6 / 68
1章 春の光
6
しおりを挟む
笹原は帰りの会を終え、下校前の集会のために児童玄関に向かっている時、鮮やかなエメラルドグリーンのランドセルを背負った女子がふたり、イノシシの被害に遭った畑の前でしゃがみこんでいるのが見えた。
あの子たちはたしか、2年生の千秋のクラスの子達だ。彼女らの目線の先には土を耕す、あの青年の姿があった。
「ほんとひどいねえー」
「ニコちゃん、がんばって元に戻してよ!」
「ほら、タオル落としてるよ」
てぬぐいを頭に巻き紺色のツナギを着た彼は、女子から受け取ったタオルの砂をはたいていた。
「ニコ」とはまた変なあだ名をつけられたものだ。子どもたちの発想には舌を巻く。「にしな こう」の頭文字を取ってニコ、らしい。
名字に「さん」づけで呼びなさいと教頭先生に注意されても、子どもたちはすぐにあだ名呼びに戻ってしまう。
「ニコちゃん、そっちの棒曲がってない?」
「え、どれ? これ?」
すでに2年生の女子達の勢いに押され気味だ。若いからか、先生達と違って怒られないと分かっているからか、子どもたちは校務員の青年にすぐに懐いた。
特に女子には大人気だ。韓国アイドルの誰かに似ているとかいう噂で、6年の女子のグループが彼を見かけるたびに、恥じらったようにくすくすと笑い合っている。
気安く頼みやすいと他の先生達や教頭らもあれこれ修繕を頼んだり、教材を運ばせたりと、毎日学校中を駆けずり回っている。はじめから飛ばしすぎて疲弊しないかと心配になるくらいに。
「あ、笹原先生だー、何してんのー?」
「さあ、何してるんだと思う?」
さっきのふたり組が今度はこちらに駆けてきた。子どもたちは暇そうな大人を見つけるのが得意だ。
「知らないよぉ」
「イノシシがどの方向から来たかなと思ってさ。足跡を探してるんだ」
「えーうそ! そんなの分かるの?」
ふたりが揃ってころころと顔をほころばせた。
「探せば分かるかもね。ほら、もう集会始まるよ」
言い終えると同時にチャイムが鳴った。
「りのちゃん、行こ。あ、せんせーばいばーい!」
ちぎれんばかりの手の振りように、こちらも自然と笑顔になる。また明日会うのに、子どもたちは今生の別れのように惜しんでくれる。ふたりは競い合うように走り去っていった。
学校は四方を山に囲われている。どこからだってイノシシは入り込めた。近年、イノシシの田や畑の被害はどの自治体でも問題視されている。でもまさか学校の畑まで襲ってくるとは思わなかった。笹原は足跡が体育館の裏手へと続く山の中へと消えているのを確認して、校舎へと戻った。
2階南西の角部屋にあたる職員室からは、校内が一望できるような構造になっている。校庭と児童玄関はもちろんのこと、校門から入ってくる車も確認できた。遊具やプールもここから見渡せば子どもたちがいるかどうか一目で判別できる。
ふと目線を下ろすと、もう傾きかけた空の下、ひとりぽつんと作業している青年の姿が目に入った。もしかして下校時刻からずっと作業していたのだろうか。
隣のデスクで、テストの丸つけをしていた千秋にたずねた。
「千秋先生。あの畑、また作り直すんですか」
「そうしようかなって。みんなに聞いたらまたやりたいって言うし」
あの青年に畑を作り直すよう頼んだのは千秋だろうか。千秋も仕事の手を止めて笹原の隣にやってくると、同じような姿勢で見下ろした。
「あの校務の子、子どもたちから人気あるんですよ。どっかのアイドルに似てるとかで」
「みたいだね」
「笹原先生、興味なさそー」
「興味はあるよ。どうしてこんな田舎に、あんな若い子が来たのかなってね」
たしかに、と千秋は笑いながらうなずいた。
「明日の歓迎会で、私が色々と聞き出してあげますよ」
「ほんとに?」
「その代わり、歓迎会終わったら二次会の約束、忘れてませんよね? お店予約しましたから」
「あぁ、そうでしたね」
小声でささやく千秋に、飲みに行く約束をしていたことを思い出す。彼女は教頭に呼ばれて席の方へ戻っていった。どうやら荒らされた花壇のことを聞かれているようだ。また作り直したいから、千秋は野菜の苗をもう一度買いたいと頼み込んでいるようだった。
笹原は席に戻って、ぼんやりとパソコンの画面に視線を戻す。
やることはたくさんあった。5年生は教科が多いし、内容も複雑になるから分かりやすくしようと工夫すればするほど授業の準備にも時間がかかった。授業参観も来週早々にある。
気づけば時間が経っていた。
あの子たちはたしか、2年生の千秋のクラスの子達だ。彼女らの目線の先には土を耕す、あの青年の姿があった。
「ほんとひどいねえー」
「ニコちゃん、がんばって元に戻してよ!」
「ほら、タオル落としてるよ」
てぬぐいを頭に巻き紺色のツナギを着た彼は、女子から受け取ったタオルの砂をはたいていた。
「ニコ」とはまた変なあだ名をつけられたものだ。子どもたちの発想には舌を巻く。「にしな こう」の頭文字を取ってニコ、らしい。
名字に「さん」づけで呼びなさいと教頭先生に注意されても、子どもたちはすぐにあだ名呼びに戻ってしまう。
「ニコちゃん、そっちの棒曲がってない?」
「え、どれ? これ?」
すでに2年生の女子達の勢いに押され気味だ。若いからか、先生達と違って怒られないと分かっているからか、子どもたちは校務員の青年にすぐに懐いた。
特に女子には大人気だ。韓国アイドルの誰かに似ているとかいう噂で、6年の女子のグループが彼を見かけるたびに、恥じらったようにくすくすと笑い合っている。
気安く頼みやすいと他の先生達や教頭らもあれこれ修繕を頼んだり、教材を運ばせたりと、毎日学校中を駆けずり回っている。はじめから飛ばしすぎて疲弊しないかと心配になるくらいに。
「あ、笹原先生だー、何してんのー?」
「さあ、何してるんだと思う?」
さっきのふたり組が今度はこちらに駆けてきた。子どもたちは暇そうな大人を見つけるのが得意だ。
「知らないよぉ」
「イノシシがどの方向から来たかなと思ってさ。足跡を探してるんだ」
「えーうそ! そんなの分かるの?」
ふたりが揃ってころころと顔をほころばせた。
「探せば分かるかもね。ほら、もう集会始まるよ」
言い終えると同時にチャイムが鳴った。
「りのちゃん、行こ。あ、せんせーばいばーい!」
ちぎれんばかりの手の振りように、こちらも自然と笑顔になる。また明日会うのに、子どもたちは今生の別れのように惜しんでくれる。ふたりは競い合うように走り去っていった。
学校は四方を山に囲われている。どこからだってイノシシは入り込めた。近年、イノシシの田や畑の被害はどの自治体でも問題視されている。でもまさか学校の畑まで襲ってくるとは思わなかった。笹原は足跡が体育館の裏手へと続く山の中へと消えているのを確認して、校舎へと戻った。
2階南西の角部屋にあたる職員室からは、校内が一望できるような構造になっている。校庭と児童玄関はもちろんのこと、校門から入ってくる車も確認できた。遊具やプールもここから見渡せば子どもたちがいるかどうか一目で判別できる。
ふと目線を下ろすと、もう傾きかけた空の下、ひとりぽつんと作業している青年の姿が目に入った。もしかして下校時刻からずっと作業していたのだろうか。
隣のデスクで、テストの丸つけをしていた千秋にたずねた。
「千秋先生。あの畑、また作り直すんですか」
「そうしようかなって。みんなに聞いたらまたやりたいって言うし」
あの青年に畑を作り直すよう頼んだのは千秋だろうか。千秋も仕事の手を止めて笹原の隣にやってくると、同じような姿勢で見下ろした。
「あの校務の子、子どもたちから人気あるんですよ。どっかのアイドルに似てるとかで」
「みたいだね」
「笹原先生、興味なさそー」
「興味はあるよ。どうしてこんな田舎に、あんな若い子が来たのかなってね」
たしかに、と千秋は笑いながらうなずいた。
「明日の歓迎会で、私が色々と聞き出してあげますよ」
「ほんとに?」
「その代わり、歓迎会終わったら二次会の約束、忘れてませんよね? お店予約しましたから」
「あぁ、そうでしたね」
小声でささやく千秋に、飲みに行く約束をしていたことを思い出す。彼女は教頭に呼ばれて席の方へ戻っていった。どうやら荒らされた花壇のことを聞かれているようだ。また作り直したいから、千秋は野菜の苗をもう一度買いたいと頼み込んでいるようだった。
笹原は席に戻って、ぼんやりとパソコンの画面に視線を戻す。
やることはたくさんあった。5年生は教科が多いし、内容も複雑になるから分かりやすくしようと工夫すればするほど授業の準備にも時間がかかった。授業参観も来週早々にある。
気づけば時間が経っていた。
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
冷徹上司の、甘い秘密。
青花美来
恋愛
うちの冷徹上司は、何故か私にだけ甘い。
「頼む。……この事は誰にも言わないでくれ」
「別に誰も気にしませんよ?」
「いや俺が気にする」
ひょんなことから、課長の秘密を知ってしまいました。
※同作品の全年齢対象のものを他サイト様にて公開、完結しております。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
すこやか食堂のゆかいな人々
山いい奈
ライト文芸
貧血体質で悩まされている、常盤みのり。
母親が栄養学の本を読みながらごはんを作ってくれているのを見て、みのりも興味を持った。
心を癒し、食べるもので健康になれる様な食堂を開きたい。それがみのりの目標になっていた。
短大で栄養学を学び、専門学校でお料理を学び、体調を見ながら日本料理店でのアルバイトに励み、お料理教室で技を鍛えて来た。
そしてみのりは、両親や幼なじみ、お料理教室の先生、テナントビルのオーナーの力を借りて、すこやか食堂をオープンする。
一癖も二癖もある周りの人々やお客さまに囲まれて、みのりは奮闘する。
やがて、それはみのりの家族の問題に繋がっていく。
じんわりと、だがほっこりと心暖まる物語。
お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?
すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。
お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」
その母は・・迎えにくることは無かった。
代わりに迎えに来た『父』と『兄』。
私の引き取り先は『本当の家』だった。
お父さん「鈴の家だよ?」
鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」
新しい家で始まる生活。
でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。
鈴「うぁ・・・・。」
兄「鈴!?」
倒れることが多くなっていく日々・・・。
そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。
『もう・・妹にみれない・・・。』
『お兄ちゃん・・・。』
「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」
「ーーーーっ!」
※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。
※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。
※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる