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あなたのいない世界など
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頭の奥底で誰かの声がしたんだ、甘い夢の中から苦い現実に引きずり出されるように。扉の前に人が立っている気配がして。もしかして看護師さんだろうか、マズい、もう面会時間の30分はとっくに過ぎてる。それにこんなところ見られたら……。
「暁人、いる?」
(あっ――――)
ニコは思わず叫んでしまった。だってあまりにも先生と声質が似ていたから。それに先生を呼び捨てにする人なんて、世の中にそう何人もいない。
無造作にドアは大きな音を立て、カーテンを勢いよく開けられるまでのほんの数秒、ニコは先生の背中に置いた手を素早く離した、つもりだった。
目の前に現れたその人は驚きに目を見開いている。
「何してんの――?」
「何って、勝手に入ってきたのはそっちだろ」
先生と同じくらいすらりとした高身長で、白衣を身につけた姿は堂々として威圧感を感じるくらい。だけど今はいぶかしげに顔を歪めてる。
名札を見て確信した、先生のお兄さんだって。内科医だとは聞いていたけど、まさかここの医大の先生だとは。
「あの、こんにちは。仁科です、先生と同じ小学校の……校務員をしてます」
「あぁ、兄の一樹です」
立ち上がって会釈するニコを一瞥し、お兄さんは物珍しげにニコを上から下まで眺めてから、すぐに冷めた視線を先生へと戻した。
「調子どう?」
「もうほとんどいいよ」
「保証人と治療同意書には俺からサインしといたから」
「それはどうも、お世話になりました」
……沈黙が重い。何年も兄とは会話してないって先生に聞いてたけど、確かに兄弟の会話にしてはあまりに他人行儀だった。先生はともかく、お兄さんは自分がいたら何かと話しづらいだろう。ふたりに挟まれて、なんだかいたたまれないし。
「……あの、僕、お昼食べてきますね」
「ああ、じゃあこれ使って」
お兄さんはポケットを探って、院内で使える食事のクーポンをくれようとした。だけど先生はお兄さんの言葉を遮って、キッと睨みつけた。
「今、彼と大事な話してるんだ。追い出そうとするのはやめてくれない?」
「こっちだって昼休憩はあと15分しかないんだけど」
「無理して来る必要なかったのに」
「先生っ! 僕のことはいいですから」
突き放したような言葉を吐く先生は初めてで、ついたしなめてしまった。こんな時こそ兄弟で話ができる貴重な機会かもって、お節介かもしれないけどそう思ったのに。
「母さんに連絡したのか? お前が仕事中に交通事故に遭ったって校長先生から電話があって、ずいぶん心配したんだぞ――」
「もうしたよ。大怪我したわけじゃないし、たいしたことないって」
「珍しく連絡があったと思ったら、事故っただなんてやめてくれよ、ただでさえ家にも顔出さないのに」
「そっちは二世帯でなに不自由なく暮らしてるんだから、別に僕がいなくてもいいでしょ」
「それとこれとは別だろ」
ニコにはお互いの顔を見比べながら、肩を落とす。どちらの気持ちも理解できた。でも、先生が実家を敬遠するのは……明確な理由があったから。
お兄さんの家に行けば奥さんにも会うことになる。先生の……昔の恋人だった人に。でもお兄さんはそれを知らない。先生はもう済んだことだって、ようやく整理がついたみたいだけど、顔を合わせるなんてできれば避けたいに決まっている。
「お前は自由でいいよな、弟ってだけでなんの責任もないんだから。忙しいとかいって去年なんか一度も来なかっただろ。正月にも、法事にも、親父の還暦祝いにも……」
よほど不満を抱えていたのだろう、先生のお兄さんは止まることなくとめどなくこぼし続けた。
「お前は医大に行った俺を憎んでるんだろ」
「は? どういう意味?」
「暁人、いる?」
(あっ――――)
ニコは思わず叫んでしまった。だってあまりにも先生と声質が似ていたから。それに先生を呼び捨てにする人なんて、世の中にそう何人もいない。
無造作にドアは大きな音を立て、カーテンを勢いよく開けられるまでのほんの数秒、ニコは先生の背中に置いた手を素早く離した、つもりだった。
目の前に現れたその人は驚きに目を見開いている。
「何してんの――?」
「何って、勝手に入ってきたのはそっちだろ」
先生と同じくらいすらりとした高身長で、白衣を身につけた姿は堂々として威圧感を感じるくらい。だけど今はいぶかしげに顔を歪めてる。
名札を見て確信した、先生のお兄さんだって。内科医だとは聞いていたけど、まさかここの医大の先生だとは。
「あの、こんにちは。仁科です、先生と同じ小学校の……校務員をしてます」
「あぁ、兄の一樹です」
立ち上がって会釈するニコを一瞥し、お兄さんは物珍しげにニコを上から下まで眺めてから、すぐに冷めた視線を先生へと戻した。
「調子どう?」
「もうほとんどいいよ」
「保証人と治療同意書には俺からサインしといたから」
「それはどうも、お世話になりました」
……沈黙が重い。何年も兄とは会話してないって先生に聞いてたけど、確かに兄弟の会話にしてはあまりに他人行儀だった。先生はともかく、お兄さんは自分がいたら何かと話しづらいだろう。ふたりに挟まれて、なんだかいたたまれないし。
「……あの、僕、お昼食べてきますね」
「ああ、じゃあこれ使って」
お兄さんはポケットを探って、院内で使える食事のクーポンをくれようとした。だけど先生はお兄さんの言葉を遮って、キッと睨みつけた。
「今、彼と大事な話してるんだ。追い出そうとするのはやめてくれない?」
「こっちだって昼休憩はあと15分しかないんだけど」
「無理して来る必要なかったのに」
「先生っ! 僕のことはいいですから」
突き放したような言葉を吐く先生は初めてで、ついたしなめてしまった。こんな時こそ兄弟で話ができる貴重な機会かもって、お節介かもしれないけどそう思ったのに。
「母さんに連絡したのか? お前が仕事中に交通事故に遭ったって校長先生から電話があって、ずいぶん心配したんだぞ――」
「もうしたよ。大怪我したわけじゃないし、たいしたことないって」
「珍しく連絡があったと思ったら、事故っただなんてやめてくれよ、ただでさえ家にも顔出さないのに」
「そっちは二世帯でなに不自由なく暮らしてるんだから、別に僕がいなくてもいいでしょ」
「それとこれとは別だろ」
ニコにはお互いの顔を見比べながら、肩を落とす。どちらの気持ちも理解できた。でも、先生が実家を敬遠するのは……明確な理由があったから。
お兄さんの家に行けば奥さんにも会うことになる。先生の……昔の恋人だった人に。でもお兄さんはそれを知らない。先生はもう済んだことだって、ようやく整理がついたみたいだけど、顔を合わせるなんてできれば避けたいに決まっている。
「お前は自由でいいよな、弟ってだけでなんの責任もないんだから。忙しいとかいって去年なんか一度も来なかっただろ。正月にも、法事にも、親父の還暦祝いにも……」
よほど不満を抱えていたのだろう、先生のお兄さんは止まることなくとめどなくこぼし続けた。
「お前は医大に行った俺を憎んでるんだろ」
「は? どういう意味?」
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