44 / 68
あなたのいない世界など
6
しおりを挟む
「……高校時代のニコを僕が救ったって、君は言ってくれたね」
「まぎれもない事実ですから」
窓の外は冷え冷えとした青空が広がっているけれど、病室内は春みたいに暖かい。先生の声は穏やかで、その声はカーテンに染み込んでいくみたいだった。
「ああ、ひとりだけでも救えたんなら本望だなって。生きてた甲斐があったなってね。教師なんてやりがいがありそうな仕事に見えるかもしれないけど――子どもたちから感謝されることなんて、ほとんどないよ。卒業式に寄せ書きをもらうくらいで。あとは本当ににささいな、一瞬のできごとの積み重ねだよ」
今自分が大人になって、学校で働くようになって、先生達の苦労がようやく理解できたような気がする。
毎日、大勢の子ども相手に褒めたり、怒ったり、受け入れたり……体力も気力も、意欲さえも燃え尽きて、自分だったらあっという間に炭になっちゃいそうだ。
「そもそも僕たちができることは限られてる。子どもの成長に寄与してるなんて思い上がりも甚だしいよ。教師ができることなんて、朝顔の伸びたツルをほんのちょっと支柱に巻き付けてあげるだけくらいのもの。それだけで、あとは太陽に向かってそれぞれのペースでぐんぐん伸びていくんだ」
枯葉色の先生の瞳がニコの心を探るようにじっとのぞき込む。先生の想いも言葉もひとつも逃したくなくて、ニコは上目遣いで彼を見つめ返した。
「でもね、先生がいたから生きられた、命を救われたなんて言われたのは、ニコが初めてだよ。もちろんそれは教師としてだけど、でも本当に初めてで……ニコと話したあと、君を救えたんだって実感したら、すごく温かい気持ちになった。自分がやってきたことがたまには報われることもあるんだなって……」
先生の瞳にも声にも、熱いものがくすぶっていた。
「僕が毎日捧げている仕事を認めてくれた気がして嬉しかった。そう、嬉しかったんだ」
ニコは、嬉しいような寂しいような、申し訳ないような切ないような、苦くて甘い感傷を感じていた。拙くてもいい、自分の想いを伝えなきゃと乾いた唇を開く。
「先生に感謝してる人はたくさんいますよ。ただみんな自分のことに精一杯で、振り返らずに前を向いて歩いているだけ。僕だけがただ、しつこく先生を追いかけていただけで……僕が、先生を困らせていることは分かってました」
「困るって、何が?」
先生と初めて言葉を交わした桜の木の下、自分のためだけに先生が声をかけてくれた時、後先考えずに告白したんだ。あの日から始まったんだ、先生との長い道のりが。
「だって先生は、男から告白されたことなんてないだろうし、迷惑でしかないのに……それからもずっと先生はやさしくしてくれて、僕のことなんて無視されて当然なのに……」
「迷惑だなんて誰が決めたの? 確かに――はじめは驚いたけど」
「だって重いですよ、ストーカーまがいなことまでしてたんですから。今回だって、先生が事故に遭ったって聞いて、いてもたってもいられなくて……先生と一緒に登った山の神社に行ったんです、何度もお参りして。こんなの気持ち悪いですよね、自分でも分かってます、いつまでもこんなことしてちゃいけないってことは」
ぐちゃぐちゃになった気持ちを抑え込もうとすればするほど、堪えきれずに涙とともに溢れてくる。頬が濡れるのも構わずに、ぽろぽろと本心が口からこぼれていった。
「千秋先生も教頭先生も、笹原先生は大丈夫だ、きっと意識は戻るからって言って励ましてくれたけど……僕の中で、先生の火が消えそうだったんだ。消えたら最後だったんだ。そんなの嫌、絶対に嫌……」
「そんなに泣いたら目が溶けちゃうよ?」
先生はよいしょと腰を浮かせてから腕を伸ばし、ニコの頭をひと撫でした。そのまま首筋をするりと通り抜けて、傷口に薬を擦り込むかのように、ゆっくりとニコの背中をさすり続けた。
「ニコといると感情の振れ幅がすごくてさ、生きてるなって実感するよ。ほら、触ってみて」
先生はニコの手を取って自分の胸にぐっと押し付けた。先生の鼓動が、手の平を伝って身体の奥深くに流れていく。
(なんて、あったかいんだろう――)
さっきまで目を逸らしていた先生の身体に、今こうしてふれていることが信じられなくて、息を呑み込んだ。
「僕はそんなに簡単には死なない。ちゃんと生きてるよ。心臓も動いてるし、脈も打ってる、体温も高いでしょ……だから、もう心配しなくてもいい」
「まぎれもない事実ですから」
窓の外は冷え冷えとした青空が広がっているけれど、病室内は春みたいに暖かい。先生の声は穏やかで、その声はカーテンに染み込んでいくみたいだった。
「ああ、ひとりだけでも救えたんなら本望だなって。生きてた甲斐があったなってね。教師なんてやりがいがありそうな仕事に見えるかもしれないけど――子どもたちから感謝されることなんて、ほとんどないよ。卒業式に寄せ書きをもらうくらいで。あとは本当ににささいな、一瞬のできごとの積み重ねだよ」
今自分が大人になって、学校で働くようになって、先生達の苦労がようやく理解できたような気がする。
毎日、大勢の子ども相手に褒めたり、怒ったり、受け入れたり……体力も気力も、意欲さえも燃え尽きて、自分だったらあっという間に炭になっちゃいそうだ。
「そもそも僕たちができることは限られてる。子どもの成長に寄与してるなんて思い上がりも甚だしいよ。教師ができることなんて、朝顔の伸びたツルをほんのちょっと支柱に巻き付けてあげるだけくらいのもの。それだけで、あとは太陽に向かってそれぞれのペースでぐんぐん伸びていくんだ」
枯葉色の先生の瞳がニコの心を探るようにじっとのぞき込む。先生の想いも言葉もひとつも逃したくなくて、ニコは上目遣いで彼を見つめ返した。
「でもね、先生がいたから生きられた、命を救われたなんて言われたのは、ニコが初めてだよ。もちろんそれは教師としてだけど、でも本当に初めてで……ニコと話したあと、君を救えたんだって実感したら、すごく温かい気持ちになった。自分がやってきたことがたまには報われることもあるんだなって……」
先生の瞳にも声にも、熱いものがくすぶっていた。
「僕が毎日捧げている仕事を認めてくれた気がして嬉しかった。そう、嬉しかったんだ」
ニコは、嬉しいような寂しいような、申し訳ないような切ないような、苦くて甘い感傷を感じていた。拙くてもいい、自分の想いを伝えなきゃと乾いた唇を開く。
「先生に感謝してる人はたくさんいますよ。ただみんな自分のことに精一杯で、振り返らずに前を向いて歩いているだけ。僕だけがただ、しつこく先生を追いかけていただけで……僕が、先生を困らせていることは分かってました」
「困るって、何が?」
先生と初めて言葉を交わした桜の木の下、自分のためだけに先生が声をかけてくれた時、後先考えずに告白したんだ。あの日から始まったんだ、先生との長い道のりが。
「だって先生は、男から告白されたことなんてないだろうし、迷惑でしかないのに……それからもずっと先生はやさしくしてくれて、僕のことなんて無視されて当然なのに……」
「迷惑だなんて誰が決めたの? 確かに――はじめは驚いたけど」
「だって重いですよ、ストーカーまがいなことまでしてたんですから。今回だって、先生が事故に遭ったって聞いて、いてもたってもいられなくて……先生と一緒に登った山の神社に行ったんです、何度もお参りして。こんなの気持ち悪いですよね、自分でも分かってます、いつまでもこんなことしてちゃいけないってことは」
ぐちゃぐちゃになった気持ちを抑え込もうとすればするほど、堪えきれずに涙とともに溢れてくる。頬が濡れるのも構わずに、ぽろぽろと本心が口からこぼれていった。
「千秋先生も教頭先生も、笹原先生は大丈夫だ、きっと意識は戻るからって言って励ましてくれたけど……僕の中で、先生の火が消えそうだったんだ。消えたら最後だったんだ。そんなの嫌、絶対に嫌……」
「そんなに泣いたら目が溶けちゃうよ?」
先生はよいしょと腰を浮かせてから腕を伸ばし、ニコの頭をひと撫でした。そのまま首筋をするりと通り抜けて、傷口に薬を擦り込むかのように、ゆっくりとニコの背中をさすり続けた。
「ニコといると感情の振れ幅がすごくてさ、生きてるなって実感するよ。ほら、触ってみて」
先生はニコの手を取って自分の胸にぐっと押し付けた。先生の鼓動が、手の平を伝って身体の奥深くに流れていく。
(なんて、あったかいんだろう――)
さっきまで目を逸らしていた先生の身体に、今こうしてふれていることが信じられなくて、息を呑み込んだ。
「僕はそんなに簡単には死なない。ちゃんと生きてるよ。心臓も動いてるし、脈も打ってる、体温も高いでしょ……だから、もう心配しなくてもいい」
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?
すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。
お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」
その母は・・迎えにくることは無かった。
代わりに迎えに来た『父』と『兄』。
私の引き取り先は『本当の家』だった。
お父さん「鈴の家だよ?」
鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」
新しい家で始まる生活。
でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。
鈴「うぁ・・・・。」
兄「鈴!?」
倒れることが多くなっていく日々・・・。
そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。
『もう・・妹にみれない・・・。』
『お兄ちゃん・・・。』
「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」
「ーーーーっ!」
※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。
※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。
※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
溺愛執事と誓いのキスを
水無瀬雨音
BL
日本有数の大企業の社長の息子である周防。大学進学を機に、一般人の生活を勉強するため一人暮らしを始めるがそれは建前で、実際は惹かれていることに気づいた世話係の流伽から距離をおくためだった。それなのに一人暮らしのアパートに流伽が押し掛けてきたことで二人での生活が始まり……。
ふじょっしーのコンテストに参加しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる