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第十九話
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『まもなく──』
車内に広がるアナウンスが近い到着を知らせる。頬を伝う雨は止まない。
「すまない……」
そう謝る樋宮の顔はとても辛そうだった。
「俺は忠誠心から組長がお前へ向ける異常な行動を止めるどころか助けていた。深い傷を負わせてしまった。俺は組にとってもお前にとっても裏切り者だ。……けど」
樋宮が勇士へ手を伸ばす。一度指先が躊躇したように止まる。しかし再び動き出した指先が濡れた頬を拭う。
「鐵はもう自由だ。鐵が好きなように生きられるように俺の出来ること出来ないこと関係なしにとにかく全部して支えるつもりだ」
樋宮は固く覚悟を決めているようだった。
龍一郎に嫌われたくなくて着けられた息苦しい首輪に文句はなかった。けれど『勇士』として愛されていないのなら首輪なんて苦しいだけだ。言いつけを守り、どんなにいい子を装っても愛は返ってこないのだから意味はない。
ならもう首輪を捨てて、これまで我慢してきた自由を謳歌してもいいんじゃないか。
色んな場所に行き、色んな人と出会い、色んな経験をしたい。
樋宮の涙を拭う手は暖かくて心強くて、大好きなあの人に似ていた。その優しさは心を抉り、そして満たされ、掌に頬を擦り寄せる。
「っ……」
ビタリと樋宮が息を呑み、動きを止める。不審に思って優しさから目を覚ますと樋宮は熱を出したように頬を赤く染めていた。
「……勇士」
名を呼ばれる。
「……なぁキスしたら怒るか?」
「え……」
突然の要求に困惑して固まる。すると樋宮はふっと切なそうに微笑み、流れるように彼の顔が迫る。手で前髪を払われた額に柔らかな感触が当たる。
不意の行動に反応すら忘れる。樋宮の離れた唇は軽い笑みを作っていた。
「そんなに強張るなよ。お前に嫌われるような真似はしない」
「樋宮、お前……」
「驚いたか? でも俺はずっとお前にこうして触れたかった」
樋宮が頬をそっと撫でる。
「俺はいつも隣でお前を見てきた。組長を真っ直ぐ深く想うお前を。俺は心底組長が羨ましかった。こんな風に俺も想われたらって願わずにはいられなかった」
樋宮の言葉に勇士は慌てた。
「何言ってるんだ。俺は父さんのことは家族として好きってだけで別に──」
養父とはいえ、父親に恋してるだなんて思われたら引かれるどころじゃない。慌てて弁明するけれど樋宮は聞く気がないようだった。
「無理するな。嘘を吐かなくても俺がお前を嫌うことはない」
樋宮は続ける。
「父親を好きになるのは確かに普通じゃない。最初は性的虐待じみたことをされ続けていたから倒錯的にそう思っているだけなんじゃないかとも悩んだ。けど長くお前を見てきて分かったんだ。お前が抱くそれは本物だと。俺はそんなお前を否定する気はない。逆に俺は父子の関係すら越える想いに羨望を抱いたんだ」
嫌われることのない安堵より驚きが大きい。樋宮がそんなことを思っていただなんて。
「お前をあの鳥籠から連れ出したのはただ罪を感じたからじゃない。俺はお前を幸せにしたいんだ。お前にはいつも笑っていて欲しい」
返す言葉が見つからない。
勇士は樋宮を友人だと思っていた。それ以上を考えたことはない。
樋宮は黙ったままの勇士に切なく眉を落とし、願いの籠った瞳で訊ねる。
「……勇士、親父さんのこと今はどう想ってるんだ?」
考え込む。
龍一郎は結局勇士自身を愛してはいなかった。だからどんなに勇士が彼を愛しても虚しいだけ。それでも龍一郎を心から切り捨てられない。
勇士にとって龍一郎だけが全てだったのだ。切り捨てられるような、そう簡単に済む存在ではない。
「分からない。……でも本当は樋宮が言ったことなんて全部嘘だと思いたい。今の俺は父さんに嫌悪を感じたくない」
そう言う勇士の姿は樋宮が向ける羨望の的と何一つ変わらない。
打ち明けると樋宮は「……そうか。"今"はそうなんだな」と嫉妬を燻らせているような、少し嬉しそうな表情を浮かべる。
車内に広がるアナウンスが近い到着を知らせる。頬を伝う雨は止まない。
「すまない……」
そう謝る樋宮の顔はとても辛そうだった。
「俺は忠誠心から組長がお前へ向ける異常な行動を止めるどころか助けていた。深い傷を負わせてしまった。俺は組にとってもお前にとっても裏切り者だ。……けど」
樋宮が勇士へ手を伸ばす。一度指先が躊躇したように止まる。しかし再び動き出した指先が濡れた頬を拭う。
「鐵はもう自由だ。鐵が好きなように生きられるように俺の出来ること出来ないこと関係なしにとにかく全部して支えるつもりだ」
樋宮は固く覚悟を決めているようだった。
龍一郎に嫌われたくなくて着けられた息苦しい首輪に文句はなかった。けれど『勇士』として愛されていないのなら首輪なんて苦しいだけだ。言いつけを守り、どんなにいい子を装っても愛は返ってこないのだから意味はない。
ならもう首輪を捨てて、これまで我慢してきた自由を謳歌してもいいんじゃないか。
色んな場所に行き、色んな人と出会い、色んな経験をしたい。
樋宮の涙を拭う手は暖かくて心強くて、大好きなあの人に似ていた。その優しさは心を抉り、そして満たされ、掌に頬を擦り寄せる。
「っ……」
ビタリと樋宮が息を呑み、動きを止める。不審に思って優しさから目を覚ますと樋宮は熱を出したように頬を赤く染めていた。
「……勇士」
名を呼ばれる。
「……なぁキスしたら怒るか?」
「え……」
突然の要求に困惑して固まる。すると樋宮はふっと切なそうに微笑み、流れるように彼の顔が迫る。手で前髪を払われた額に柔らかな感触が当たる。
不意の行動に反応すら忘れる。樋宮の離れた唇は軽い笑みを作っていた。
「そんなに強張るなよ。お前に嫌われるような真似はしない」
「樋宮、お前……」
「驚いたか? でも俺はずっとお前にこうして触れたかった」
樋宮が頬をそっと撫でる。
「俺はいつも隣でお前を見てきた。組長を真っ直ぐ深く想うお前を。俺は心底組長が羨ましかった。こんな風に俺も想われたらって願わずにはいられなかった」
樋宮の言葉に勇士は慌てた。
「何言ってるんだ。俺は父さんのことは家族として好きってだけで別に──」
養父とはいえ、父親に恋してるだなんて思われたら引かれるどころじゃない。慌てて弁明するけれど樋宮は聞く気がないようだった。
「無理するな。嘘を吐かなくても俺がお前を嫌うことはない」
樋宮は続ける。
「父親を好きになるのは確かに普通じゃない。最初は性的虐待じみたことをされ続けていたから倒錯的にそう思っているだけなんじゃないかとも悩んだ。けど長くお前を見てきて分かったんだ。お前が抱くそれは本物だと。俺はそんなお前を否定する気はない。逆に俺は父子の関係すら越える想いに羨望を抱いたんだ」
嫌われることのない安堵より驚きが大きい。樋宮がそんなことを思っていただなんて。
「お前をあの鳥籠から連れ出したのはただ罪を感じたからじゃない。俺はお前を幸せにしたいんだ。お前にはいつも笑っていて欲しい」
返す言葉が見つからない。
勇士は樋宮を友人だと思っていた。それ以上を考えたことはない。
樋宮は黙ったままの勇士に切なく眉を落とし、願いの籠った瞳で訊ねる。
「……勇士、親父さんのこと今はどう想ってるんだ?」
考え込む。
龍一郎は結局勇士自身を愛してはいなかった。だからどんなに勇士が彼を愛しても虚しいだけ。それでも龍一郎を心から切り捨てられない。
勇士にとって龍一郎だけが全てだったのだ。切り捨てられるような、そう簡単に済む存在ではない。
「分からない。……でも本当は樋宮が言ったことなんて全部嘘だと思いたい。今の俺は父さんに嫌悪を感じたくない」
そう言う勇士の姿は樋宮が向ける羨望の的と何一つ変わらない。
打ち明けると樋宮は「……そうか。"今"はそうなんだな」と嫉妬を燻らせているような、少し嬉しそうな表情を浮かべる。
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