつも叱ってたけど、結局最後は許してただろ」
「そう思ってるのは兄貴だけだと思うよ?」
「俺がそう思ってるから、そうなんだよ」
「なにそれ……いいかげんだな」
先生がようやく、伏せていた顔をあげた。
「……分かった。来年の正月には帰るよ、それでいい?」
先生はニコの視線を探って目を合わせる。これでいいと思う? そんな風に先生にたずねられた気がして、ニコはすぐさまうなずいた。
「たった一人の姪っ子に、たまには会いに来いよ――待ってるから」
もう戻らないとと急ぐお兄さんの後を、ニコは病室の外まで送って行った。なぜか分からないけど、せっかく会えたのだからお別れを言わなきゃって思ったんだ。
後をついてくるニコに驚くお兄さんの隣で、エレベーターを待った。ホールの前は、談話室になっていて患者さんが電話したり、面会をしている人たちがいて、楽しげな会話が聞こえてくる。
白衣のポケットに手を突っ込みながら、お兄さんはいくらか面倒くさそうに肩をすくめた。
「……君は暁人と、その、特別な関係なのか?」
「えっ?」
「病室に入った時、ふたりとも様子がおかしかったから」
「やっぱり見られてましたか」
「いや、はっきりとは……なんとなく雰囲気で。それに君の顔真っ赤だったし」
やっぱり気づかれていたらしい、ニコは冷水を浴びせられたみたいにぴしっと背筋を伸ばした。エレベーターが到着して、ふたりで乗り込む。お兄さんが2階のボタンを押して、ゴウンと音を立てて扉が閉まった。
お兄さんがいう特別な関係、というのは恋人同士という意味だろうか。友人でも同僚でも、上司や部下でもない。恋愛感情を持って付き合っている大人同士ということ?
今の先生との関係が何なのか自分でもよく分からない。もちろん、もっと先生に近づきたいという素直な感情や欲求なら……あるけど。
「特別な関係かどうか……まだ自分でも正直よく分かりません。でも僕にとって先生は特別な人です。誰よりも大切な人です」
「アイツいい人そうに見えて、なに考えてんのか分かんないだろ。よく付き合えるな」
ニコはぷっと小さく吹き出した。
やっぱり兄弟って言うことが容赦ない。でも兄弟の関係って不思議だ。世界一仲良くも、世界一仲悪くもなれる。一度入ってしまったヒビは修復するのは難しいけれど、けっして直せないわけじゃない。
「僕は、先生の新しい面を知ることが嬉しくて仕方ないんです。それがワガママでも、怒りでも、哀しみでも、先生と共有できることが幸せなんです。今日、先生のお兄さんに会えたことも」
「そんなもんかね」
ふっと緩めた横顔が先生の面影が重なる。やっぱり似てる――兄弟だもの。チン、と音を立てて2階への扉が開く。外来の診察室と待合のイスが遠くまで並んでいるのが見える。
お兄さんは顔を前に向けたまま、さりげない口調で言った。
「暁人のこと頼むよ。たったひとりでいいんだ、あいつの味方に、本音をこぼせる相手になってやってくれ」
「僕でよければ……喜んで」
じゃ、お先に、といって白衣のポケットに手をいれたまま、ひょいと手をあげた。
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