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第5章 兄の結婚
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なじみの海鮮居酒屋は週末とあって混み合っていた。藤堂はのれんをくぐると、奥まったカウンター席に座る、笹原の背中に声をかけた。
「わりい、遅くなった」
「お疲れ。遅くなると思って先食べてるよ」
笹原の座るカウンターのテーブルには、すでに何皿かの料理が並んでいる。店員からおしぼりを受け取りながら、生ビールを2つ頼んだ。
コイツと会うのはいつぶりだろう。
笹原から珍しく連絡があったのは5月の末で、互いに忙しくて予定が合わず、会えたのは6月もだいぶ過ぎてからだった。
「久しぶりだな」
「忙しそうだね。6年生の学年主任は」
「相変わらず荒れてるよウチは。もうすぐ運動会だしな」
「もうそんな時期か」
「たまには手伝いにこいよ、そっちは暇なんだろ」
「暇なわけないでしょ」
冗談を交わしながらとりあえず乾杯し、冷えたビールで喉を潤おす。一気に半分ほどジョッキをあけ、ぷはあ、と息をつく。ひんやりとした感触が一日たまった疲れを洗い流してくれる。
「そっちの学校は単級なんだろ。学年主任とかいないの?」
「学年主任はいないね、教務主任ならいるけど」
「上から声かからないの? やってくれって」
笹原は枝豆をつまみながら、うーんと首をかしげた。
「毎度、校長と飲みの席になると、そんな話ばっかりだよ。あの人たちは僕らに仕事を任せるのが仕事だからね。いつ言いくるめられるか分かんないよ」
「その言い草じゃ、断ってるのか」
「僕はリーダーには向いてないよ。だって、ほかの先生に陰で文句言われたり、保護者に嫌われたりするしでしょ、怖いなあ」
ふっと笑いながらメニューを眺めている表情は、まだ余裕がありそうだった。ふわふわしてるくせに、こいつの心の中は意外と頑固だ。
笹原とはもう6年近くの付き合いになる。男性が少ない職場の上に、歳も近い。出会ってすぐに声をかけた。
子どもが好きで授業が好き。ずっと現場にいたいという先生は意外と多い。たしかに笹原は管理職には向かないかもしれない。「子どもたらし」と他の教師から揶揄されるほど、子どもに懐かれていた。良いか悪いかは別として。
多分、子どもからすると笹原には敵意を感じないんだろう。あるがままを受け入れて、期待もしない。適当にこなしているように見えて、物事の本質は捉えている。まさに天性で仕事してるって感じ。
「でも結局、他の人がいなけりゃやるしかないと思ってんだろ?」
「そういう風に決めつけるのやめてくれない?」
赤魚の煮付けが運ばれてきて、美味しそうに笹原は頬張っている。ぐいっとビールを飲み干してから、藤堂はカバンから大事な物を取り出した。
「……どっち先に見る?」
手書きのメモ用紙と分厚い封筒を、目の前にぶら下げた。笹原はおしぼりで指先を拭い、胡散臭そうに覗き込んでから純白の封筒を引っ張った。
「もしかして結婚するの? 彼女、大学の同級生だっけ」
「知り合って10年よ。いいかげん決めないと愛想尽かされちゃうよな」
「長い付き合いだね。それだけ続くのはえらいもんだ」
「結婚式は8月だからな、忘れるなよ」
「……結婚式、出ないという選択肢はない?」
「はっ? 冗談だろ」
「いや、出るよ。行かないとね」
もちろん出席するからとすぐに謝ってはいたが、どうにもぼんやりとした顔には見覚えがあった。
「もしかしてさ、まだ引きずってるのか? お前、校外学習の日に休んだことあっただろ。俺が見舞いに行ってさ」
「……あぁ、あれは悪い物にあたったんだって。やだな、何年前の話?」
校外学習は週明けの月曜日で、行き先は市の科学館だった。下見も会計係も笹原がメインでやっていたのに、肝心の当日、あいつは体調不良で休んだんだ。
その日の夜、仕事帰りに笹原の自宅に寄った。半分は愚痴を言うつもりで、半分はなぜ休んだのか腑に落ちなかったから。まさかぶっ倒れてるんじゃないかと心配もしてなかったわけじゃない。
玄関に出てきた姿に驚いた。ボサボサの頭に目は腫れていた。ひどい顔だった。
「どうぞ入って。汚いけど」
玄関に放り出されたままの引き出物のでかい紙袋。乱雑にソファーの上に脱ぎ捨てられた礼服のブラックスーツ。
何があったかはすぐ分かった。
「わりい、遅くなった」
「お疲れ。遅くなると思って先食べてるよ」
笹原の座るカウンターのテーブルには、すでに何皿かの料理が並んでいる。店員からおしぼりを受け取りながら、生ビールを2つ頼んだ。
コイツと会うのはいつぶりだろう。
笹原から珍しく連絡があったのは5月の末で、互いに忙しくて予定が合わず、会えたのは6月もだいぶ過ぎてからだった。
「久しぶりだな」
「忙しそうだね。6年生の学年主任は」
「相変わらず荒れてるよウチは。もうすぐ運動会だしな」
「もうそんな時期か」
「たまには手伝いにこいよ、そっちは暇なんだろ」
「暇なわけないでしょ」
冗談を交わしながらとりあえず乾杯し、冷えたビールで喉を潤おす。一気に半分ほどジョッキをあけ、ぷはあ、と息をつく。ひんやりとした感触が一日たまった疲れを洗い流してくれる。
「そっちの学校は単級なんだろ。学年主任とかいないの?」
「学年主任はいないね、教務主任ならいるけど」
「上から声かからないの? やってくれって」
笹原は枝豆をつまみながら、うーんと首をかしげた。
「毎度、校長と飲みの席になると、そんな話ばっかりだよ。あの人たちは僕らに仕事を任せるのが仕事だからね。いつ言いくるめられるか分かんないよ」
「その言い草じゃ、断ってるのか」
「僕はリーダーには向いてないよ。だって、ほかの先生に陰で文句言われたり、保護者に嫌われたりするしでしょ、怖いなあ」
ふっと笑いながらメニューを眺めている表情は、まだ余裕がありそうだった。ふわふわしてるくせに、こいつの心の中は意外と頑固だ。
笹原とはもう6年近くの付き合いになる。男性が少ない職場の上に、歳も近い。出会ってすぐに声をかけた。
子どもが好きで授業が好き。ずっと現場にいたいという先生は意外と多い。たしかに笹原は管理職には向かないかもしれない。「子どもたらし」と他の教師から揶揄されるほど、子どもに懐かれていた。良いか悪いかは別として。
多分、子どもからすると笹原には敵意を感じないんだろう。あるがままを受け入れて、期待もしない。適当にこなしているように見えて、物事の本質は捉えている。まさに天性で仕事してるって感じ。
「でも結局、他の人がいなけりゃやるしかないと思ってんだろ?」
「そういう風に決めつけるのやめてくれない?」
赤魚の煮付けが運ばれてきて、美味しそうに笹原は頬張っている。ぐいっとビールを飲み干してから、藤堂はカバンから大事な物を取り出した。
「……どっち先に見る?」
手書きのメモ用紙と分厚い封筒を、目の前にぶら下げた。笹原はおしぼりで指先を拭い、胡散臭そうに覗き込んでから純白の封筒を引っ張った。
「もしかして結婚するの? 彼女、大学の同級生だっけ」
「知り合って10年よ。いいかげん決めないと愛想尽かされちゃうよな」
「長い付き合いだね。それだけ続くのはえらいもんだ」
「結婚式は8月だからな、忘れるなよ」
「……結婚式、出ないという選択肢はない?」
「はっ? 冗談だろ」
「いや、出るよ。行かないとね」
もちろん出席するからとすぐに謝ってはいたが、どうにもぼんやりとした顔には見覚えがあった。
「もしかしてさ、まだ引きずってるのか? お前、校外学習の日に休んだことあっただろ。俺が見舞いに行ってさ」
「……あぁ、あれは悪い物にあたったんだって。やだな、何年前の話?」
校外学習は週明けの月曜日で、行き先は市の科学館だった。下見も会計係も笹原がメインでやっていたのに、肝心の当日、あいつは体調不良で休んだんだ。
その日の夜、仕事帰りに笹原の自宅に寄った。半分は愚痴を言うつもりで、半分はなぜ休んだのか腑に落ちなかったから。まさかぶっ倒れてるんじゃないかと心配もしてなかったわけじゃない。
玄関に出てきた姿に驚いた。ボサボサの頭に目は腫れていた。ひどい顔だった。
「どうぞ入って。汚いけど」
玄関に放り出されたままの引き出物のでかい紙袋。乱雑にソファーの上に脱ぎ捨てられた礼服のブラックスーツ。
何があったかはすぐ分かった。
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