3 / 68
1章 春の光
3
しおりを挟む
「先生、青ですよ! 信号!!」
笹原はあわててアクセルを踏んだが、後続の大型トラックに盛大にクラクションを鳴らされてしまった。
「もー、しっかりしてくださいよ」
「ごめんごめん」
助手席に座る同僚の千秋遥菜が笑いながらたしなめた。午後、空き時間に外出したいことを教頭に告げると、こまごまとした筆記具などのおつかいを頼まれた。話を聞きつけた千秋も行きたいと言うので、笹原が車を出したのだった。
「ノート、いいのありました?」
「なんとかね。新学期からぼけてるよ、ほんと」
「子どもたちと交換日記する余裕なんてよくありますよね。私にはとても」
「まぁ、半分は自己満足みたいなもんだよ」
来週の月曜から今年度の授業が始まるというのに、交換日記用のノートを用意していないことに気づいたのは、入学式が終わり来週の授業の準備をしていた頃だった。
教師になってかは毎年かかさず続けてきた、子どもたちとの交換日記。初任の頃からクラス全員へ毎日返事を書いていた。
ノートを買い忘れた事に気づいた時、今年はやめてしまおうかとも頭をよぎった。別に強制されてるわけでもないし、返事を書く手間を考えたらやらないほうが楽に決まっている。
けれど、ふだん発言の少ない、いわゆる目立たない子どもたちと他愛のない会話ができるのもノートの上だけだったりする。そういう子のつぶやきや、思いがけない発想に直接触れられる文字でのやりとりが好きだった。
山間の薄暗いトンネルに入ると、暗闇に浮かぶ対向車の光が、蛍のようにあらわれては通りすぎていく。
頭がぼんやりしてる理由は明らかだった。昨日の彼の言葉が、頭から抜けないだけ。素直に日焼けした肌に陰影を含んだ瞳。澄んだ眼差しは向こう側の景色まで透けそうなほど。
……好きです、といわれても。
彼は一体なんなのだろう。
笹原を誰かと勘違いしているのか、それとも昔会ったことがあるのか。だがあんなうら若き青年に好かれるような言動をしたことなど、過去を振り返ってみても一度もない。
こんな仕事をしていると一方的に顔を知られていることはままあることで、多少のことは諦めていた。けれどこんな小さな学校の中で、一方的に好意を寄せられているらしい相手と毎日仕事をするのもどこか気まずい。
トンネルを抜けると視界が明るくひらけた。最初の信号を左折して、なだらかな山道を降りていく。
広大な田畑と民家が点在する道の先、ひときわ高い丘の上に建つのは、笹原たちが勤務する小学校。一学年一クラスが精一杯の小さな、でも地元の人たちにとって大切な場所だ。
先生と呼ばれて8年目、この小学校に来て2年目の春。毎年クラス替えのないこの学校では、子どもたちと保護者の目下の興味は担任の先生が誰か、である。
昨日、5年生の担任が笹原であると告げられ、子どもたちは騒いでいたが、その様子を見ても笹原には何の感慨も湧かなかった。
隣に座る千秋が、不満げにため息をついた。
「子どもたちも最初は大人しいのに、一ヶ月も過ぎるとすぐ緩んできて、人の話聞かなくなっちゃうんですよね。笹原先生いつもどうしてます?」
「僕のクラスのルールは授業中に勝手にしゃべるな、勝手に立ったり歩いたりするなって、それだけだよ」
「それ、最初の授業で言うんですか?」
「うん、あとはぜーんぶ自由。なんでも好きに大いに遊んでいいよって。ダメな時は僕が叱ってあげるからって言うと、みんな笑うんだ。なんでだろう?」
「笹原先生、お茶飲んでる時に笑わせないで」
千秋は子どもたちと同じように、ふふっと肩を震わせた。
こんな小さな学校では、すでに児童全員の名前はもちろん、性格や家庭環境もだいたい把握している。田舎だからか、祖父母や地域の人達に見守られているからか、どの家庭の子どもたちも多少の差はあれど比較的落ち着いていた。
毎年同じことの繰り返し。平凡な己を受け入れ、平穏に過ごせればそれでいい。やるべきことや学ぶことは山ほどあって、充実しているともいえた。
だが過ぎていく日々は何か物足りなかった。
一体、自分はどうなりたいのだろう。
笹原はあわててアクセルを踏んだが、後続の大型トラックに盛大にクラクションを鳴らされてしまった。
「もー、しっかりしてくださいよ」
「ごめんごめん」
助手席に座る同僚の千秋遥菜が笑いながらたしなめた。午後、空き時間に外出したいことを教頭に告げると、こまごまとした筆記具などのおつかいを頼まれた。話を聞きつけた千秋も行きたいと言うので、笹原が車を出したのだった。
「ノート、いいのありました?」
「なんとかね。新学期からぼけてるよ、ほんと」
「子どもたちと交換日記する余裕なんてよくありますよね。私にはとても」
「まぁ、半分は自己満足みたいなもんだよ」
来週の月曜から今年度の授業が始まるというのに、交換日記用のノートを用意していないことに気づいたのは、入学式が終わり来週の授業の準備をしていた頃だった。
教師になってかは毎年かかさず続けてきた、子どもたちとの交換日記。初任の頃からクラス全員へ毎日返事を書いていた。
ノートを買い忘れた事に気づいた時、今年はやめてしまおうかとも頭をよぎった。別に強制されてるわけでもないし、返事を書く手間を考えたらやらないほうが楽に決まっている。
けれど、ふだん発言の少ない、いわゆる目立たない子どもたちと他愛のない会話ができるのもノートの上だけだったりする。そういう子のつぶやきや、思いがけない発想に直接触れられる文字でのやりとりが好きだった。
山間の薄暗いトンネルに入ると、暗闇に浮かぶ対向車の光が、蛍のようにあらわれては通りすぎていく。
頭がぼんやりしてる理由は明らかだった。昨日の彼の言葉が、頭から抜けないだけ。素直に日焼けした肌に陰影を含んだ瞳。澄んだ眼差しは向こう側の景色まで透けそうなほど。
……好きです、といわれても。
彼は一体なんなのだろう。
笹原を誰かと勘違いしているのか、それとも昔会ったことがあるのか。だがあんなうら若き青年に好かれるような言動をしたことなど、過去を振り返ってみても一度もない。
こんな仕事をしていると一方的に顔を知られていることはままあることで、多少のことは諦めていた。けれどこんな小さな学校の中で、一方的に好意を寄せられているらしい相手と毎日仕事をするのもどこか気まずい。
トンネルを抜けると視界が明るくひらけた。最初の信号を左折して、なだらかな山道を降りていく。
広大な田畑と民家が点在する道の先、ひときわ高い丘の上に建つのは、笹原たちが勤務する小学校。一学年一クラスが精一杯の小さな、でも地元の人たちにとって大切な場所だ。
先生と呼ばれて8年目、この小学校に来て2年目の春。毎年クラス替えのないこの学校では、子どもたちと保護者の目下の興味は担任の先生が誰か、である。
昨日、5年生の担任が笹原であると告げられ、子どもたちは騒いでいたが、その様子を見ても笹原には何の感慨も湧かなかった。
隣に座る千秋が、不満げにため息をついた。
「子どもたちも最初は大人しいのに、一ヶ月も過ぎるとすぐ緩んできて、人の話聞かなくなっちゃうんですよね。笹原先生いつもどうしてます?」
「僕のクラスのルールは授業中に勝手にしゃべるな、勝手に立ったり歩いたりするなって、それだけだよ」
「それ、最初の授業で言うんですか?」
「うん、あとはぜーんぶ自由。なんでも好きに大いに遊んでいいよって。ダメな時は僕が叱ってあげるからって言うと、みんな笑うんだ。なんでだろう?」
「笹原先生、お茶飲んでる時に笑わせないで」
千秋は子どもたちと同じように、ふふっと肩を震わせた。
こんな小さな学校では、すでに児童全員の名前はもちろん、性格や家庭環境もだいたい把握している。田舎だからか、祖父母や地域の人達に見守られているからか、どの家庭の子どもたちも多少の差はあれど比較的落ち着いていた。
毎年同じことの繰り返し。平凡な己を受け入れ、平穏に過ごせればそれでいい。やるべきことや学ぶことは山ほどあって、充実しているともいえた。
だが過ぎていく日々は何か物足りなかった。
一体、自分はどうなりたいのだろう。
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?
すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。
お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」
その母は・・迎えにくることは無かった。
代わりに迎えに来た『父』と『兄』。
私の引き取り先は『本当の家』だった。
お父さん「鈴の家だよ?」
鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」
新しい家で始まる生活。
でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。
鈴「うぁ・・・・。」
兄「鈴!?」
倒れることが多くなっていく日々・・・。
そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。
『もう・・妹にみれない・・・。』
『お兄ちゃん・・・。』
「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」
「ーーーーっ!」
※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。
※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。
※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
溺愛執事と誓いのキスを
水無瀬雨音
BL
日本有数の大企業の社長の息子である周防。大学進学を機に、一般人の生活を勉強するため一人暮らしを始めるがそれは建前で、実際は惹かれていることに気づいた世話係の流伽から距離をおくためだった。それなのに一人暮らしのアパートに流伽が押し掛けてきたことで二人での生活が始まり……。
ふじょっしーのコンテストに参加しています。
ヤンキーDKの献身
ナムラケイ
BL
スパダリ高校生×こじらせ公務員のBLです。
ケンカ上等、金髪ヤンキー高校生の三沢空乃は、築51年のオンボロアパートで一人暮らしを始めることに。隣人の近間行人は、お堅い公務員かと思いきや、夜な夜な違う男と寝ているビッチ系ネコで…。
性描写があるものには、タイトルに★をつけています。
行人の兄が主人公の「戦闘機乗りの劣情」(完結済み)も掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる