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Act.5-2 汚れるネコ
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その日の夜。
夕食やお風呂を済ませて寝仕度を整えたルーチェがベッドに入ると、オロももそもそと布団にもぐりこんでルーチェの隣に顔を出した。
琥珀色の瞳がじっとルーチェを見つめている。
「寝るよ?」
「にゃー」
オロはYESと鳴いたけれど、それは少し寂しそうな鳴き方だった。ルーチェはオロを優しく引き寄せて胸に抱いた。そして背中を撫でてあげる。
「今日は甘えん坊で変なの……」
でも、たまにはこういうのもありかな、なんて思うのはどうしてだろう。
いつもオロが助けてくれるからだろうか。彼が寂しそうにしているときは抱きしめてあげたいと……そんなことをネコに対して思うルーチェの方が変なのだろうか。
「にゃうん」
オロはひしっとルーチェの胸元にくっついて。ルーチェもオロの高めの体温を抱きながら、ゆっくりと夢の世界へ誘われていった。
――――…
細身の男の子がルーチェの視線の先、ずっと遠くに立っている。明るい茶色の髪の毛がふわりとなびいているようだ。
何度も「ルーチェ」とどこからか声が聴こえてくる。
自分が進んでいるのか、それとも彼が後退してきているのか……だんだんと近づいてくるのに、その男の子が振り返ることはない。「ルーチェ」と呼ぶ声は近くなることなく、その男の子が発しているのかも定かではない。
そして、ルーチェの目の前に彼の背中が大きく映って――
――ルーチェ。
急に大きく響いた声に、ルーチェはパッと起き上がった。
「あ、れ……?」
なんだか変な夢を見た。時計を見ると、7時少し前。
「誰だろ……」
夢に見た男の子――見えたのは後姿だけだったが、会ったことはないと思う。
それに、ルーチェを何度も呼ぶ声。あれは、あの男の子の声だったのだろうか。少し高めの少年の声だった。なんとなくどこかで聞いたことあるようなトーンに感じたけれど、どこで聞いたかは思い出せない。
「オロも、またいないし」
昨日抱いて眠ったはずのオロの姿がなく、ルーチェはため息をついた。昨日と同じでどこかへ出かけたのだろうか。
また汚れて帰ってこないといいが……
ルーチェはもう1度ため息をついて、ちょうど鳴り出した目覚ましを止めてベッドを降りた。
***
それから1週間。
オロは毎日のように泥だらけで帰ってきた。初日にルーチェに注意されてからは、玄関の前で鳴いて迎えを待つようにはなったのだけれど、一体何をしてこんなことになるのかが謎だ。
ルーチェは毎日オロをお風呂に入れ、オロは更にルーチェに甘えるようになって……そして、ルーチェは少年の夢を見続けている。
眠れていないわけではない。むしろ、ぐっすり眠れているのに夢を見る。
いや……夢を見ているということは眠りが浅いということのはずなのだけれど、不思議とスッキリ目が覚める。
もっと不思議なのは、声がだんだんとハッキリしてきていることだ。今はもう、ルーチェを呼ぶのは彼だと確信している。
だが、なぜ……?
ルーチェは彼を知らない。ならば、少年がルーチェを呼ぶのは彼女の願望? それとも、古い迷信のような――少年がルーチェを想っているから夢に出てくるとか。
「……なわけないよね」
はぁっとため息をついて、ルーチェは調合していた薬の火を止めた。
ブリジッタやグラートに、最近変な夢を見ると話したこともある。しかし返ってくるのは「疲れているんじゃないか」というような言葉ばかり。
確かに、オロが光ったとか魔法を使えるとか、知らない少年が夢の中でルーチェを呼ぶとか……ルーチェ自身、変だと思う。
でも、事実なのだ。ルーチェが自分の目で見て、耳で聞いて。すべてが現実なのに。
「現実っていうか、夢? うーん、でもオロは実在してるし……あぁ、もう! 集中しなきゃ」
ルーチェはパンッと両手で頬を叩き、薬草を刻み始めた。
あとはこのオーメンタールを入れてよく混ぜれば、今作っている薬は完成する。オーメンタールは小さな可愛らしい白い花をつける薬草で、魔法や薬の吸収を促進し、効果を高めてくれるものだ。
「温度は……うん、これなら大丈夫」
オーメンタールは調合の最後、火にかけたままで葉をそのまま入れるクラドールも多い。しかし、葉に含まれる効果促進作用成分は、人肌くらいが一番溶け出しやすいようなのだ。それで、ルーチェはいつも少し冷ましてから鍋に刻んだ葉を入れることにしている。
薬の調合は、基本の煎じ方はマニュアルがあるけれどクラドールによってアレンジを加えることがある。特にオーメンタールのような、直接病や傷に働きかけるものでないメインの薬草を助ける働きをする薬草についてはクラドールの力量が問われるところでもある。
基本の煎じ方さえ押さえていれば、定められた効果は出るようになっている。その効能をどこまで高められるか――クラドールの腕や診療所の評判にも影響するくらいだ。
特にこのマーレ王国は、国民のほとんどがそういった知識を持っているためにチェックも厳しい。
「できた!」
ルーチェはできあがった薬を小瓶に分け、棚に綺麗に並べた。
これで今日の研修は終わりだ。
使った器材を丁寧に洗って消毒し、薬草なども保存用と捨ててしまうものを分け、すべての片づけが終わったところで調合室を出た。
「あ、お姉ちゃん!」
廊下に出ると、アリーチェに呼び止められた。
「オロ、今日も泥だらけだったよ? お姉ちゃん、なかなか調合室から出てこないから、私がお風呂に入れてあげたからね」
「そっか。ありがと」
オロはいつもより早い時間に帰ってきたらしい。ルーチェはアリーチェにお礼を言って階段を上ろうとする。
だが、アリーチェは少し真剣な顔をしてルーチェを再び呼び止めた。
「ねぇ……オロ、帰りたがってない?」
「え……?」
その言葉に、ルーチェの心臓がドクンと嫌な音を立てた。
「オロ、最近寂しそうにしてるの、気づいてるでしょ?」
「う、うん……でも、それは…………」
そこまで言って、ルーチェは言葉に詰まった。それは――?
確かにオロは最近妙に甘えていて、いわゆるホームシックのようなものなのだろうと軽く考えていた。
でも、オロは自力で泳いできた。それは、帰ろうと思えばルミエール王国へ自力で帰れるはず。そんな風に都合よく解釈していたが、もし流されてきただけだったら……?
何も言えなくなってしまったルーチェを見て、アリーチェはフッと息を吐く。
「まぁ……帰るならお別れ会くらいはするし、急にいなくならないでって言っておいてね」
「……うん」
アリーチェなりの気遣いなのだろうけれど、ルーチェの心には重く石が落ちてきたみたいに、わだかまりが残った。
ルーチェが部屋に戻ると、オロはベッドの上にいた。窓に前足をかけて遠くを見つめている。
その姿を見て、ルーチェはチクリとした痛みを感じた。
オロはよく窓の外を見つめている。ルーチェには懐いてくれているようだけれど、やはりアリーチェの言うように元いた場所へ帰りたいのではないだろうか。
そう思うと、なぜか胸が苦しくて。ルーチェはフッと息を吐いてベッドに座った。
「にゃうん」
オロはベッドが沈んだことでルーチェに気がついたらしく、窓から離れてルーチェの膝に乗った。
「にゃっ、にゃっ」
ルーチェの胸に前足を添えて身体を支え、じっと琥珀色の瞳でルーチェを見上げるオロ。
ルーチェが首を傾げると、その瞳が揺れた気がした。寂しそうに……
「オロ……帰りたいの?」
思わずそう問いかけた。
「にゃぁ」
すると、オロは頬をルーチェの胸に摺り寄せて抱きつこうとする仕草を見せた。「帰らないよ」と、言っている
と思っていいのだろうか。ルーチェは堪らずオロを抱きしめた。
「ねぇ……私、研修も頑張るから、だから……」
帰らないで――そんな風にネコに言うのは変なのかもしれないと頭の隅で思いながら、オロは不思議なネコだからルーチェも不思議な気分になるのかもしれないと変な理由をつける。
「だから、そばにいて」
「にゃー」
そのルーチェのお願いに……オロがYESと鳴いてくれたことがとても嬉しかった――
夕食やお風呂を済ませて寝仕度を整えたルーチェがベッドに入ると、オロももそもそと布団にもぐりこんでルーチェの隣に顔を出した。
琥珀色の瞳がじっとルーチェを見つめている。
「寝るよ?」
「にゃー」
オロはYESと鳴いたけれど、それは少し寂しそうな鳴き方だった。ルーチェはオロを優しく引き寄せて胸に抱いた。そして背中を撫でてあげる。
「今日は甘えん坊で変なの……」
でも、たまにはこういうのもありかな、なんて思うのはどうしてだろう。
いつもオロが助けてくれるからだろうか。彼が寂しそうにしているときは抱きしめてあげたいと……そんなことをネコに対して思うルーチェの方が変なのだろうか。
「にゃうん」
オロはひしっとルーチェの胸元にくっついて。ルーチェもオロの高めの体温を抱きながら、ゆっくりと夢の世界へ誘われていった。
――――…
細身の男の子がルーチェの視線の先、ずっと遠くに立っている。明るい茶色の髪の毛がふわりとなびいているようだ。
何度も「ルーチェ」とどこからか声が聴こえてくる。
自分が進んでいるのか、それとも彼が後退してきているのか……だんだんと近づいてくるのに、その男の子が振り返ることはない。「ルーチェ」と呼ぶ声は近くなることなく、その男の子が発しているのかも定かではない。
そして、ルーチェの目の前に彼の背中が大きく映って――
――ルーチェ。
急に大きく響いた声に、ルーチェはパッと起き上がった。
「あ、れ……?」
なんだか変な夢を見た。時計を見ると、7時少し前。
「誰だろ……」
夢に見た男の子――見えたのは後姿だけだったが、会ったことはないと思う。
それに、ルーチェを何度も呼ぶ声。あれは、あの男の子の声だったのだろうか。少し高めの少年の声だった。なんとなくどこかで聞いたことあるようなトーンに感じたけれど、どこで聞いたかは思い出せない。
「オロも、またいないし」
昨日抱いて眠ったはずのオロの姿がなく、ルーチェはため息をついた。昨日と同じでどこかへ出かけたのだろうか。
また汚れて帰ってこないといいが……
ルーチェはもう1度ため息をついて、ちょうど鳴り出した目覚ましを止めてベッドを降りた。
***
それから1週間。
オロは毎日のように泥だらけで帰ってきた。初日にルーチェに注意されてからは、玄関の前で鳴いて迎えを待つようにはなったのだけれど、一体何をしてこんなことになるのかが謎だ。
ルーチェは毎日オロをお風呂に入れ、オロは更にルーチェに甘えるようになって……そして、ルーチェは少年の夢を見続けている。
眠れていないわけではない。むしろ、ぐっすり眠れているのに夢を見る。
いや……夢を見ているということは眠りが浅いということのはずなのだけれど、不思議とスッキリ目が覚める。
もっと不思議なのは、声がだんだんとハッキリしてきていることだ。今はもう、ルーチェを呼ぶのは彼だと確信している。
だが、なぜ……?
ルーチェは彼を知らない。ならば、少年がルーチェを呼ぶのは彼女の願望? それとも、古い迷信のような――少年がルーチェを想っているから夢に出てくるとか。
「……なわけないよね」
はぁっとため息をついて、ルーチェは調合していた薬の火を止めた。
ブリジッタやグラートに、最近変な夢を見ると話したこともある。しかし返ってくるのは「疲れているんじゃないか」というような言葉ばかり。
確かに、オロが光ったとか魔法を使えるとか、知らない少年が夢の中でルーチェを呼ぶとか……ルーチェ自身、変だと思う。
でも、事実なのだ。ルーチェが自分の目で見て、耳で聞いて。すべてが現実なのに。
「現実っていうか、夢? うーん、でもオロは実在してるし……あぁ、もう! 集中しなきゃ」
ルーチェはパンッと両手で頬を叩き、薬草を刻み始めた。
あとはこのオーメンタールを入れてよく混ぜれば、今作っている薬は完成する。オーメンタールは小さな可愛らしい白い花をつける薬草で、魔法や薬の吸収を促進し、効果を高めてくれるものだ。
「温度は……うん、これなら大丈夫」
オーメンタールは調合の最後、火にかけたままで葉をそのまま入れるクラドールも多い。しかし、葉に含まれる効果促進作用成分は、人肌くらいが一番溶け出しやすいようなのだ。それで、ルーチェはいつも少し冷ましてから鍋に刻んだ葉を入れることにしている。
薬の調合は、基本の煎じ方はマニュアルがあるけれどクラドールによってアレンジを加えることがある。特にオーメンタールのような、直接病や傷に働きかけるものでないメインの薬草を助ける働きをする薬草についてはクラドールの力量が問われるところでもある。
基本の煎じ方さえ押さえていれば、定められた効果は出るようになっている。その効能をどこまで高められるか――クラドールの腕や診療所の評判にも影響するくらいだ。
特にこのマーレ王国は、国民のほとんどがそういった知識を持っているためにチェックも厳しい。
「できた!」
ルーチェはできあがった薬を小瓶に分け、棚に綺麗に並べた。
これで今日の研修は終わりだ。
使った器材を丁寧に洗って消毒し、薬草なども保存用と捨ててしまうものを分け、すべての片づけが終わったところで調合室を出た。
「あ、お姉ちゃん!」
廊下に出ると、アリーチェに呼び止められた。
「オロ、今日も泥だらけだったよ? お姉ちゃん、なかなか調合室から出てこないから、私がお風呂に入れてあげたからね」
「そっか。ありがと」
オロはいつもより早い時間に帰ってきたらしい。ルーチェはアリーチェにお礼を言って階段を上ろうとする。
だが、アリーチェは少し真剣な顔をしてルーチェを再び呼び止めた。
「ねぇ……オロ、帰りたがってない?」
「え……?」
その言葉に、ルーチェの心臓がドクンと嫌な音を立てた。
「オロ、最近寂しそうにしてるの、気づいてるでしょ?」
「う、うん……でも、それは…………」
そこまで言って、ルーチェは言葉に詰まった。それは――?
確かにオロは最近妙に甘えていて、いわゆるホームシックのようなものなのだろうと軽く考えていた。
でも、オロは自力で泳いできた。それは、帰ろうと思えばルミエール王国へ自力で帰れるはず。そんな風に都合よく解釈していたが、もし流されてきただけだったら……?
何も言えなくなってしまったルーチェを見て、アリーチェはフッと息を吐く。
「まぁ……帰るならお別れ会くらいはするし、急にいなくならないでって言っておいてね」
「……うん」
アリーチェなりの気遣いなのだろうけれど、ルーチェの心には重く石が落ちてきたみたいに、わだかまりが残った。
ルーチェが部屋に戻ると、オロはベッドの上にいた。窓に前足をかけて遠くを見つめている。
その姿を見て、ルーチェはチクリとした痛みを感じた。
オロはよく窓の外を見つめている。ルーチェには懐いてくれているようだけれど、やはりアリーチェの言うように元いた場所へ帰りたいのではないだろうか。
そう思うと、なぜか胸が苦しくて。ルーチェはフッと息を吐いてベッドに座った。
「にゃうん」
オロはベッドが沈んだことでルーチェに気がついたらしく、窓から離れてルーチェの膝に乗った。
「にゃっ、にゃっ」
ルーチェの胸に前足を添えて身体を支え、じっと琥珀色の瞳でルーチェを見上げるオロ。
ルーチェが首を傾げると、その瞳が揺れた気がした。寂しそうに……
「オロ……帰りたいの?」
思わずそう問いかけた。
「にゃぁ」
すると、オロは頬をルーチェの胸に摺り寄せて抱きつこうとする仕草を見せた。「帰らないよ」と、言っている
と思っていいのだろうか。ルーチェは堪らずオロを抱きしめた。
「ねぇ……私、研修も頑張るから、だから……」
帰らないで――そんな風にネコに言うのは変なのかもしれないと頭の隅で思いながら、オロは不思議なネコだからルーチェも不思議な気分になるのかもしれないと変な理由をつける。
「だから、そばにいて」
「にゃー」
そのルーチェのお願いに……オロがYESと鳴いてくれたことがとても嬉しかった――
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