燃えるような愛を

皐月もも

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フローラのピアノレッスン with ユリア

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 軽快な音が音楽室に響く。
 大きなピアノに向かって小さな手を一生懸命に動かし、メロディを紡ぐユリア。
 先日、四歳の誕生日を迎えた愛娘は、小さい頃からフローラと過ごす時間の中で、自然と音楽を嗜むようになった。最近では、王子王女の教育の一環として音楽の授業も始め、その才能を伸ばしている。彼女の一つ下の弟カイも同様だ。
 音楽はフローラが直々に教えているが、まだ幼いこともあって、あまり理論的なことには触れていない。二人とも、楽譜は一通り読めるようになったし、理論は後からでもついてくるものだ。
 お腹の中にいるときからフローラの演奏を聴いて育ったためか、彼らの音楽センスは悪くない。
 フローラは子供たちが音楽を好きになって、楽しんでくれることを一番に望んでいる。だから、弾く曲も彼らのやりたいものをやらせていた。
 今、ユリアが弾いている行進曲も彼女が自ら選んだ曲だ。軍のセレモニーに参加したときに気に入って弾きたいと言い出した。
 好きなものは練習もすすんでやってくれるし、上達も早い。
 ほとんどミスタッチなく演奏される曲に頬を緩め、フローラは娘の演奏に耳を傾ける。
 やがて、曲を弾き終えたユリアがキラキラした笑顔をフローラに向けた。
「じょうずにひけた!?」
「ええ。とっても」
 自分の演奏に満足そうな顔のユリア。フローラが頭を撫でてやると、彼女は「えへへ」と言いつつ、くすぐったそうに首を竦める。
「この曲も上手に出来ました」
 フローラが楽譜に簡単な魔法で“上手に弾けた印”をつけるのを、ユリアは喜ぶ。
「わぁ! あのね、おかあさま! つぎはね、ユリア、もえるあいひく!」
「もえるあい?」
 そんなタイトルの曲があっただろうかと首を捻ると、ユリアが鍵盤を押し始めた。
「タララ~ララ~。タラッ、じゃーん!」
 ご機嫌に歌いつつユリアが奏でる。耳で覚えたメロディだけを両手で再現してみせるユリアは、冒頭部分を弾き終わるとニコッとして、フローラを見る。
「これ! おとうさまとおかあさまがひいてるの、ユリアもひく!」
 そう、それはフローラがヴォルフとの結婚を認めてもらうために弾いた曲――”燃えるような愛を”。ヴォルフへの想いをすべて詰め込んだフローラとヴォルフの曲だ。
 あれから楽譜を書いて、ヴォルフもよく演奏してくれている。両親が頻繁に弾くピアノ曲を、ユリアが覚えるのは当然とも言える。そして、ヴォルフのことが大好きな彼女が弾きたがることも。
「でも……これは、ユリアには少し難しいかも……」
 いくらピアノが上手いと言っても、やはり四歳。小さな手はオクターブに届かないし、ペダルも踏めない。
 更にフローラが弾くことを前提として作られた曲は、複雑なリズムのフレーズも多く、難易度はかなり高いのだ。
「ユリア、ひけるよ!」
 難色を示した母親の表情からすぐさま彼女の心の中を読み取ったらしいユリアは、一転ムッとした顔になり、タンッと椅子を叩く。
「そうね。ユリアはピアノが上手だけれど、でも、このままでは――」
「ユリアもひくの! おとうさまとおかあさまのもえるあい、ひく!」
「わかっているわ。ユリア、だから、簡単にアレンジして弾きましょう」
 母親の心に敏感な娘に対し、母親もまた娘の気分の変化には敏く、彼女の行動パターンも知っている。
 このまま「ユリアには難しい」と言い続けるのは得策ではない。一度やると言ったら何が何でもやろうとするのがユリアだ。それに、挑戦しようという気持ちを潰してしまうつもりはない。
 しかし、そのまま練習を始めてもユリアが弾きこなせないことは明らか。そうなると、今度は思うように弾けないことにユリアが癇癪を起こしてしまうだろう。
 これはフローラも頭を悩ませているユリアの小さい頃からの悪い癖だった。自己主張が激しく、思い通りにならないと手がつけられなくなるのだ。
 だから、フローラは妥協案を考えたわけなのだが……
「いやっ! ユリアはおとうさまとおなじのひくの!」
 ユリアはヴォルフと同じことにこだわっているらしく、首を縦に振ろうとはしなかった。
 ふんっと頬を膨らませ、椅子から下りてしまう。そして自分で本棚に向かって行き、目的の楽譜を取り出してピアノの方へ戻ってくる。
 譜面板に丁寧に楽譜を広げると、一呼吸置いて、ユリアが鍵盤に手を置く。
「ユリア……」
 こうなってしまえば、フローラはもう見守ることしかできない。
 しかし、早速ユリアの纏う空気がもわっと熱くなる気配が伝わってきて、フローラは内心ドキドキしてしまう。
 初めの和音は、左手がオクターブ、右手も四つの音を押さなければならない。
 つまり、その時点で……アウトだ。
 ユリアは眉根を寄せつつ、両手を目一杯広げて目的の鍵盤の上に指を置こうと躍起になっている。片手で無理だとわかると、左手で右手の指と指の間を無理矢理広げて鍵盤を押し始める。
 しかし、一つ押せても二つ目を押そうとすると一つ目の指が鍵盤から離れる。三つ目を押せば二つ目が離れ……そんなことを何度か繰り返すうち、ユリアはぐすぐすと鼻をすすり始めた。
「ユリアもひくの! ひけるの!!」
 イライラしつつも、ユリアは一生懸命手を広げている。
「ユリア。ちょっと指の体操しましょう。ほら、柔らかくすると、鍵盤に指が届くようになるの」
 指を広げたりくっつけたり、ストレッチのお手本を見せながら、フローラはユリアを宥める。
 これでユリアの気が紛れて、難しい曲から注意が逸れればいいのだが……
「うっ……うわあぁぁぁん!」
「ユ、ユリアっ」
 フローラの願いとは裏腹に、ユリアは彼女の手を見て大声で泣き始めた。ずっと堪えていた涙が溢れ、ユリアの白い頬を伝う。
「ユリアのてがちっちゃいからあぁぁ! うわぁぁぁぁぁぁ! ユリアもえるあいひけないぃぃぃぃ」
 ペシペシ、とフローラの手を叩き、ユリアが泣き喚く。彼女の小さな身体の周りに炎が燃えて部屋の温度が上がった。
「ユリア、ユリア。ほら、魔法を使ったらピアノが熱くてかわいそうでしょう? ピアノが壊れてしまったら、ユリアの演奏が聴けなくなってしまうわ」
 それに、ユリアの魔法はフローラには強すぎて、触れられない。
「うぅっ」
 ぐすっと鼻を啜り、嗚咽を漏らしながらも、ユリアはフローラの言葉に反応して魔法を抑える。
 もっと幼い頃は、フローラが彼女を宥めるのは不可能に近かった。最近はユリアも母親の言うことをよく理解してくれるし、感情的な部分も自分で少しコントロールできるようになったようだ。
 フローラはホッと息をつき、ユリアの背を撫でた。
「ユリアが上手に弾けるのは、知っているわ。でも、今日は、私と一緒に弾きましょう。私もこの曲を弾きたくなってしまったの。ね、いいでしょう?」
 フローラはそう提案し、ユリアの両手を鍵盤にそっと置き、その横に自分の左手を乗せた。
「ユリアは上の段、私は下の段。いい?」
「……ん」
 唇を尖らせつつも頷いたユリアに、ふふっと笑みを零し、フローラは「いち、に、さん」とリズムを取る。
 そして、二人の手が「愛」を奏で始めた。
 ユリアの小さな両手が右手の演奏を、フローラが左手の演奏を。
 本来片手で引くメロディは、ユリアが両手で拙く奏でる。それでも、フローラが刻むワルツのリズムにしっかりついてくる。
 一生懸命な音――ヴォルフとフローラに憧れる純粋な心が可愛らしい。
 燃えるような激しい情愛は表現できなくても、ユリアは彼女の思う愛を響かせてくれる。ユリアはフローラとヴォルフの愛を、感じ取ってくれている。
 それが嬉しくて、フローラはこみ上げてくる涙を瞬きして散らした。
 同時に二人の演奏も終わりを迎える。
「すごいわ、ユリア。上手に弾けたね」
 右手だけでも音が飛んだり指遣いが難しかったり大変な曲だ。両手を使っていたとは言っても、元々片手用に記された楽譜を読みながらというのは至難の業だ。
 尤も、ユリアの場合は耳で覚えたメロディはかなり頭に入っていたようなので、感覚的に弾いたという感じだろうか。実際、すべての音を追えていたかというと答えは否だ。
 それでもきちんとメロディは途切れず弾けたし、最後までフローラについてこられたのは素晴らしい。
「上手いな、ユリア」
 パン、パンと手を叩く音がして、音楽室の扉の方へ顔を向けると、いつのまにかヴォルフが中に入ってきていて満足そうな顔で二人を見つめていた。
「ヴォルフ様」
「おとうさま!」
 父親を見つけたユリアはすぐさま椅子を下りて彼のもとへ駆けて行く。ヴォルフもピアノに近づきながら、向かってきた彼女を抱き上げてフローラのところへやってきた。
「おとうさま、もえるあいきいてた? ユリアのピアノ、どうだった?」
「ああ。聴いていた。上手くなったな、ユリア」
「ほんとー!?」
 ヴォルフに褒められて、ユリアは両手で頬を包みきゃっきゃっとはしゃいでいる。
「つぎは、おとうさまといっしょにひく!」
「ああ」
 目を細めて娘の言うことを聞くヴォルフを見られるのは、おそらくフローラたち王家の者と、一部の世話係りたちのみだ。
 そんな貴重な表情にフローラも思わず笑顔になる。彼女はピアノの椅子をヴォルフとユリアに譲り、ユリアの頭を撫でた。
「それじゃあ、レッスンはここまでにしましょう。お父様と演奏をしたら、ピアノはきちんとお手入れしてしまうのよ」
「はーい」
 ユリアは右手をあげて元気に返事をする。
「ヴォルフ様、カイがそろそろ起きますから迎えにいってきますね。すぐに戻ります」
 ユリアにピアノを教える時間は、カイがお昼寝する時間に合わせている。今は侍女が見ていてくれるが、もうすぐカイが起きる時間だ。
 ヴォルフはフローラに向かって「わかった」と返事をし、ユリアに向き直る。
「ほら、ユリア。弾くぞ」
「うん!」
 そうして始まった二人の演奏に後ろ髪を引かれつつ、フローラは音楽室を後にする。
 ヴォルフはユリアとの演奏で何を思うだろう。
 ユリアがいつか恋をして、愛を知るだろうことを寂しいと思うだろうか。そんなことを考えて、フローラは廊下をゆっくり歩く。
 先ほどユリアが奏でたメロディを、口ずさみながら―― 
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